■ ◯◯しないと出られない部屋

目を開くと目の前に何とも間抜けな顔をして寝ている坂田さんがいた。驚き過ぎて体が固まってしまう。息も止めてしまうぐらいには驚いて、ゆっくりと呼吸を始めて落ち着きを取り戻す。
体を起こして辺りを見回せば、そこは目が痛くなりそうな程に真っ白な部屋だった。大人二人が入っても窮屈感を感じさせないそこそこ広い部屋。家具は何も置かれておらず、部屋の中は明るいのに電気すらない。
飲み過ぎたのかと昨夜のことを思い返しても、酔い潰れるほど飲んだ覚えはなく、しっかりとした足取りで帰路についたはずだ。当たり前の如く坂田さんが付き添いをしてくれたから不審者に遭遇したという事も無かった。


「……痛い」


横を向いて寝ていたからか、体の節々が痛む。硬い床で寝転がされるとは何とも失礼極まりない。羽毛布団を所望する。


「……ああ、夢か」

「おはよう、坂田さん。夢ならもう覚めてるわ」

「そこは名前で呼んで欲しかった」


掠れた低い声に顔を僅かに下に向ければ、気怠そうな赤い目がこちらを捉えていて苦笑。目にかかっている銀髪を払い除けてやれば猫のように擦り寄ってきたので、額を軽く叩いて窘める。そこそこの緊急事態なのだ、お店ではないのだから甘やかしてはやれない。
私と同じように体を起こして辺りを見た坂田さんは、怪訝そうな顔でこちらに視線を戻した。


「なまえちゃんヤンデレの気質あったっけ?」

「私が貴方に病んだ行為をした事なんて一度もないわよ。まだ夢見てるの?さっさと起きて」

「いや、でもよ」

「でもも天パもないの」

「いや、天パはあるからね。残念な事に俺の頭部から微動だにしてないからね」


自分で言って軽く凹んだ坂田さんを一瞥して、もう一度部屋を見回してみる。変わらず真っ白な部屋。隣の坂田さんも銀髪だし、真っ白な着流しを着ているからこのまま同化するんじゃないかと馬鹿なことを考える。所詮現実逃避というやつだ。
そうして数秒、見渡していて気付いたことがあった。


「窓がない」

「扉もねぇな」

「何この部屋。どうやって出るの?」

「部屋っつーより、箱みてぇだなァ」


坂田さんのヤンデレ発言はこういう事だったのか。だからと言って笑えない。窓もなければ、出入口である扉もない。異様なこの部屋を部屋とは言えず、坂田さんは箱みたいだと言う。言い得て妙だ。
壁に手をついて四方をぐるりと周り違和感を探してみるも、凹凸の一つもなく綺麗な壁。
すらりと引き抜いた木刀が耳によく響く音を立てて振り下ろされる。傷一つつかないとは、どういうメカニズムなのだろうか。


「おいおいおいおい、マジかよ。こんな美味しい状況を用意してくれたからって流石の銀さんでも躊躇うよ。だって閉じ込められてるってことは誰かに見られてるってことがない訳ないんだからね。プレイの一種なら有りだろうけど互いの同意が必要というか。プライバシー問題ってのがあるからね」

「本当にどうしようもない男ね、貴方って人は」

「いだだだだだ」


いつもより数倍口数の多い坂田さんの耳を引っ張り反省を促す。頃合を見て離した耳はほんのりと赤みを帯びていて笑ってしまった。笑い事じゃないのに。思った以上に動揺せずに済んだのは坂田さんのおかげだと思う。だからと言って感謝を口にはしないけど。


「お?」

「何?」

「いや、何か紙が…」


坂田さんが所在無さげに着流しに腕を入れて、気付いたように一枚の紙を取り出す。二つに折り畳まれたそれを広げて数秒、坂田さんは躊躇いもなく破り捨てた。何をしてるんだろうかこの男は。


「ピンクチラシでも入れてたの?」

「なまえは俺がピンクチラシを大事に懐にしまってると思うのかよ」

「それを好んでたお客様が入れてたのを忘れて、取引先に名刺と間違えて出したらしいのよ」

「一生心に残る傷だわ。生きてけねぇよ」


引きつった顔をする坂田さんに話をすり替えられたと気付いたのはすぐで、ため息をこぼしながら部屋と同じ白い紙片を拾う。文字が書いてあるのはわかる。だがしかし、ビリビリに破き過ぎではないだろうか、今のところ大事な情報源だというのに。
何とか読めたそれは、あまりにも簡潔に書かれた言葉だった。


「『キスをしないと出られない部屋。なお、この部屋から無事に帰途につきたければ実行せよ』」

「……」

「……」

「……」

「…ええ、そう。…そういう事」


思ったより部屋に響いた自分の声に驚く。険しい顔つきで私の手元の紙片を見る坂田さんの表情に納得した。流石に、悪巫山戯が過ぎるんじゃないだろうか。最後の一文に限っては、完全に脅しに来ていると言ってもいい。


「悪い」

「謝らないで。貴方に謝って欲しいわけじゃないわ」

「いや、そうじゃなくて」

「?」

「……ちょっと下心を持ちました、とか…思ったり思わなかったり」


どうやら険しい顔はニヤけそうになる顔を隠すためのものだったらしい。欲に素直と言うべきか、なんにせよ本当に馬鹿な男だ。視線を逸らしつつ私の様子を伺っているのは分かり、呆れつつも坂田さんに手を伸ばしてやる。困惑した表情を浮かべながらもその手を取ってくれた坂田さんにやんわりと微笑んでみせた。


「これで我慢してね」

「は?」


ちゅ、と何とも可愛らしい音を立てたのはサービスと思ってほしい。坂田さんの無骨な人差し指を唇の前まで引き寄せて口付ける。所謂、キスというものだ。息を呑む音が聞こえた。
途端にビシリッと先程坂田さんが木刀を振り下ろした場所から軋む音。次いで真っ白な壁に亀裂が走り、騒々しい音と共に壁を壊して飛び込んできたのは眼鏡の少年とオレンジ色の髪の少女だった。


「銀ちゃん!なまえちゃん!」

「二人とも大丈夫ですか!?」


焦燥感に似た叫び声をあげる二人には悪いのだが、危険なことなど何も無かった。坂田さんと私に何も無いと知って安堵の息をこぼす二人に、声をかけようとして遮られる。勿論のこと、坂田さんに。抜けていた大きな手の力が急速に戻り、些か乱暴に掴み引き寄せられた。目の前にあるのは赤い目で、射抜くようなそれをただ見つめる。


「先に仕掛けたのはなまえだ」

「これは、紙に従った行為なだけで」

「好きな女に煽られて、男が我慢できると思うのかよ」

「…できないのね?」

「できねぇよ。俺はそこまで大人しくもねぇし、紳士でもねぇ」


獰猛な笑みを浮かべる坂田さんに目を奪われる事になるなんて思いもしなかった。何をされるのかと身構えていれば、言葉や私の手を掴む手とは裏腹に優しく額に唇を落とされる。新八くんと神楽ちゃんが「おおっ!」と何故かガッツポーズをしているのが視界の隅に見えた。


「……ああ、やっぱ。可愛い顔してんな、なまえ」


赤面しているであろう私の前で笑うこの男に、初めて負けたと思った瞬間だった。


2016/11/23