■ 捌

神威くんへと手を伸ばせば、にこにこと終始崩れない笑みを浮かべて私の体を抱いた。あっという間に兎の石像の上に招かれて腰を下ろす。きっとこの子は私に甘い。ゆるくその頭を撫でてやれば、きょとりと目を丸くした後、また先ほどと同じように笑うのだ。


「おねーさん、あの男の人の好い人?」

「違うわよ」

「そっか、なら安心」

「それってどういう…」


続けようとした言葉は、鳳仙様の咆哮によって閉ざされた。ピリピリと肌を刺激するような音に息を飲み込み、応戦するような声に両者が動き出す。坂田さんと月詠の攻戦を防ぎ、襲いくる女達へと月詠の足を掴んで投げ飛ばした鳳仙様。多勢にも関わらず応戦する姿に今更ながらに夜兎族とはこういうものなのかと、眼窩に広がる戦場と化したそれを見て笑みを絶やさぬ神威くんに苦笑しかできない。人って凄い。


「いらぬ。この常世に、わしに、太陽などいらぬわ!」


鳳仙様の目に何が写っているのかなんて私には分からないし、たぶん坂田さん達にだって分からない。


「貴様らが如きか細き火など、わしが残らずかき消してくれる!その忌まわしき魂と身体、引き裂いてな!」


倒れた月詠の伸ばす手が木刀へと伸びるより早く、鳳仙様が振りかぶる番傘の方が早かった。思わず痛めた足を無視してまた飛び出そうとして、神威くんの腕に阻まれた。
振りかぶった番傘が月詠に当たることは無く、行く手を阻むように投げた苦無へと血走った目が移り、それが坂田さんへと止まった瞬間に互いに声を上げる。両者共に今すぐに倒れてもおかしくはない血の量なのに、重苦しい威圧感は変わらない。
頭を狙う砕けた刀の切っ先を手刀のみで叩き折った鳳仙様が不敵な笑みを浮かべて、それはすぐに驚きへと染まる。何も手にしていなかった坂田さんの右手に、いつの間にか月詠が投げ渡した木刀が握られていて。


「いけェェェェェ」

「おおおおおお!」


叫ぶような声と共に、鳳仙様の横っ面へとそれは振り抜かれた。隣から聞こえた感心したような声に内心苦笑しながらも、その隙を逃さぬとばかりに木刀を振るう坂田さんから鳳仙様は反撃も出来ていない。両者共に疲弊しきっている今、これが最後のチャンスと言うべきか。鳩尾部分へと木刀が突かれ、その勢いのまま私と神威くんがいる石像の真下へと叩き込む。揺れた体は神威くんに難なく庇われて、小さく礼を言えば、変わらぬ笑顔を向けられた。


「きっ、貴様ァァァァ!」

「射てェェェェェ!」


鳳仙様が伸ばした手に苦無が突き刺さる。月詠の声と共に鳳仙様へと降り掛かったのは苦無の雨。先程のこともあって背にひやりとしたものが伝う。絶対に許さない。
砂煙が舞うその中、唐突に返ってきた苦無の数本。突発的に坂田さんが月詠を庇うように動いて、複数が体に刺さり体制を崩した。


「温い、温いわ!貴様らの如きか細き光が幾ら集まろうと、この夜王を干からびさせることは出来はせぬ!」


幾つもの苦無を体に受けて尚そこに立つ鳳仙様は、流石夜王とまで呼ばれた男。酌でもしていたらこの業界で名を挙げれたかもしれない。まあ機嫌を損ねて殺されるかもしれないというリスクがついてくるけれど。絶対に嫌。


「太陽などとは程遠い…、吹けば一瞬で消える蝋燭のような脆弱な光。それが貴様らだ!火種は消さねばなるまい、その鈍く光る光を!」


鳳仙様が見据える相手はやはり坂田さんで、月詠が咄嗟に苦無を構えたのを制したのも坂田さんだった。それに嘲笑した様子を見せる鳳仙様に、坂田さんは向き直る。いつか見た、見る人を惹き付けるようなそんな目だった。


「お前にゃ、俺の火は消せやしねーよ。何度消そうとも無駄な話だ。俺にゃとっておきの火種がついてんだ。絶対に消えねェ太陽がついてんだ。奴らがいる限り、俺ァ何度消されても何度でも燃え上がる」

「なんだ…!?」


地響きのような音と共に揺れる部屋に息を呑む。吉原全土を揺り動かすかのようなそんな音。どこから聞こえているのかなんて分かりきった事だった。坂田さんの背後の破れた障子から見えたのは、目を焼くように輝く光。私にとっては見慣れた、月詠達にとってはもう長い間見ていないはずの強くも暖かい光。


「これはっ、この陽は…!」

「お前なんぞに、俺達の火は消せやしねェ」

「太陽ォォォォォ!!」


夜兎にとって弱点にもなるその太陽の光。長年に渡って日の下にも出ていなかった鳳仙様にとって、それは致命的な痛手になる。みるみる間に皮膚が干からびていくのを見て、興味深そうにそれを見る神威くんに声をかけた。


「足場のある所へお願いできる?」

「最後まで見ていかないの?」

「ええ。私に出来ることなんて無いもの」

「んー、ウン。分かったヨ」


少し考える素振りを見せた後、スグに先程までいた廊下へと立たせてくれた。痛む足は動けないほどではない。具合を見てから神威くんに笑いかける。


「ありがとう。もう平気」

「一人で行くの?」

「神威くんは最後まで見たいんでしょう?」

「うん」

「じゃあここまで。坂田さんに悪さしたら駄目よ?」

「どうして?やっぱりおねーさん、あの男の」

「私のお客様、だからよ」


きょとりとした目でこちらを見た後で、先程と同じように笑った神威くんは小さく頷いた。まあきっと、神威くんの事だろうし坂田さんにちょっかいは掛けるんだろうけど。容易に想像出来て内心笑ってしまう。
背後から聞こえた大きな音をBGMに、痛む足を無視して廊下を歩く。着ている着物はもう既に裾が血みどろで余計に重くなっている。ああもう、廊下に、しかも女性の屍体がゴロゴロ転がってるなんて見たくない。痛みに加えて震えまで来てしまって本当に情けない。私は戦いなんてものとは遠い世界で生きてきたのだから、まさかこんな事になるだなんて。人生経験だと誰かは言うけれど、こんな経験出来ればしたくなかった。
兎に角、先ずはオジ様のお店で軽く足の処置をしてもらおうと屋敷から出て壁伝いに歩いて行けば、見慣れない黒い影がポツリとそこにあった。


「…何してるの貴方?」

「……迎えかと思ったが、悪女が来ちまうとはな」

「あら、まだ元気そうね」

「誰が死にかけだよこのすっとこどっこい」


家屋に背を預けている男は、屋敷の中にいたはずだったけれど。口は達者ねと首を傾げて様子を見ていたら、腕が無い事に気付いた。一体誰にとられたのかと眉を顰めていれば、訝しげな顔をして見上げてくる。


「なんだァ?心配でもしてくれんのか?」

「…貴方、悪そうな女にハマりそうなタイプよね」

「ハンッ!男はいい女がいたら誰だろうとハマるだろうよ」

「そうね。だから貴方も私にハマったんだものね」


笑ってそう言えば、今度は男が眉を顰める番だった。あの時告げられた「面白い女」発言は未だに耳に残っている。自分でも意地の悪い笑みを浮かべているだろうなと自覚しつつ、見下ろしていれば男は深くため息をこぼした。


「恋愛脳の地球人はこれだから嫌だ」

「脳筋の貴方達に地球人を馬鹿にはできないでしょう」

「…それもそうか」


カラカラと笑った男の前を通り過ぎる。そこそこの怪我だろうけど、放っておいても死にはしないだろう。関わりの少ない私に助けるなんてできないし、足の痛みが増してきていてそれどころじゃなかった。神威くんあたりがきっと迎えに来てくれるだろう。憶測だけれど。


「またな、なまえ」

「またが無い事を祈っているわね、阿伏兎さん」

「…手厳しいこって」


本当に、面倒な男と出会ってしまったものだ。ママに話したら、きっと暫く笑われるんでしょうね。もう既に想像のママは爆笑である。
お店ではオジ様が空を見上げて子供のようにはしゃいでいて、手を振ればその笑顔はピタリと固まって首を傾げる。そういえば、今着ている服は鳳仙様の屋敷から頂戴したものである。どう言い訳をしようかと、鬼のような形相で駆けてくるオジ様を見ながら頭をフル回転させた。


2017/07/22