■ ただひとつのしんじつを

指を鳴らした音が耳に聞こえた。腕を掴もうとした黒い手が酷くゆっくりと動いていて、何が起こったのかと驚きつつも慌ててその手から逃れるように身を引いた。


「よかった。間に合ったみたいだ」

「…あ、なまえさん?」

「そう。立花くん専用の調達屋のなまえだ」


背後に立っていたのはなまえさんで、口調は普段通りの穏やかさなのに、その目は口調とは裏腹に鋭いもので、自分を遠ざけるように背に追いやってじっと黒い手を見つめている。いつも通りのカルデア内部のはずなのに、空気は冷えきっていて寒いくらいだ。訳も分からずなまえさんに庇われるままで、二度目の指を鳴らす音に漸くなまえさんが鳴らしているのだと気付いた。


「ごめん、立花くん。巻き込んだ」

「な、なんの話です?」

「サーヴァントを呼んでここから離れて。早く」

「え、え、あ、」


黒い手は一度ぐるりと丸まって靄のようになったかと思うと、素早い動作で向かって来た。小さく舌打ちしたなまえさんが恐らく強化の魔術を行使して、蛇行もせず真っ直ぐこちらに向かって来た黒い手を掴んで振りかぶって投げる。今考えるべきじゃないと思うが物凄く綺麗な投球フォームだった。あまりの早さに風圧が後から来て、目を伏せながらようやっと口を開く。


「誰かマイルームに連れてって!」

「承知」


聞こえた声を確認する間もなく体を担がれ、正に疾風の如く冷えきった廊下を駆け抜ける。本当にあっという間にマイルームに到着した後、腰に片手を当てた男を見上げて礼を述べた。


「ごめん、ディルムッド。ありがとう」

「いえ、マスター。アレは酷く危険なものです」

「うん。何か気持ち悪い感じがした」


ざわざわとする心臓を落ち着けながら、置いてきてしまったなまえさんは大丈夫だろうかと不安になる。ディルムッドは眉を寄せて頻りに扉を見ていて、それが何か知っている風に見えてしまって思わずアレが何か分かるかと聞いてみた。一度躊躇うような素振りをした後、引かぬ俺に気付いてかディルムッドは観念したように口を開く。


「アレは恐らくですが、呪いの類です」

「呪い?それが何でカルデアに」

「そこまでは流石に…。ですが、アレは確実になまえを狙っていたものでした」

「でも俺にも襲ってきたよ。なまえさんが助けてくれたけど」


呪いの類。確かにあの黒くて禍々しい手は俺を掴もうとしていた。掴んで何をするのかは全く分からなかったけど、ディルムッドが言うには掴まれたらその部分から肉体が徐々に腐敗していく恐ろしいことこの上ない呪いなんだとか。なにそれ怖い。あの時なまえさんが来てくれなかったら俺は今頃腐った肉の塊になっていたかもしれないと思うと体が震える。


「立花くん、大丈夫?」

「あ、なまえさっ、いやぁぁぁぁ!?」

「な、な、持ってくるか普通!?」

「大丈夫。活きはイイけど、しっかり魔術でも縛り上げてるから脅威はない」


マイルームに入ってきたなまえさんには傷一つ見られなかったけど、その手には袋が握られていて、何かが中で暴れているのが目に見えて分かる。そうしてそれが先程の黒い手だと言うことは嫌でも分かった。ディルムッドが慌てて俺の前に出て身構えるものの、なまえさんはどうってことは無いと肩を竦めて見せる。


「調達屋としての仕事で、報酬も凄かったから思わず引き受けてさ。とある魔術師からの品を調達したんだけど、それに呪いが掛けられてたらしくてね」

「え、それ調達って言うよりかは強盗…」

「私の魔力に反応して襲ってくるものだから、近くにいた立花くんに私の魔力の気配でもしたんだろう。巻き込んだ、ごめん」

「いや、それはもう大丈夫なんですけど、え?」

「今度からはもっと用心すべきだ、なまえ」

「うん。気を付けるよ」

「え?」


あまりにも自然な盗んでます宣言に目を白黒させるも、聞いていただろうディルムッドはそこに何も突っ込まない。ええ、俺がおかしいのか、コレは?
バッタバッタとひとりでに暴れまくる袋に引き攣った笑みを零す。あまり見てたら呪われるよと嘘か本当か分からない事を言ってきて、更に引き攣りは深くなる。
それは一体どうするのかと聞けば、カルデアにいるキャスター達に必要かどうか聞いて回ると。そんなのが必要になるのかと思いはしたものの、研究材料にはなるのかとどこか納得する自分がいて、自分も少し一般人離れしてるなぁと笑う。要らないと言われたらこちらで処分するからと言ったなまえさんは軽く手を振ってマイルームから出て行ってしまい、ディルムッドもまた御用があればお呼びくださいと一礼して出て行った。


「…って言うことがあったんだけど」

「あー、それね。コルキスの魔女様が引き取ったそうだよ」

「え、メディアが?」

「そう。私も見せてもらったんだけどさぁ、まあアレをどうこうする事よりもカルデアの維持が私の最優先だしね」


ダ・ヴィンチちゃんの工房でマナプリズムを受け取りつつ、つい先程の話を口にすれば少し残念そうな顔をしていた。やっぱりキャスターからして見れば、何か特殊なものだったのかもしれない。でも俺にはあの黒い手は危険なものにしか見えなかった。何が怖いとかそういうのは全く分からなかったけど、本能的なものでアレは危険だとしか思えないのだ。


「まあ立花くんの想像、本能通りのモノで間違いないよ」

「はい」

「あれは本当なら真っ向から相手にしちゃいけないものだ。掴んだものを呪い殺すまで活動し続ける、魔術師初心者の立花くんからしたら危険極まりない代物であることは間違いない」


ならば。ならば真っ向からあの黒い手を相手にしたなまえさんは、気狂いか何かだと言うのだろうか。眉を顰めれば、ダ・ヴィンチちゃんはカラカラと笑って彼女は違うと口にした。
彼女は魔術師としてはかなり上のランクだと言った。適正審査さえしてないけれどマスター候補と言っても過言ではないと、一度はあの狂王の魔力供給者になったぐらいだしねぇとのんびり言った。


「起動したままの呪いを袋に入れて平然と持ち歩くなまえは、まあきっとそれ相応の対処をしてたに違いないね」

「それだけ凄い呪いが付いた品を盗…調達してるなまえさんって一体…」

「それをいったらサーヴァントの再臨素材は何処から調達してるんだってことになるだろう?今の所どの時代も異常はないから見逃してあげているけど、何か異変があればなまえには暫く外出禁止令を出さないといけない」

「つまり…?」

「再臨素材は狡をしないで自ら収集することになる」

「あーーー!聞きたくなかったァーーー!」


茶化すようにそう言ったダ・ヴィンチちゃんが、何かを隠したのに気付いたけど、まあ本人が言う気になるまで待っていようと思う。
マイルームに戻る途中、二つのダンボールを抱えるなまえさんの隣でマシュも丸めたポスターみたいなものを両手で抱えているところに遭遇した。


「こんにちは、先輩。マナプリズムは受け取れましたか?」

「うん、バッチリ。何してるの?」

「はい、職員からのお願いでこれを空き部屋に持っていくようにと言われまして。なまえさんが手伝ってくれているんです」

「そういう訳です」

「俺も手伝うよ」


なまえさんの手からダンボールを一つ受け取り、二人の横に並ぶ。なまえさんの手にはもうあの暴れ回っていた袋はなく、本当にメディアに渡したんだなぁと内心苦笑した。


2017/10/06
ただひとつのしんじつを
(どうであれ、友達なのには変わりない)