■ 弐

「ねぇ、ちょっと泣かないで。二度と会えなくなるわけじゃないんだから」

「だって…、だってなまえチャンっ!」


ヘルプ期間も無事終えて、さあ帰るぞという時にオジ様がぐずりだした。子供か。幼児退行は流石に相手にできない、範囲対象外だ。
見送りに来てくれた女の子達も釣られて泣きそうな顔をするから大事になりつつある。この商売をしていく上で、非常に珍しい程に優しい心を持っている子達ばかりで、吉原でお客様を取れるのも頷ける。だからと言ってオジ様の感情に釣られるだけじゃなく、宥める人がいてもいいと思う。このお店には即時ストッパー役が必要だ。


「ほらもう、お店の子たちも釣られそうになってるから、しっかりしなさい。オーナーでしょう」

「もおおおお!ママの馬鹿ぁぁぁ!ウチにもなまえチャンみたいな子欲しいいいいい」

「自分で探しなさい。後それ、ママに伝えておくからね」


大声をあげるオジ様を涙ぐむ女の子たちに預けて、あとは頑張ってねと笑う。頷く彼女達に慣れてるんだろうなぁと内心苦笑した。
引き止めるオジ様の声を背にお店から出て、かぶき町へと出る道を頭に思い浮かべながら歩き出す。何はともあれ無事に仕事を終えたのだから、ママに文句を言われる心配もない。むしろ褒めて欲しいぐらいだ。


「おっと、ごめんよ」

「こちらこそ」


吉原で小さな子供とぶつかった。茶髪の腰辺りの大きさの子供で、吉原で見かけるのは禿ぐらいだったから男の子とは珍しいと少しだけ足を止めてその背中を見る。歩き出そうとした時に腕をとられて振り返れば、そこには久し振りに見た銀髪の男。


「何でここにいんのお前?」

「貴方こそ。…って言うのは野暮な質問かしら?」

「違う違う。俺は一途な男だから。なまえちゃん以外眼中にねぇから」

「あら、そう」


一ヶ月間見なかった坂田さんが驚いたような、困惑したような顔でそこに居た。驚いたのはこちらもだと呆れて見遣れば慌てて弁解される。いや別に、どこへなりとも行けばいいと思うけど。掴まれた腕を払う。


「え、あの、アレですか。もしかしてヤキモチとかそんな感じ」

「調子に乗らないで」


見当違いにも程があると、口元を緩めさせる坂田さんの額を指で弾いてため息をついた。


「ももももしかして銀さんの好い人!?」

「おー。だから今盗った財布返せ」

「いつ貴方の好い人になったのよ。……盗った?」

「ごめんなさい!」


バタバタと忙しない足音と共に目を見開いて見上げてくる男の子は、さっきぶつかった男の子で。坂田さんの言葉に首を傾げれば、綺麗な90度の角度で私の財布を掲げながら謝ってきて戸惑いを覚える。受け取ればもう一度謝られて、とりあえずその茶髪を撫でておいた。


「女を買う、ね。最近の子ってませた子ばかりね」

「聞き捨てならない」

「聞き流しなさい」

「つーか何で吉原にいんのお前?流石の俺もコレは腹に据えかねるぞ?」

「貴方が我慢ならない事は一切してないわよ」


ほぼほぼ無理やり連れてこられた吉原内にある茶店。先程の少年、晴太君は何故か遊女の格好をした神楽ちゃんと新八君にどこかへ連れていかれ、仕方なく坂田さんの話に耳を傾けた。
聞けば晴太君は吉原一の花魁を買うために、私たちの間でも有名なスナックお登勢でお金を稼いでいるという。その為にスリもしていたとかで、私の財布を盗ったのはほとんど無意識みたいなものだったと。晴太君がスナックで仕事を教わっているから何か理由があるとは思っていたけど、まさか遊女を買うために働いているとは。稼いだお金のほとんどは見世に入れているらしいが、本当にそのお金を見世の者が帳簿につけているなんて信じられるはずがない。ましてやこの吉原で。眉が寄るのが自分でも分かって、すぐに気付いた坂田さんも苦く笑う。


「ま、察しの通りだろうな」

「…そう」

「なぁんだよ。何か言いたそうな顔だな?」

「気にしないで。ウチのお店にスタッフが足りてるかどうか考えてただけよ」

「なまえのそーいうとこ、本当クセになるな」

「ありがとう」


くるりと人の髪を指で遊ぶ坂田さんの手を払いつつ、運ばれてきた団子に手を伸ばす。程よい甘さに頬が緩むのは仕方ない。
ふと聞こえてきた背後に座る男二人の声。どうやら晴太君がお金をつけている見世の者らしく、聞くところによると帳簿につける所か全て使ってしまっていると。男の笑い声に気分は悪くなった。
笑い声が突然糸を切ったように消えた事に振り返れば、男二人が長椅子の下で意識を飛ばしていて、坂田さんへと視線を寄越せば腰に提げていた木刀を肩に預けつつ団子の串を咥えている。


「存外、貴方もいい男ね」

「惚れた?」

「馬鹿」


ヘラりと笑う坂田さんに呆れつつ笑みがこぼれてしまうのは、少なからず彼に毒されているのだろう。遠慮なく男の懐から財布を取り出す坂田さんに何も言わずに、茶店の店員にお会計を頼めば黙って首を横に振られた。


「金のねェ奴はどうやって日輪に会えばいい」

「日輪はこの吉原で最高位の太夫、よほどの上客でなければ会えません。この吉原桃源郷は地上とは別の法で縛られた一個の国。地上の常識は通じません。ルールに従わなければ、二度と地上に戻れなくなりますよ」

「…酷い脅しね」

「ワリーな。俺ァ上でも下でも、てめーのルールで生きてんだ」


強い力で体を抱かれたのは一瞬で、耳が痛くなる程の轟音と強烈な浮遊感に固く目を閉じた。何かがぶつかった音に恐る恐る目を開けば、店員が店先で倒れていて状況を把握する前に手を引かれる。周囲が騒ぎ声を上げる中で、前を走る坂田さんだけが唯一全てを理解している人で、私が知っているのは何かとんでもない事に巻き込まれたというだけだった。


2017/04/28