■ 肆

一番襖から近い位置に大人しく座り、作法も何もなしにご飯を口の中へと詰め込んでいく神威君に呆れつつお茶碗に手をつけた。神威君の目の前ではオジ様も顔を強張らせる、かの有名な夜王鳳仙様が遊女に酒を注がせているのが視界に映る。本当に鳳仙様と食事を共にするとは思わなかったと、内心深くため息をこぼした。


「これはこれは、珍しいご客人で。春雨が第七師団団長、神威殿」


鳳仙様の言葉に思わず神威君を見た。待って。言葉の理解が追いつかない。待って。春雨の第七師団?オジ様が言っていた宇宙海賊春雨の第七師団?この少年とんでもない素性を隠していた。嘘でしょ?あれだけ心配されていたのに、まさか自分から関わりにいってるなんて思いもよらなかった。言い訳をするならあんな所で倒れている少年が海賊で、しかも団を率いる団長だとは思わないじゃない。
信じられない者を見る目で神威君を見ていれば、ふとこちらに鳳仙様の視線が向いた。居ずまいを正して軽く頭を下げる。


「御挨拶が遅れました。なまえと申します」

「ほう、神威の女か。それの相手は大変であろう」

「そこも彼の長所と思っておりますので」

「できた女よ」


快活に笑う鳳仙様に安堵の息がこぼれる。どうやら機嫌を損なうことは無かったらしいと胸を撫で下ろした。きょとりとこちらを見る神威君に薄く笑って、嘘のまま通しておいてほしいと唇に人差し指を立てた。


「しばらく会わぬ内に女を作ることも覚えたか、ククッ。酒か?女か?吉原きっての上玉を用意してやる。言え」

「じゃあ…、日輪と一発ヤラせてください」


嘘だとはいえ女がいると知っての鳳仙様の発言に口元が引き攣るのを何とか耐えたものの、神威君の言葉に耐えたそれが無駄になった。経験はあるんだろうけれど、それでも言い方というものがあるだろう。頭を抱えたくなった。
すらりと開いた襖の向こうで晴太君が現れ、不安そうな目でこちらを見る。安心させるように小さく笑みを浮かべれば、幾分か肩の力は抜けたようだった。だからと言って私の方は気が抜けないけれど。


「女は地獄、男は天国の吉原?いや違う。吉原は旦那、貴方が貴方のために作った桃源郷」


隣を立つ音に振り返れば、神威君が鳳仙様の脇へと腰を下ろしているところだった。ピリつくような嫌な感覚に、いつでも動けるようにと床に手を触れる。何よりも先ず安全を確保されていない晴太君をこの場から逃がさなければならない。まあ私にも安全の確保なんてされていないけれど、未来ある少年をこんな所で、母にも会わずに死なせるなんて出来ない。


「酒に酔う男は絵にもなりますが、女に酔う男は見れたもんじゃないですな。エロジジイ」


視界で捉える事ができたのは鳳仙様が腕を振り上げた瞬間だった。その一瞬の動きが、重力を感じていないんじゃないかと思う程にあっさりと神威君の体を天井へと貫いた。
遊女達の悲鳴を耳に、震えそうになる体を叱咤する。こんな所で怖がって何の意味がある。誰も助けてはくれないし護ってもくれない、どちらかと言えばこちらが護らなければいけないのだから落ち着け。息を大きく吸い込んで吐き出す。嫌な鉄の匂いが鼻をついて、ふと視界に写ったのは床の間でひらりとこちらに手を振る神威君の姿。


「貴様ら、わしを査定に来たのだろう。元老の差金だろう。今まで散々利を貪りながら、巨大な力を持つ吉原に恐れを抱き始めたかジジイ共。吉原に巣食う、この夜王が邪魔だと。ぬしらに、この夜王鳳仙を倒せると」

「あんたの出方次第だ。あんたといえども、春雨と正面から闘り合う気にはなれんだろう。よく考えて行動した方が身のためだ」


神威君に阿伏兎と言われた男に腕を引かれて、晴太君の方へと背中を押される。女の扱い方には気をつけなさいってお母さんに教わらなかったのかこの男は。軽く睨むもサラリと流される。


「なまえ姉?」

「いい?隙があったらスグに逃げなさい」

「そのつもりだったよ。けど、なまえ姉は?銀さんと一緒にいたんじゃなかったの?」

「…ちょっと面倒な子に引っ掛かっちゃったのよ。大丈夫。私もすぐに抜けるから」


小さく言葉を交わして優しくその頭を撫でて笑う。チラリと背後を確認すれば、先程よりもビリビリとした体を刺すような雰囲気に眉が寄る。まるで電気マッサージでも受けてる気分だ。
笑えない冗談に自分自身で失笑していれば、怒号と共に部屋の一角が吹き飛んだ。最早人間業じゃ無いなと思いつつ、先に部屋から飛び出した晴太君の背中を見送り、私も別方向へと走り出す。気付かれているだろうけど、自分たちの団長が喧嘩を始めて止めない部下はいない。しばらくは追ってこれないだろうと廊下を走りつつ、人気の少ない場所を目指す。


「帰ったらママに怒られるわ…」


正直それが私にとって一番怖いことだった。
騒ぎとは真逆の方向へと向かう事数分。屋敷を警備しているだろう百華は何故か姿を見る事はなく、廊下はガラリとしたもので静まり返っている。そろりと部屋を覗くも姿は疎か人気すらない。取り敢えずと中へ入って息を整えつつ、さてどうしたものかと腕を組む。


「…神威君と分かれた後じゃ、本当に身の安全が保証できないわね」


ここでの頼りは神威君ぐらいしか思い浮かばないことに大きくため息をこぼす。その神威君は恐らく戦闘狂の気があるだろうし、と考えて周囲にまともな人間がいないと頭を抱えたくなった。自分の身は自分で守れと、そういう事なんだろう。
このままじゃあ見つかって首と体がおさらばする可能性だってあるのだ。部屋の押し入れにあった物を見つつ、悩み抜いた末に手を伸ばした。もしこれがバレたとしても、ママならきっと事情を理解してくれる…ハズ。


2017/05/19