■ 四男である僕の話

いつものパーカーを着て、マスクを目の下まで上げて、ズボンに手を突っ込んで外に出る。ギラッとまるで僕に牙を向けるように光る太陽様々が鬱陶しい。いやまあ、そんな事を考えるなんて僕は何様だよってね。働く人様にとっては大切なもんなんだろうけど僕には関係ないっていうか…。あ、でも姉さんにとっては大切なもんなのかな。なら素直に謝っておこうかな。ごめんな太陽、文句いって悪かったよ。
太陽に文句を言う僕に、じゃあ外に出んなよって思う人もいるかもしれないが違うんだ。これにはちゃんと理由がある。というかそもそも僕は太陽が嫌いなわけじゃない、ただちょっと仕事し過ぎじゃないかと思っただけで。今そんなことはどうでもいいか。理由だ、理由。僕が外に出なくちゃ行けない理由。


『ちょっと下まで来れないかな?』


といった連絡が来たのだ。誰って、んなもんなまえ姉さんからの連絡に決まってんだろ。下っていうのはアレだ、職場の下までって意味だ。
わざわざトークアプリ内にあるグループではなく、僕個人を選んで送ってきてくれた言葉に舞い上がったのは数分前。誤送信とかじゃないよなと思いつつ『すぐ行く』と返信して、少しばかり寝癖を整えてから外へ出たというわけである。なまえ姉さんが僕らに何かを頼る事は稀だから、こういった事にはすぐに返事をしないといけない。勿論返事は全てYESだ。断る事はほぼない。


『平気?今日は猫のご飯はいいの?』

「……天使かよ」


僕のことをちゃんと考えてくれている言葉に思わず顔を覆った。周りから見たらもう大変な不審者だ。…いつも通りか。
言葉の後に送られてきた猫が首を傾げているスタンプに口元がニヤけて、マスクしててよかったと心の底から思った。なまえ姉さんホント彼氏いないことが奇跡だろ。なんで周りの男は放っておいてんのかさっぱり分からない。理解に苦しむ。当たり前だろ、僕らがそれらしきもんは全部排除してんだからいる訳ない。ヒヒッ、どーせ僕らはクズなんで。


「あ、いた。……なまえ姉さん」

「!」


どうせもう姉さんの職場の近くだからと返信しなかったのがダメだったんだろうか。少し離れた距離で聞こえるか微妙な声で声を掛ければ、勢いよくこちらを向いて物凄いスピードで飛んできた。正直驚いて変な声出た。
姉さんの両腕ががばっと首に回って一気に密着する体に、ホントに死んでもいいかもしれないと思った。だが死なぬ。このまま死んだら未練たらたらのまま化けて出ちゃうよ。勿論なまえ姉さんの前に化けて出てやる。驚いた顔も怯えた顔も絶対可愛いし、興奮とか絶対する。なんて馬鹿なことを考えて必死に落ち着きを取り戻しながらも、なまえ姉さんを抱えようとした腕は誰がどう見ても震えてた。


「ね、姉さん…。どうしたの、なんかあった?」

「……意外。一松、ぶっ倒れなかった」

「え、あ、やっ、それはまあ…一応僕も男だし」

「……うん。そうだね」


ぎゅうっと息がしづらくなるぐらいには喉を絞められているけど、姉さんはわざとやってるわけじゃない。無意識だ。…これはこれでなかなか快感だった。
変に興奮するよりも前にその背中をぽんぽん叩いて名残惜しいけど離れてもらう。流石に姉弟といえども公衆の面前で抱き合うなんてことはダメ。正直見せびらかしたい気持ちもあるにはあるけど、姉さんの職場の近くだしこれが原因で迷惑をかけるなんて以ての外だ。上三人のクソ兄貴に怒られる。…怒るだけで済めばいいけど。


「どうしたのなまえ姉さん。何があったの」

「うん。…ちょっと嫌なことがあって、どうしても一松の顔が見たくなった」

「あ、う、……そっ、そっか…」

「あ、ちゃんと休憩中だから、気にしないでね」

「うん」


違うそれじゃない。僕が聞きたいのはそれじゃない。
先ず嫌なことってなんだ、何かされたのか。誰だ殺すぞ。兄弟総出で家の財産まで分捕りにいくぞ。
後僕の顔が見たくなったって何。何なのそれは、どこで覚えた口説き方なのそれは。心臓がさっきから痛いんですけど。もう口から出てきそうで困る。


「……僕の顔見たくなったの?」

「そう」

「どうしても?」

「どうしても」


ああああああっ!!!僕の姉さんがこんなにも可愛い!!!今なら街の中叫びながら全裸で走れる気がする。マスクで大半隠れてるだろうけど絶対顔赤くなってる。


「ちょっとねぇ、……思い出しちゃって」

「……ああ、うん。そっか」


きゅっと指先で僕の手を握ってくるなまえ姉さんは微かに震えていて、興奮やら赤くなっていただろう顔なんてすぐに治まる。
思い出したらしい。思い出してしまったらしい。最大にして最悪の僕らの過去の一部。姉さんがクソ共に暴行を受けた、姉さんにとっても僕らにとっても嫌な記憶。


「うん、へへ。…ごめんね」

「なんで姉さんが謝るの」


泣きそうな顔で笑う姉さんを引き寄せて抱きしめた。公衆の面前とかこんな時にそんなもん関係ない。姉さんのメンタルケアが一番大事だ。
なまえ姉さんが彼氏や特定の男を作らないのはこれも原因だったりする。ほとんどが僕らの妨害のせいだけど。
何かの拍子にふと思い出して、何もできない状態になってしまうらしい。…確か医者がそんな事言ってたか。


「今日はどうするの。もう帰る?」

「……ん、どうしよう。そうしちゃおうかな」

「……言える?」

「うん。上司は女の人だし、私がこんな事になるのも話してあるし」

「じゃあ待ってる、から…準備してきてよ」


落ち着かせるように背中を叩いて顔を上げた姉さんの顔を覗き込む。うん、大丈夫っぽい。
背中を向けるなまえ姉さんに顔の横で手を振りながら、深く深くため息をこぼして携帯を取り出す。トークアプリ内の僕ら六つ子のみのグループを開く。


『なまえ姉さんが思い出しちゃったから今日は帰る。迎えは僕が行ってるからいらない』

『え、様子は?なまえ姉さん大丈夫なの?』

『今の所大丈夫』

『やっぱもうちょい締めるべきだったよな!』

『だがあれ以上やると死んでたぞ』

『そう言うカラ松も止めるの大変だったんだからな』

『姉さんだいじょうぶでっかぁぁぁ!!!』


一気に騒ぎ出す五人の兄弟の会話を見ながらも、表情筋が一切動いてないのがわかった。ああ、駄目だ駄目だ。こんな顔してたら姉さんに心配かけさせちゃうな。でもきっと今騒いでいるコイツらも一切の表情筋が動いてないんだろうな。
全員が外に出てるから今頃家に向けて足を動かしているんだろう。なまえ姉さんは鬱陶しいぐらいアイツらに愛されてますからね。…僕も含めて。


「一松、帰ろう」

「うん。……姉さん、トド松がケーキ買って帰るから何にするって聞いてる」

「ホントに?じゃあショートケーキがいいかなぁ」

「ん、伝えとく」


実際そんな会話は無かったけど『姉さんがショートケーキ希望』と携帯に打ち込む。どうせ五人全員が買って帰ってくるだろう。家に着いてたとしてもたぶん近場のコンビニとかで買ってくるに違いない。


「ね、一松」

「……ん」

「ありがとね、好きだよ」

「……僕も好きだよ」


気を遣ってくれてありがとうとか、多分そんな意味なんだろうけど僕はそれでも全然構わない。今は。
優しくその髪を梳いてやれば、嬉しそうになまえ姉さんが笑った。


2016/03/23
だって僕には皆がいるから。