■ 信用に値する人物であるか?

この人は昔から今にかけて苦労して、そうして漸く「最強」になるんだろうな。七海の少し後ろでその姿を初めて見た時に唐突にそんなことを思った。苦労してる、なんて私の考え過ぎで実際は全くそんな事思っていないのかもしれないけれど。私の脳はその次に彼の容姿が美しいものであることを理解した。他人の美醜など大して気にならない質だと思っていたけれど、彼はそんな考えも吹き飛ばす程に美しい人であった。少なからず、変に意識してしまうぐらいには。

「初めまして、これからよろしくお願いします」
「え、弱そう」

第一印象は大切にしようという私の気持ちとか先程の意識とかその他諸々を盛大にぶち壊してきた。引き攣りそうになる口角を何とか留めて笑顔を保ち「精進します」と返すことで上手く躱す。声は震えていたかもしれないけど。その後五条先輩は「ン」とだけ答えて去って行ってしまったので、私の中で彼は苦手な人としてカテゴライズされた。
まあ、確かに。五条先輩のように反則級の術式と六眼がある訳でもない私は弱いと思う。しかもあの六眼は術式を視るというのだからチートもいい所だ。改造コードとかサイテー。PARは非公認。いいね?
さてその弱い私の術式は説明が面倒なので色々省くが、簡単に言うと対象の水分を一気に絞り取る事だ。負の感情から生まれる呪霊に水分なんてあるのかと言いたい事があるのは分かるが、呪霊は何も負の感情だけで生まれている訳では無い。だってアイツ等、血が出るじゃないか。分かるだろうか、血だって元を辿れば水分である。私はそれを強制的に抜き取り祓う。現在考えているのは空気中に必ず存在する水分をどうにか出来ないかという点だ。まァそれはおいおい考えるとして、制約はあるが殆ど呪霊の接近も許さず発動するその術式を五条先輩は「弱そう」と言ったのである。規格外の術師はやっぱり違うな。
もう見えなくなった背中に息をこぼし、いつの間にか隣に並んでいた灰原はにっこりと笑う。

「先輩とのファーストコンタクト大成功じゃん」
「大丈夫?眼科行く?」
「いや、あれは大成功だったでしょう」
「七海??嘘でしょ???」

灰原とは逆隣に並んだ七海に思わず顔を顰めてしまった私。どこの世界に「弱そう」と言われてファーストコンタクト大成功となるのか。術師ってそういう所も規格外なのか。
その後、先輩ショックを抱え震えながら夏油先輩と硝子先輩に挨拶したのだけれど、この二人は私が思っていた通りの挨拶を返してくれてやっぱり五条先輩がおかしいんだなと言う結論に至った。何故か夏油先輩には「悟がごめんね」とかお母さんみたいな事言われたけど、苦手な人入りしてしまって正直関わりたくないという思いがあったので曖昧に笑って誤魔化しておいた。幾ら顔が良くても私の好みの顔とは違う系統なんだよなぁ。
そんなこんなで先輩との顔合わせも終わり、任務にも駆り出されるようになった頃。と言っても二級の私達は先輩達とよく任務に行くことが多く、その度私は何故か五条先輩に辛辣に絡まれることが多かった。夏油先輩と灰原が微妙な顔をしながら、七海が呆れたように溜息をつきながら助けてくれると言うのが習慣になって、呪霊を祓うより五条先輩が厄介過ぎて泣きたい。一番ヤバイのは現地で灰原達と別行動する時だ。「弱そう」な私は大体五条先輩と行動を共にし、呪霊を祓う迄はほぼ二人きりの状態である。キャッ!五条先輩と二人きりっ!とかそんな甘い雰囲気はもちろん無く、道中毎回の事ながら私に対する苦言だったり暴言だったり、思わずよくそんなに誹謗中傷の言葉が出てくるなと感心してしまうぐらいだ。

「俺の前に出んな雑魚」
「すみません」
「術師はただでさえ少ねぇんだよ。お前みたいなのでもいなくなったら盾にもならねぇだろ」
「そうですね。弁えてるつもりです」
「子守りやりたくて任務受けてる訳じゃねぇんだよ。面倒臭ぇ、一人で祓えよコレぐらい」
「前に出るなって先輩が、」
「ア゛?」
「何も言ってないです」

短く抜粋してもこんなもんである。いやぁ、思ったより口悪いな五条先輩って。それにしても嫌われたものだ。いやまあ私も五条先輩は苦手だから特に先輩に対しては何とも思わないんだけれど、流石に言葉の暴力は気持ち的に下がるというか。ほら、知らない人からの暴言って気にしない人は気にしないだろうけど、私は気にしてしまう人だからさ。テン下げって奴だ。
灰原達とも無事合流したその帰り。街行く女性が彼を見て赤面し、黄色い声を上げて手を振る様子を遠目から見た灰原が「顔面エレクトリカルパレード」と言い出した時には流石に七海と吹き出して笑った。七海の後ろに隠れて笑ったからバレてなかったけど、夏油先輩は聞こえてたのか肩を震わせてた。
男と女ではやっぱり扱い方が違うんだろうな。そして女性の扱いが上手いのは圧倒的に夏油先輩で、五条先輩はそういうのは全部彼に任せていたんだろう。あの顔だし、面倒な嫁取り合戦みたいな事も過去にあったんだ、きっと。だから私に対しても辛辣に対応してくるし、昔しつこかった女に似てたとかそういう理由。じゃないとやってらんない。私は打たれ弱いのだ。長いため息を零せば、私の治療に当たっていた硝子先輩が「どうした?」と少し微笑みながら言う。

「いえ、ちょっと疲れてて」
「まだ入学したばかりでそんなハードスケジュールでもないだろ」
「いや、五条先輩との任務がベリーハードなんですよ。呪霊はイージーでもその間の五条先輩との会話で精神疲労が凄い」
「まあそう言うな。アレは初めての女の子の後輩に戸惑ってるだけなんだ」
「……そうなんですかねぇ」
「私の言葉は信用ならないか?」
「硝子先輩を信用しなかったことは無いです」

とある日の任務後。呪霊との戦闘で負った腕の傷を治し、美しく微笑んだ硝子先輩は「ありがとう」と零して優しく私の腕を撫でた。少し油断して負った怪我はそこまで深くはなく、血は吹き出したがそこまで痛くなかった。けれどあの時の五条先輩の顔と言ったらもう思い出したくない。呪霊が掻き消えるように祓われ、情けなくも体勢の崩れた私を五条先輩はゴミを見るように見下ろして「愚図」とだけ言って背を向けた。弱そうな私はせめて足でまといならないように、それなりに必死に戦っていたんだけれどな。なかなか報われないものだ。報われたことなど今の一度も無いけれど。また一つ零したため息に気付いた硝子先輩は少し目を細め、落ち着くまでここに居ていいと優しく頭を撫でてくれた。五条先輩との温度差に風邪を引きそう。自惚れかもしれないが硝子先輩は私に甘い節がある、というか大分甘やかしてくれる。飴と鞭の均等を考えてみたがどうしたって鞭が荒縄なんだよな。なんなら棘付いてそう。何それ拷問?甘えてばかりいられないと硝子先輩に首を振って外に出て、そうして早くも硝子先輩が恋しくなった。

「報告書、名前書き忘れ」
「ぁ、ごめ、いやっ、すみません!私が持っていくので、先輩は戻ってくれて大丈夫です」
「は?当たり前だろ。ホラ」
「すみませんっ。お手間を取らせてしまって……」

部屋を出て暫く。廊下を歩いていたら五条先輩に報告書を手渡された。これ以上機嫌を悪くさせないようにと言葉を選んでいたら、変に噛んでしまって渋い顔をしてしまう。結局五条先輩は眉を顰めて歩いて行ってしまったし、報告書を握りしめる私は跳ね上がった心拍数を落ち着かせるために大きく息を吐いた。今日も疲れたなぁ。
早く一人で任務をこなせるようになりたい。そう考えたのは、複数人で任務に行くのが少し苦手になってきた時だった。灰原や七海みたいに連携が取れたらいいんだろうけど、私の術式ではどうしたって単独の方が動き易いのだ。水分絞りとる術式に逆にどうやって連携を取れというのか。先生はそれが課題だとか言いそうだけど。術師も面倒だなぁなんて独り言ち、慌てて思い直すように頬を張る。思ったよりいい音がしてヒリヒリ痛みを訴える。やり過ぎた。

「何で頬赤くなってるの?」
「戒め」
「カッコイー」
「何となくで感心するな」

灰原は赤くなった頬をつつき、七海は保冷剤を頬に押し当ててくれた。ありがたいけど直に押し付けるのはどうかと思うよ、凍傷になったらどうすんの七海コラ。本当のことを言うのは流石に恥ずかしいので虫が止まったと言っておいた。余計疑われた。やっぱりこの二人は同期ということもあって凄く落ち着く。「一生一緒にいてくれや」と二人に言ったら灰原は「見てくれや才能も含めて」とリズム良く口遊み、七海は「愛を持って俺を見てくれや」と棒読みながらも乗ってくれた。愛した。これだけで私頑張れるよ、ありがとう二人とも。ルンルンで座学をこなし、五条先輩からの暴言にも耐えながら任務を終えた私は、過去最高に輝いていたと思う。

「あれ、なまえ、今日は元気だね」
「何言ってるんです夏油先輩。私はいつでも元気じゃないですか」
「任務終わりはいつも死にそうな顔してるからさ」
「分かってるなら助けてくださいよぉ」
「うーん、私も頑張ってるんだけどね。答えをあげた所で認めないだろうし、何より癪だから」
「……トンチか何かですか?」

不思議そうに声をかけてきた夏油先輩は私の返事ににっこりと胡散臭い笑みを返してくれた。馬鹿にもわかるように説明して欲しい。硝子先輩と同じく夏油先輩も私に甘い人で、けれど五条先輩を止めてくれたことは一度もない。意味の分からないことを言わないで積極的に可愛い後輩を助けるべきだと思う。二人で最強なのだから片割れが暴走してたら宥めるのが基本なのでは?眉を顰めたら楽しげに寄った皺をグイグイと延ばしてくる。構われるのは嫌いでは無いのでそのままにしていたら、五条先輩がやって来て凄い形相で睨まれてしまった。夏油先輩を探しに来たらしいが、まあ確かに好きな奴と嫌いな奴が仲良さげにしてるのを見て気分が良くなる事は無いだろう。素早くその手から逃れ「失礼します」と一礼して背を向けた。後ろから「廊下は走らない」と夏油先輩が笑いながら声を掛けてくれたけど、何も言えなくて後日謝ろうと小さくため息をついた。
初夏に差し掛かり、長袖では少し汗をかくようになってきたそんな頃。愛する二人が出張という名の呼び出しで沖縄に行ってしまったのだ。何やら護衛任務を授かった先輩方のお手伝いに行くのだとか。お土産買ってくると笑った灰原と、期待しないで待ってなさいと浮かれる灰原の頭を叩いた七海に一つ頷き返事を返した。まあ、なんだ、呼ばれることが無いのは分かってはいたけど、灰原達が呼ばれるならとほんの少し期待した部分はあったというか。今更言っても仕方ないことか。大人数だと動きにくいかもしれないし、何かやりたい事があったのかもしれないしな。

「天元様の星漿体である天内理子の死亡を確認」

それは最強である二人の先輩達の任務失敗を意味する言葉だった。正直信じられなかったけれど、傷だらけの先輩達が天内理子らしき遺体を抱えて帰って来たのを見て理解してしまう。遠目からだったけれど灰原や七海も苦虫を噛み潰したような顔をしていて、あの最強達をそこまで追い込んだのは何だったのかと息が詰まる。
その夜、私は七海に貸していたノートを取りに部屋に向かう途中、窓の外に見えた暗闇に浮かぶ白に思わず渋い顔をしてしまう。見なかった事にしようかと思ったけれど、薄着の五条先輩にぐぅと喉が唸り声を上げる。初夏とはいえ夜はまだ少し冷えるし、ノートはまた後日返してもらえばいいし、それより先輩が風邪を引く方が大変だ。主に術師的な問題で。共用スペースに放り投げられていた誰かのブランケットを手に、サンダルを履いて外に出た。……までは良かったんだけれど、背中を向けた先輩を前にどう声をかけていいか分からず、視線をさまよわせてたっぷり悩んだ挙句、持っていたブランケットを広げて先輩の肩へ投げ掛けた。あまりにも無礼。

「は?」
「ひぇ、いや、あの、風邪引くかもしれないと思って……、すみませんっ」
「……」
「あの、その、っ、失礼します」

振り返った先輩の目がこちらを捉える前に視線を逸らし、震えそうになる体を耐える為に腕に爪を立てる。大丈夫大丈夫、まだ何も言われてない。何も言われないことが逆に不安になって、早々に退散しようと走り出す前に無言で腕を取られた。震えたのは伝わっただろうに、五条先輩は有無を言わさず引き摺り寄せてそのまま腕に囲んだ。体が竦む。背も高く体格もいい先輩に抱き締められると「圧殺」という二文字が頭に浮かんで血の気が引く。私の目は先輩の服しか映らず視界は使い物にならない、抱き締める力もなんか強くなってる気がする。いや気じゃなく強くなってる。え?これマジで死ぬ。けふっと肺の中の空気が押し出され、呼吸も苦しくなってきた所でピタリと腕の強さが止まる。苦しいことには変わりないけど。

「弱っ」
「こ、これでも鍛えてますっ」
「ハァーーー……、雑っっっっ魚」

反論も容赦ない言葉に一刀両断された。切れ味の変わらないただ一人の先輩。需要が無い。こんな事なら気にして外に出なければよかった。七海からノートを返してもらって大人しく部屋で寝れば良かった。後悔する私に先輩は容赦なく「ウザい」だの「迷惑」だの言ってくるし、だったら離してくれと思わなくはなかったけど、また何か言われるのが怖くて黙り込む。耳を塞げればまだ良かったけれど、生憎先輩の腕が邪魔で使えないのだ。泣きたい。散々私に文句という名の暴言を吐き捨てた先輩は、満足したのか「ブスがしゃしゃんな」とまあ大分女に対して失礼過ぎる事を言って寮へ戻って行った。軽く咳き込みつつ、やっぱり来るんじゃなかったと二度目の後悔に肩を落とす。精神的に疲労を抱えながら部屋に戻り、気落ちしたままベッドに潜り込んだ。そう言えばブランケットは先輩の肩に掛けられたままだったことを思い出し、誰のか知らないけどごめんなさい許して、私にはあの先輩から取り返す勇気も度胸もない。
緑一色だった山が僅かに紅く彩り始めた頃。私の術式に進展が見えてきた。と言っても空気中の水分どうこうではなく、抜き取る量を操る事が出来るようになったと言うだけだが。以前は全てを搾り取っていたのだけど、徐々にそれを調整し、ゆっくりと呪霊が干からびる姿を見ることができるようになった。いやこれ進展なんだろうか。硝子先輩には呪霊の解剖に役立ちそうとブラックなことを言われた。人型の呪霊であればほぼ人間と同じ様に指先、口、髪の先から異変が起こり、乾燥し切ったところからボロリと崩れ始める。本当に連携に向いてないな、この術式。空気中の水分も何か出来ないか試してはいるが、こちらは範囲が広大すぎる故か上手くいかないのが現状だ。対象の周囲にある水分だけを扱うには器用さと繊細さが求められ、割と大雑把に事を済ませてしまう私としては厳しい問題だった。というかこれが出来れば、冬の乾燥対策とか女性にとって嬉しい事しかないのでは?やるっきゃない。

「初めて見た」
「え、あぁ……、まだ調整中なんですけどね」
「呪霊ってあんな風に干からびるんだね」
「まあ、体内の水分抜き取ってますから。はは、気分は良くないですよね」

今回の任務は夏油先輩と二人で向かった。調整も兼ねて考えていた術式を発動してみたが、空気中の水分は一箇所に集まって一つの雫になり地面に吸い込まれた。失敗と察した瞬間に切り替え、いつもの要領で体内の水分を抜き取っていく。ゆっくり取る分にはもう問題無さそうだ。徐々に干からびる呪霊の姿を見るのは初めてだった夏油先輩は、目を丸くして興味深そうに眺めていて苦笑してしまう。ところが夏油先輩は「いや別に」と返し、何か考えるように呪霊がいた跡を一瞥して私を見た。

「非術師に使ったことは?」
「無いですよ!私、呪詛師じゃないです」
「だよね。それは人と同じ崩れ方をするのかい?」
「試したことは無いですけど、人型の呪霊は指先や唇、皮膚から崩れてましたね。こうして聞かれるの新鮮です。あまり気持ちのいい祓い方じゃないから」
「……私は呪霊を食べてるんだけど」
「あぁ、アレ凄いですよね。ゲームやアニメの召喚士みたいでカッコ良くて。胃も強靭で……すみません、滅茶苦茶他人事なので失礼なこと言いましたね私?」
「くっ、ははは、なまえは嘘つけない子だな。包み隠さずって言葉が良く似合うよ」
「馬鹿にされてますか?」

呪霊をミイラにする私と、祓った呪霊を取り込んで使役する夏油先輩ではどう考えても夏油先輩の方がカッコイイ。ポロッといらん事を言った気がして慌てて謝れば、笑いながらポンポン頭を撫でられた。灰原にバレたら嫉妬されそう。何はともあれ任務は終わったのだ。今日は五条先輩は単独任務らしいし、ご飯行きませんかと誘ったら「デート?」とからかわれた。癪に障って嫌ならいいですと背中を向けたら笑いながら引き止められる。ふてくされた顔で振り返った私の頬に指がささり、余計イラッとしたけど先輩は楽しそうに笑っていて。その顔になんだか毒気が抜かれてしまい、仕方ないので焼肉で勘弁してあげる事にした。先輩のお金で。灰原には絶対に隠し通そうと思う。
座学と任務、どちらか一方が多くなる事はままある。季節と任務の人数にもよるけれど、大抵任務に出なかった人は座学を取らなければいけない。まあ学生だし当然っちゃ当然なんだけれど。今日は先生も急ぎの用があるらしく、帰る前に提出するようにと課題を渡して教室を出ていってしまった。灰原と七海も任務でいないし、サボってもバレないのでは?けれど真面目な私はしっかりと課題をこなすべく、ペンを取ってしまったのだから損な生き方をしてるとため息をこぼす。静かな教室にペン走らせる音だけが響き三十分程たった頃、教室の扉がけたたましい音と共に開かれた。

「せ、先輩?」
「……先生は?」
「えっ、と、急用があるとかで、出て行ってます」
「あっそ」

ペラっと一枚の紙を持った五条先輩が足で扉を開いたようで、途端竦みそうになる体に重症だなぁと内心笑ってしまう。任務帰りなのか少しだけ制服に皺が寄っていて、限りなく小さく「お疲れ様です」と零す。聞こえていたらしい先輩は「ン」とだけ返して、何故か教室に入り私の前の席に座る。本当に何故。目を合わせられず、咄嗟に課題に視線を落としてペンを走らせた。問題文とか全く頭に入ってこないのに、ちゃんと答えっぽく書けてるから私の脳は優秀。後で甘い物食べよう。そうして突き刺さるような視線に手が震えそうになる。せめて暴言でも何でも言ってくれたら、まだ謝って躱すことが出来るのにといつもなら考えない事に下唇を噛んだ。無言の時間は思いの外しんどい。何問目かの答えを書き、次に進もうとしたところで空気が揺れた。

「そこ、違う」
「え」
「あと一行目から全部解答欄ズレてんぞ」
「え、あっ、うそっ」
「だから一級になれねんだよ鈍感。視野狭すぎ、そんなんで非術師とか守れんの?自分だけで手一杯になってんなよ」
「……すみません」

ガタッと音を立てて立ち上がった先輩はそのまま教室を出て行った。不意に見えた先輩が持っていた紙は、一級を祓い終わった旨の報告書で、それで怪我もなく帰ってきたのかと息を飲む。自分だけで手一杯、と言うのは、割かし心の柔い部分に刺さった気がした。あの人は人の弱い所をよく見ているし、容赦なくつついて、いやどつき回してくる。今日はまだ優しい方だったけれど。弱い私が非術師を守ることなんて出来るのだろうか、泣きそうになって奥歯を噛んで耐えた。まだ成長途中だし、弱音は吐いても泣く事は許さない。暫く頭が冷えるまで待ち、課題を書き直し教室を出た。先生には体調が優れないと伝えて、課題を提出した後で寮に戻って制服を脱ぎ捨てる。なんだか「高専」の制服が少しだけ重く感じて着ていたくなかった。夕方、任務から帰って来た灰原と七海に心配されたけれど「サボった」と笑えば、灰原は笑顔でサムズアップし七海は呆れたように私の頭にチョップを落とした。ああ、やっぱりこの二人が一番落ち着く。
紅く色付いた葉も落ち、肌に当たる風が冷たく感じる時期になった頃。年末にかけて非術師が忙しくなるのと同時に、術師もあちこちに任務を任される。呪いを溜め込みやすい時期の呪霊は、活発に動いては嬉々として人間を襲う。単独任務を任されることが多くなった先輩方は、以前のように二人で呪霊を蹴散らしている姿を見ることが少なくなった。灰原は少し残念そうにしていたが、七海は効率重視だと一人納得したように頷いていた。なんとなく寂しい気もするけど、それだけ頼りにされているのだろうと思う。

「七海っ!」
「掠り傷です」
「ごめん。術式発動中は私、動けないから」
「知ってますよ。次の課題は動ける範囲を広くすることも追加ですね」
「一回もやった事ないけど!?」
「だからやるんでしょう」

私を守るように呪霊を祓った七海は、淡々と課題を重ねてきてギリギリと歯を食いしばる。試したことがないから出来ないと決めつけるのは良くないと分かっているけど、けどこの術式は呪霊の水分を絞り取る段階で動けなくなる制約みたいなものがあるのだ。迂闊に動くと術式がぶれてしまうし、何より集中出来ない。呪霊の強さは大したことは無いけどその数は先に渡されていた資料よりも多く、報告から出向く数日の間に増えてしまったのだろうか。それでも何とか祓い終え、汚れた制服を叩きながら息をついた。七海も少し疲れた様子だったけれど、怪我に関しては何も言わずに補助監督に連絡をとっていた。私を庇った時にできた怪我は七海の言葉通り掠り傷らしかったけれど、怪我を負わせてしまったというのが酷く心に伸し掛る。
このままじゃダメだ。もっと強くならなければならない。まだ弱い。早く術式を安定させて、もっと簡単に、七海が言ったようにせめて動ける範囲を作って発動出来るように。集中力が切れるのは私の問題だ。この程度じゃ仲間を守ることはおろか、非術師を守ることすら出来ない。

「……顔色が悪い、怪我でもしましたか?」
「え、いや、大丈夫だけど」
「何か変なことを考えてるんでしょう。考え過ぎると皺が増えますよ」
「めっちゃ失礼」

気付けば私の顔を覗き込んでくる七海がいて、変なことと言われても当然のことを考えていたから首を傾げるしかない。私を見下ろす七海は不満そうに目を細めていたけど、やがて「帰りますよ」と背を向けた。慌ててその背中について歩く。ここにはいない灰原は夏油先輩と任務だと張り切っていたし、帰ったら話を聞かされるんだろうな。七海に言ったら凄く面倒臭そうな顔でため息を零していた。
この一年はあっという間だった。なんて灰原の部屋で七海と共に三人でテレビを眺めながら振り返る。五条先輩には嫌われたままだけれど、それ以外は概ね順風満帆だった気がする。年末恒例のバラエティー番組を見ながらポテチを摘んでいれば、灰原にカロリー数を告げられクッションを投げつけた。誰がデブだコラ。

「まさか年末にちゃんと休みがあるとは思わなかった」
「私たちに振れる任務が無かったんでしょう。先輩方と一緒の任務に就けた事の方が珍しいんですし」
「やっぱり夏油さんも五条さんも凄いよ!襲いかかってくる呪霊をこう、グワーッと薙ぎ祓っては進み、グチャッと磨り潰しては進み」
「幼稚なのかグロいのかよく分かんない表現するね灰原って」
「まあ、あの人たちの強さは確かに信頼できる。尊敬はそんなに出来ませんけど」
「夏油さんとの任務の話ってしたっけ?」
「「聞いた」」

ゆっくりダラダラと三人で話すのも久しぶりな気がして、自然と笑みが浮かぶ。思い返せば最近は術式の特訓や任務で殆ど会話らしい会話も少なかったし、灰原や七海が何か言いたそうに私を見ていたのも知っていたけど時間が惜しくて二の次にしていた。それでも二人は黙って待ってくれていたのだから感謝の言葉しかない。流石ベストフレンド。愛してる。くだらない話をしながらテレビを見て笑い、今年最後の記念にと写真を撮って、七海が笑ってないからと何回も撮り直し、遂には灰原が七海の口角を無理やり持ち上げて喧嘩になりかけて笑った。

「ミイラ化は上手くいってる?」
「言い方ぁ……。いや合ってるんですけど、人にそう言われるとなんか微妙な気持ちになりますね」

冬も終わりを告げ、木々に蕾と葉が実り始めた頃。高専の廊下でばったり出会した夏油先輩に悪気無く言われて、苦虫を噛み潰したような顔をしてしまう。合ってるから訂正しろとは言えないし、かと言って全力で肯定するのも違うし。悩みつつも進展はしていると伝えた。
特訓のおかげか術式を発動しながらの移動は多少ならば出来るようになったし、空気中の水分に関しても冷却出来ないかと言う風に考え、それも少しずつだが上手くいっている。呪霊のミイラ化は言わずもがな。

「先輩は任務帰りですか?」
「ん、まあね。私も悟も単独任務が多くなったし、のびのびやってるよ」
「そうですか……。最強のお二方を見られないのはちょっと残念ですけどね」
「……最強か、うん、そうだなぁ」

歯切れの悪い返事に首を傾げるも、先輩はそれ以上何も言わずに報告があるからと行ってしまった。笑い方がぎこちなかったけれど、なにか失礼なことを言ってしまったんだろうか。考えたところで私に分かるはずもなく、教室に向かおうと切り替えて歩き出した。
まさか夏油先輩の次に五条先輩と鉢合わせることになるとは思わなかった。あと少しで教室に辿り着くと言った所で、前からポケットに手を突っ込んだ五条先輩が歩いてきたのである。ガラが悪い。気付いた瞬間廊下の脇スレスレを歩いたというのに、五条先輩はあろう事か通り過ぎる前に私の腕を掴んで近くの教室に放り込んだのだ。これはもう震えた。悲鳴も出ず、唖然と先輩を見上げて震える私を、五条先輩は何も言わずにいつかのように抱き締めてくる。以前と変わらぬ強い力にやっぱり肺の中の空気は押し出され、痛くて苦しくて怖くて泣きそうになった。呪霊を前にした時だって泣かないのに。

「せんぱ」
「黙ってろ」

せめてもう少し力を抜いて欲しいと苦しい中言おうとしたけど、五条先輩は一切の容赦が無かった。本当に私が何をしたって言うんだ。内心では先輩に対する愚痴でいっぱいなのに、それを言葉にする度胸のない私はただ震えるだけで。弱いままじゃダメだと分かっているのに、私はこの人を前にするとどうにも力が出ない。情けないのは十分に理解している、けれどどうしてもダメなのだ。私が弱いのは私が一番理解しているから。パキッと何かに罅が入るような音がして視線だけで周囲を見渡す。特にこれといったものは見当たらなかった。
結局開放されたのは授業が始まって数分たった頃で。時間にして十分程度だったけれど体感は一時間以上に感じて、世界が私に追いついてないと虚無顔になる。先輩はいつも通り「間抜け面」と失礼な言葉を口にして教室から出て行き、残された私はただただ呆然と突っ立っていることしか出来ないでいた。先生にどう言い訳しよう。

「遠出?」
「そう!夏油さんにもお土産買ってくるつもりだけど、みょうじは甘いのとしょっぱいの、どっちがいい?」
「しょっぱいのかな。甘いのはちょっと今避けてるので」
「そんなに太ってないでしょう」
「脱いだら凄いんだよ!!」
「嬉しくない申告だな……」

灰原と七海が遠出の任務に向かうらしい。七海の言葉に思わず大きな声を出してしまって、灰原に笑われ七海は呆れていた。チラ見した資料には二級呪霊の討伐任務で、まあ二人なら直ぐに帰ってくるかと息をつく。遠出ということもあって一泊程の荷造りをしている灰原の部屋にお邪魔しているけれど、まあなかなか進んでいない。七海は既に終わらせている様で、灰原の手伝いに来たのだとか。余計な荷物を入れては七海に全部省かれている。いやウノ持っていこうとするな、二人しかいないのに楽しい訳ないでしょ。そう言えば最後に三人で任務に行ったのは何か月前だったかと思い出す。連携の難しい私に上手く合わせて呪霊を祓う二人は贔屓目無しにカッコイイと思うんだよな。任務中の真剣な顔から終わった後の二人の気の抜けた顔も中々レアで、同期馬鹿と言われても致し方ない程出来上がった顔だと思う。大人になった時の色気とかそんなの凄いんじゃないのコレ。未来の彼女さんはきっと二人の顔の良さに殺されるな。術師してるし彼女出来るか分かんないけど。
荷造りが終わったのは夜の11時を回っていて、遠出するんだから早く寝ろと、ハイになりかけていた灰原をベッドに投げ飛ばし七海と部屋を出る。おやすみと最後に声をかければ、灰原も笑っておやすみと返して手を振った。七海ともそこで別れ、私もさっさと寝ようと部屋に戻って明日の準備をしてベッドに潜り込んだ。

それが最後に見た笑う灰原の姿だった。
数日後、私は灰原が任務中に死亡した事を知る。

先生から聞いた時は笑えない冗談だと思った。持っていた教材が手から滑り落ち、足は勝手に動いて走り出す。冗談もやすみやすみ言え。あれだけ普通に笑い合っていて、いつもの様に三人でご飯を食べていたのだ。二級程度の呪霊如きに灰原と七海が負けるわけがない。きっとタチの悪い冗談で私を驚かそうと二人が珍しく共謀しているだけなんだ。縺れそうになる足に苛立ち、嫌な汗が背中を流れ、心臓が嫌な音を立てる。ああもう、こんな気持ちになるなんて、笑って冗談だと言う二人に心底から驚いたと泣きついてやろう。嫌な思いをさせて女子を泣かせたのだ、土下座するまで許さないからな。走り過ぎて頭が痛くなってきた。それなりに体力も鍛えているはずなのに、変な呼吸をしていたのか息も乱れているし最悪だ。絶対笑われてしまう。「そんなに好き?」とか「鍛えた意味無いですね」とか二人が面白がって言うに違いない。滅多に来ないその部屋の前で上がった息を落ち着かせ、いつの間にか震えていた手を取っ手にかける。大丈夫大丈夫、この扉を開けたらドッキリ大成功みたいなプラカードを掲げた灰原と、呆れたように笑う七海がいるんだ。先生まで巻き込むなんて最低だと、笑って言ってやるんだ。ガラリと、音を立てて中に入った。
初めに目に入ったのは目を見開いてこちらを見る夏油先輩と、音に反応してこちらを向いた目元に包帯を巻き付けて深く座り込む七海。寝袋のような物を開いていた夏油先輩の腕の隙間から。黒い、頭が。傷だらけの。顔。灰原が、目を閉じて。

「ぁ、」

夏油先輩が何か言って、七海もまた叫ぶように何か言った気がした。パキパキと罅が入る音。瞬間、見えない筈の七海が飛び起きて抱き締められる。強い力だった。たぶん五条先輩以上に強い力で、痛くて辛くて苦しくて涙が溢れて、子供のように喚いた気がする。七海だって怪我をしているのに、そんな事にも頭が回らないほど私はみっともなく縋り付いて泣いていた。

「……一級、」
「そう。事前の調査では二級呪霊だった筈なんだけど、土地神が関わっていたようだ」

膝を抱える私の隣、夏油先輩も座って私の頭に手を置いた。七海は硝子先輩に治療してもらう為場所を移し、私は夏油先輩に校庭へと連れ出された。ぼうっとする頭は深く物事を考えられず膝に顔を埋める。今はまだ信じたくなくて、震える口で大きく息を零す。呪霊に関しては数日前に五条先輩が引き継いだらしく、そうですかとしか言えなかった。きっと彼は痕跡すら残さない。
夜、寝付けず体は勝手に灰原の部屋に向かう。誰もいない廊下は薄暗くて、まるで今の私みたいだと下手くそな小説の一文みたいな事を考えて笑ってしまう。残念ながら扉は施錠されていて開く事はなかったけれど、そこに額を擦り付けて視線だけを動かす。床の鳴る音。小さくとも、こちらに気付かせるような足音には気付いていた。

「……いっぱい、まだ、やりたいことあったのに」
「……ん」
「おかえりって、いつも、いってたのに……」
「……」
「いえなかったなぁ」

暗闇の中に浮かぶ白は、今は眩し過ぎて目を閉じる。随分と早い帰りだ。私たちが手こずる呪霊なんて、五条先輩にとっては指先一つで終わりなのだろう。羨ましくもあるし、少し恨めしくもある。その力の一割でもあれば、きっと彼らは怪我すること無く笑って私に「ただいま」と言っただろうから。微かな衣擦れの音、黙って頭に手を置いた五条先輩に小さく息を零した。
その日を境に私はより一層の強さを求め、七海は何処か諦めたように任務をこなしていた。暇があれば術式の見直しや特訓、体力の更なる向上、今まで祓った呪霊の出現場所や強さの研究、詰め込める知識は頭に叩き込んだ。
灰原が亡くなった約一月後、夏油先輩が非術師100名以上を呪殺し逃走したとの報告が高専内に知れ渡る。特級術師である人間が規定に反したのだから、周囲の動揺は凄まじかった。なんとなく、折れてしまったのかと報告を聞いて思ってしまう。「二人で最強」が個人として「最強」と呼ばれるようになり、きっと私の知らないところであの人も悩んでいた。だって夏油先輩は任務に行く少し前「術師は尊ぶものだ」と私に言ったのだ。優しい人はどんどんいなくなってしまう。硝子先輩は口を噤み、五条先輩は荒れ、七海と私は黙って見ていた。

「……お疲れ様です」
「邪魔」
「すみません」
「お前まだいたの」
「一応、祓えるので」
「弱いのに?」
「盾にはなりますよ」

そうして少し日が経ち、口調は少し変わったものの五条先輩の辛辣な言葉はいつも通りだった。私はもう怯えることも震えることも無くなって、淡々と返す事ができるようになったけれど。パキッと内側から響く音は聞こえるだけでなんの影響もない。いつか聞いた言葉を返せば、癪に障ったらしい先輩は舌打ちをしてさっさと歩いて行ってしまう。機嫌を損ねてしまったかな。任務に影響が無いといいけど、でも後輩の言葉に左右される人でもないか。踵を返して思い出す。一級になったんですって言うの忘れてたな。
高専卒業後の進路として、私はこのまま術師をやっていくつもりでいた。先生も少し安心したような顔をしていて、人手不足に拍車がかかっているのかもと邪推してしまう。七海は「呪術師はクソ」と言って卒業後は普通の会社に務めると言っていた。元々術師にそこまで良い思い出が無かったから仕方ないのだろうけど、同期が居なくなるのはやっぱり寂しく感じる。卒業前、隠れて二人でお酒を飲んで話をした。互いの術式の欠点、寮の不満や愚痴、それから灰原の話も。泣くかもと思ったけど、存外穏やかに話が出来た。

「寂しくなるなぁ」
「そうですね……。あ、五条さんの言うことは無視していいですから」
「流してるから平気。逆に何も言われないと怖い」
「それもそうか」

「大丈夫ですか?」
「大丈夫だよ。ちゃんと七海も守るからね」
「十分守られましたよ」
「ははっ、嘘だぁ」

「……提案ですが」
「うん」
「一緒に行きません?」
「……行かない」
「……。クソ、振られた」
「ふ、へへへ、七海にはもっといい人いるよ」

軽く酔いが回った頭。くふくふ笑えば痛くない強さで頭を小突かれ笑みは増す。七海も呆れた様に笑い、小突いた手で乱暴に撫で回してきた。穏やかで楽しく、それから寂しい時間だった。

そうして私たちは呪術高専を卒業した。

一級術師になった事で振られる任務も以前より確実に厳しくなった。座学という羽休め的なものが無くなり、同期という落ち着く存在もなくなってしまったからか、疲れると倒れるように寝る事が多くなった。何処からが大人の定義が分からないが、大人って世知辛いな。
硝子先輩は禁煙を始めたらしく、学生の時平気で吸ってたのにと笑ったらデコピンされた。八つ当たりでは?五条先輩は上層部と水面下でバチバチの抗争を繰り広げているが、まだ表に出す段階では無いのだろう。高専の先生になるくらいなのだから、何かしようと動き始めているのは分かる。あと隠し子がいるとか噂で聞いた。黒髪のツンツン頭に黒目、五条先輩の遺伝を全く継いでないとかなんとか。先輩狙いの女性陣の動揺といったら、硝子先輩と手を叩いて笑ってしまうぐらいには愉快だった。
術式はハッキリと完成したとは言い難いが、発動中の移動は出来るようになった。空気中だけでなく、体内から冷却した方がやりやすい事に気付き、氷漬けにして砕き祓うようにしている。欠点としては周囲の温度も著しく下げてしまうので、冬場や場所によっては前と同じように絞り祓っているのだけれど。ハッキリとは言えないが、概ね完成したと言っていいだろう。ふうと息を零せば白息になって消えていく。補助監督さんにこの寒さの中来てもらうのは忍びなくて、連絡を入れながら氷を砕いていく。どうせ私が離れたら勝手に粉々になるけど、この目で祓ったと見るまで安心出来ない。弱い私は臆病なのだ。向かいますよ!と元気の良い反応をくれるのは有難いが、コートも何も持ってないノーマルスーツ姿では寒過ぎるんだよな。どうしようかなと返事に困っていたら、すぐ近くで待機でもしてたのかものの数秒で駆けてきた監督さんに苦笑した。

「なまえさん、顔色最悪ですよ」
「直球で言うね……。最近ちゃんと寝れてなくて」
「次の任務地、少し遠いんです。着くまで寝てて下さい。私ちゃんと起こしますから!」

ハンドルを握ってバックミラー越しにウインクをされた。そんな出来る女みたいな事を言って可愛い表情もお手の物とは、これは絶対狙ってる男いる。現に私が落とされそうだった。間の抜けた事を考えるのはしっかり睡眠を摂れてないからだ。揺れる車の中で、自嘲しながら目を閉じる。
どれくらい経ったか、寝心地は良くなかったし、車の停車と共に起きてしまったので監督さんのモーニングコールは聞けなかった。疲れの残る体を起こして一級呪霊の討伐任務に就く。任務任務、任務続きだ。人手不足が深刻化してきてるんじゃないか。人使いが荒過ぎるなと碌に睡眠の摂れてない頭は次第に思考を暗くする。そうして私は失敗した。いや呪霊は祓えたから任務の失敗とは言えない。けれど、監督さんに怪我を負わせてしまったのだ。血の気が引いた。監督さんと別れるより先に呪霊が姿を現し、それに叩き飛ばされて彼女は強く背中を打ち付けた。過去一素早く任務を終え、彼女の体に障らないように法定速度ギリギリのスピードで高専にまで飛ばした。テンパった頭で硝子先輩に診てもらい「打撲」と診断された彼女は「お姫様抱っこ初めて」と笑う。怪我をさせてしまった。こんな事がないようにと強くなったのに。いや強くなっただなんて私の思い違いだ、実際こうして怪我をさせてしまっているではないか。体力と精神疲労は徐々に私を蝕み、今一番会いたくない人と鉢合わせてしまったのである。

「あ、補助監督に怪我させた術師じゃん」
「……お疲れ様です」

一体どこからそんなことを聞いたのか。五条先輩は口角を歪めて人の失態をどつき回してくる。なんだか久し振りの感覚だ。任務ばかりであまりここに帰ってくることも少なくなったからか。それにしても何故こんなタイミングで会ってしまうのだろう、本当にツイてない。思わず視線を逸らす。胃が痛い気がする。

「うわ、ひっどい顔。よくその顔で任務出てたね?周りの士気下がんない?」
「すみません」
「どうせ作戦ミスったんでしょ。頭使いなよ、呪霊だって馬鹿の集まりじゃないんだからさ」
「……はい、すみません」
「愚図に守られるとか補助監督も不安で仕方ないでしょ」

先輩はため息のようなものを零す。体の内側から罅割れの様な音が聞こえた。あ、アァ、これは、ダメだ。バキン、今までにない割れた音。思わずサッと顔を手で覆い、溢れそうになって何も出てこないそれに乾いた息が出る。私の挙動を不審に思った五条先輩が手を伸ばす。パンッ。と、音が。やってしまった。

「は?」
「……すみません、失礼します」

振り払ったそれに対し謝罪を一つ。踵を返そうとして腕を取られた。振り払えない強さで「オイ」と低い声が耳に届く。まだ幼い私はそれに怯え震えていた。今は特に、ただ煩わしいと、思ってしまう。

「すみません、貴方と話をしたくない」
「……はっ?」
「今は、貴方の顔も見たくないんです」

驚くほどあっさり力が抜け、引っ掛かっているだけの手から逃れた。頭を冷やそうと歩き出し「おい」とまた、今度は何処か縋るような、気の所為か。

「嫌いなら構わないで下さい。私は弱い人間ですから、」

苦手な人の言葉にも態々耳を傾けてしまうんですよ。はっきり言葉にできたかは正直覚えていない。五条先輩は、もう声を掛けてこなかった。