■ D

定春と呼ばれた大きな犬の頭を撫でていれば、坂田さんに意味のわからない質問をされた。坂田さんなんて貴方以外の誰がいるのか。友人やお店の子達にも坂田性を名乗る人はいない。


「…帰るわ」

「送る」

「気にしないで。坂田さんは他にすることがあるんでしょう?」

「ツレねー事言うなって」


仕事はどうしたのかと呆れつつ、自然と肩を抱こうとした手を摘みあげた。カラカラと笑う坂田さんは嫌に上機嫌で、反対を歩く定春くんは未だ坂田さんに対して警戒している。一応坂田さんの飼い犬でもあるはずなのにどういう事なのか。懐かれないって大分寂しいことだと思うけど。


「お店に帰るだけよ。来るなら開いたときに来てくれる?」

「同伴はねぇのか?」

「お仕事をちゃんとしない人は嫌いよ」

「それは困る」


残念そうに笑って肩を竦める坂田さんに手を振って、お店へと帰る事にした。定春くんも何も言わずに付いてきてどうしようかと内心頭を抱える。こんなに大きな犬をお店に入れて、ママは許してくれるだろうか。従業員の女の子たちは大丈夫にしろ、お客様がきっと驚くだろうし、というか何故面倒を見る前提で考えているんだろう。神楽ちゃんのペットなら坂田さんに預けておけば良かったじゃない。坂田さん、ちょ、カムバック。


「アンタが銀の字が言ってたなまえか」

「お爺様、見間違えてないかしら?」


ゴーグルをしたつなぎ姿のお爺様が定春くんの前に立っていた。如何にも何かを発明していますと言ったような風貌だけれど、定春くんに向かってその言葉を言うにはちょっとボケ過ぎてはいないか。思わず口元が引き攣ってしまう。


「過労でな、目が疲れてんだろ。いやそんな事はどうでもいい」

「あの、だから、私はこっち」

「銀の字に頼まれてんだ。なまえを安全な場所にってな」

「銀の字が誰か知らないし、そもそもそっちは私じゃないんだけど」

「何だァ?野郎はアンタと話したって…。ああ、金時か。会ったんだな?」


漸くこちらを向いたお爺様にため息をつきつつ頷けば、そちらも深い息を吐き出した。
連れてこられた家屋には、名前の分からない機器や家電製品を改造した物等が山ほどあった。平賀源外さんと言うらしい。平賀さんが言うには、私の今知っている坂田金時という男は平賀さんが作ったと言われる絡繰らしく、現在のかぶき町を洗脳で操っているという事らしい。にわかには信じられない話だ。


「それを信じろと?」

「信じろとはいわねぇが、金時の言葉を鵜呑みして信じるなんて事は無くなっただろう」

「…それが目的?銀の字さんとかいう人の」

「そういうこった」


カラカラと笑う平賀さんの楽しそうなこと楽しそうなこと。ただ話を聞いた限りでは、平賀さんも自分が作った絡繰に洗脳されてるということになる。馬鹿なんじゃないのか。思わず口をついて出た言葉に「同じ事を銀の字にも言われた」と。今はまだ思いも出せない銀の字さんとは仲良くなれそうな気がした。


「まあ直ぐに片はつくだろう。そん時はアンタにも来てもらうぞ」

「私?」

「男ってのは単純でな。惚れた女には笑って出迎えてほしいもんなんだよ」

「よく知ってるわ。だから、情けない姿は惚れた女には見せたくないわよね?」

「……金が無くなるまでクラブ通いする男の気持ちが今分かったぜ。ま、アンタはその中でも上玉らしいが」

「あら、お上手。今度お店に来たらサービスしてあげるわ」


肩を竦める平賀さんに笑って、戸口で体を落ち着かせていた定春くんの頭を撫でてお店へと向かう。始業の時間までにあと残り少ない準備を済ませてママ達を待たなくてはならない。
先にお店の扉を開くのはよく知る金色か、未だ思い出せない銀色か。どちらにせよ、笑って出迎える準備は出来ていた。


2017/02/02