■ 陸

愚痴を言わせて欲しい。この男、本当に危機感とか警戒心というものが無い気がする。隙あらば項に指を這わせてきたり、不用意に距離を詰めてきたりとやりたい放題だ。ママ助けて。しばらくお店の出入りを控えてもらうことってできないかしらと本気で考えていれば、ふと前方に見えた先程別れた晴太君と鳳仙様らしき後ろ姿。


「あら、不穏な雰囲気」

「あれ、ちょっとなまえちゃん?手つきがやらしいよ?やだ、大胆」

「こんなのはお好みじゃない?」

「初っ端から公開プレイとかいいんですか!」


坂田さんの骨盤を着流しの上から撫で上げて目当てのモノへと触れる。若干鼻息が荒くなっている坂田さんを無視してそれを抜き取れば、きょとりとしてこちらを見下ろしてきた。前から思っていたけど気の抜けた顔はホントに幼く見えるわね坂田さん。


「何する気だ?」

「的当ては得意なの」

「待て待て待て。的ってアレですか。あの白髪ロン毛の男ですか。殺人未遂だよ、犯罪者になっちゃうよなまえちゃん」

「法律で人は守れない。なら法の外に出るしかないわよね」

「どこの執行官?」


止めようとしてくる坂田さんから抜き取った木刀を躊躇いなく投げた。木刀は見事に鳳仙様を避けて晴太君の目の前の扉、ど真ん中に突き刺さった。小さくガッツポーズ。
アフターなんてものがあるから、ダーツといった射的系は得意だったりする。まあだからといって、こんな重たいものを投げたことなんてないんだけれど。そう零せば坂田さんの口元が引き攣っていて思わず笑ってしまった。


「それじゃ、後はよろしくね」

「…ったく。女ってのは都合が悪くなるとすーぐ人に押し付けるんだもんなぁ!」

「嫌いになった?」

「大好きですけど?」


袖を掴んで首を傾げれば不意に顔が近付いてきてその額を指で弾く。油断も隙もないと呆れつつ、悪戯が成功したような笑みを見せる坂田さんに肩の力が抜けた。私を隠すように前に立つ坂田さんの背中が、とても頼もしく見えたのは場の雰囲気だからだろうか。
壊れた扉から見えた隠された吉原一の遊女は、それはもう大層綺麗なかんばせに涙を流していた。その彼女の戸惑う声に、自分の母だと叫んで泣きながら駆け寄る晴太君を抱きしめた日輪太夫を見て、漸く会えたのかと自然、口角が緩む。
こちらを見た鳳仙様の目は異様な程に冷たいもので、足が震えそうになるのを必死で耐えた。ここまで勝手に付いてきておいて、逃げ出すなんて虫のいい話があるわけ無い。


「…そうか。貴様が童の雇った浪人。わしの吉原を好き勝手やってくれたのはぬしか」

「好き勝手?冗談よせよ。俺ァ惚れた女放って他の女に目移りできる程器用じゃねぇよ」

「ほう?神威の女か。よいのか、神威。お前のツレであろう」

「あり?」


振り返る鳳仙様の先には首を傾げる神威君がいて苦笑。腕を組んで悩むような声を上げる神威君を遮るように、鳳仙様の言葉に驚きで固まっている坂田さんの腕に自身の腕を絡めてやる。私が未成年に手を出すわけないでしょう。


「ごめんなさい神威君。誑かされたわ」

「…大丈夫。連れ戻すヨ」


阿伏兎のお気に入りでもあるからネと笑う神威君に、勘弁して欲しいと肩を竦めた。妙な男にばかりモテても相手をするのが疲れるだけだ。サービスは店の中、外で会うのもアフター以外は本当はお断りである。割り切れてないだろとかそういうツッコミ、今はいらない。


「いいだろう、酒宴を用意してやる。血の宴をな」

「過分な心遣いありがたいが、そいつは遠慮するぜ。こんな所で酒飲んだって、何にも旨かねェ」


視線を一つ。邪魔にならぬようにと背後へと下がれば、柔らかく笑んで鳳仙様へと向き直る。本当に、いつもこうなら坂田さんに好意を寄せる女性も多いでしょうにと内心ため息。


「どんだけ美女を集めようが、どんだけ美酒を用意しようが、俺ァてめーの吉原で酒なんざ一滴足りとも飲まねェ」


男の極楽、吉原桃源郷。日の昇らない町。常夜の国。日の当たらぬ暗い地下区域で、日輪のようにこの町に繋がれた女は一体何千人といるのだろうか。


「鎖で繋がれた女から酒なんて注がれても、何にも旨かねーんだよ。ババアだらけの薄汚ェスナックでも、笑って酌してくれんなら俺ァそれがいい。惚れた女と笑って酒が飲めるなら俺ァそれがいい。美女も美酒も屋根さえねェ野っ原でも、月見て安っすい酒飲めるなら俺ァそれがいい」


柄へと手をかけた坂田さんに、きっと迷いなんてなかった。


「女の涙は、酒の肴にゃ辛過ぎらァ」


生きてここから帰れたら、彼のために笑ってお酒を用意してやろう。私ができる事なんてそれぐらいしか思いつかないのだから。


2017/06/18