■ どっちが先に負けたっけ?

「あら。貴方、負けたの」

「……来るのが遅い」

「来い。なんて言われてないもの」


貴方は私に準備に手を貸してくれと言っただけで、最期まで手を貸してくれだなんて一言も言ってなかっただろうに。荒れ果てた地に横たわり、角なんて生やしたベリアルの体を跨ぐように立って顔を覗き込む。あちこち傷だらけで、余裕綽々に笑みを浮かべて特異点達を追い込んでいた彼とは思えない。やっぱり彼らが警戒していた特異点は想像以上にぶっ飛んだものなんだろう。
流れた血が勿体ないとその腹に腰を下ろして顔を寄せる。痛みに呻き声を上げつつも、ゆるりと頬を撫でてくるベリアルに笑ってしまった。


「もっと優しく乗ってくれ。イクにイケない」

「待ち人が漸く起きたんでしょ。さっさと行ってきなさいな」

「君はいつもつれないな。急に姿を消したり、二千年一緒にいた相手に愛着はないのか?」

「どうせ世界が滅ぶなら何を思っても意味ないでしょ」

「俺は君の事をファーさんの次ぐらいには大事にしてたんだけどなぁ」

「怖い事言わないで。それでその人に「余計な感情を持たせたのはお前か」とかって殺されたりしたらどうするの」


ないないと笑って言ったベリアルから顔を離して口を拭う。折れた骨や大きな傷は治らないが、ある程度の切傷や裂傷なんかは塞がっただろう。応急処置みたいなものだから無茶をすればすぐに開くだろうけど。腰を上げて手を伸ばせば、素直にその手を取られて黒が立ち上がり、ふらついた体を支えようともう片方の手も伸ばして体をすくわれた。まったく、女の服を汚すだなんて紳士の風上にも置けない。


「まだ何か?」

「一緒に世界が滅ぶ所を見たくないか?」

「とっても面白そうだけど遠慮しとく。あんな激戦区の中に進んで行くような、そんな被虐嗜好者になった覚えないもの」

「オイオイ、全部言わせる気かよ」

「聞かせて?」

「……なまえ」


パンデモニウム頂上よりも更に上空で爆音が鳴り響く。特異点率いる騎空士達や天司達が、迫り来る終末に必死に抗っているのだろう。体を抱く腕が僅かに動揺したように震え、自然笑いが溢れてしまった。そんなに心配なら、さっさと向かえばいいのに。なんて、いつの間にか心の内を埋めてしまったこの男が離れてしまうのが怖い癖に、強がってしまうのは性格故だろうか。だから離れたというのに、結局会いに来てしまったのだからその意味もなくなってしまった。


「貴方たちの終末では、どうせ皆死ぬんでしょう。だったら今ここで、貴方が私を殺してくれないかしら」

「もっと可愛くねだってみろよ、それじゃあそそられない」

「イかせてはくれないの?」

「本当、初めとは大違いだな」


大袈裟に肩を竦めさせて私の顔を覗き込んでくるベリアルから悟られぬようにと目を伏せる。傷は完治とはいかぬものの治したのだから、殺さないのならさっさと消えて欲しい。背中に腕を回してやろうかと思うだけに留めて胸板を軽く押す。腕が離れ、体が離れ、それだけでは足りなくて自分からも二歩下がる。腕を伸ばしても届かない距離。笑みを浮かべてベリアルを捉える。きっと最高にいい笑顔を浮かべている筈だ。


「世界が終わったら、私もようやく眠れるわ」

「最後にもう一つだけ俺の頼みを聞いてくれないか?」

「貴方は私の頼みを聞いてくれないのに?」

「頼むよ、二千年一緒にいた相手の最後のお願いだぜ」

「……ああもう、分かった。なに?」


汐らしい表情を浮かべるベリアルの言葉に頷いてしまったのは、きっと何とかの弱みとかそんなもの。狡知の堕天司だなんて呼ばれている彼の表情に、どれだけの信用性があるのかは分からないけど。
騎空艇に爆薬を載せ、エテメンアンキまで運んで欲しい。隠し続けてきたであろう疲れたようなため息をこぼしたベリアルの六枚羽は、応急処置では飛ぶに至るまで回復しなかったらしい。乗り捨てられていた騎空艇を拝借して、時限式の爆弾を動力部分に置いた。パンデモニウム頂上を超え、初めて到達する空域は暗い暗い青。初めて見た景色に状況を忘れて息をつくも、手を引かれて慌ててそちらを見遣る。頼みは聞いた。それ以上を聞く意味など無いというのに、私はその手を振り払えない。


「ゆっくりしてヤりたいが時間が無いんだ。デートはまた今度な」

「期待しないでおく」


いつもの調子に戻ってきた軽口に笑い、その手に引かれるまま歩き出す。
特異点達の手によって終末計画は失敗したらしい。膝をついたのはルシファーで、その前に立つのは剣を構える特異点。その光景を少しばかりぼんやりとした表情で眺めていたベリアルも、突如現れた次元の狭間に弾かれるように動き出した。離れた手にここで終わりだと今度こそ区切りをつけ、同時に私はまだ死ぬ事が出来ないのだろうと嘆息する。
崩れ始めたこの場に動揺し、ルシファーにトドメを刺さずに走り出す特異点達の目が一瞬こちらに向けられる。蒼い髪の少女が小さく声を漏らすも、茶髪の女騎士に手を取られて走り去ってしまった。


「楽しい二千年だったわ、ベリアル」


ルシファーを肩に担ぎつつ、こちらを向いた赤に素直に言葉を零す。


「■■■■■」


その言葉をベリアルがどういった意味で受け取ったのかはどうだっていいのだ。私は正直に言いたいことを言っただけなのだから。
零れ落ちそうなほど大きく開いた赤に、予想していなかった言葉だったのかと笑う。ベリアルの口が開き、それが音になる前に狭間は彼らを飲み込んだ。気配を辿ろうとしても、プツリと途切れたそれを追う事は出来ない。ここまでハッキリと空間が分かたれてしまえば、多少の心残りはあれど諦めもつく。


「──なんで私があなたの艇に……」

「旅は道連れって言葉があるじゃないですか」

「どこの言葉よ……」


あれから、このまま地面に叩きつけられるのもいいかと諦観していたら、唐突な事に特異点が私の手を引いたのである。驚きすぎて抵抗も出来ずに艇に乗ったらサンダルフォンからは軽く睨まれるし、ルシファーに似た男からは何か言いたげな目で見つめられるし、ルリアからは心底驚いたように「吸血鬼さんだったんですか」と声を上げられるしと反応は様々であった。それでも特異点がこの艇に乗せたということもあって、すぐに歓迎ムードになったけれど。皆の順応力が高過ぎて逆についていけない。


「敵側にいた女をよく大事な艇に乗せる気になったわよね。あなた達の特異点はおバカさんなの?」

「だってよぅ、ネーチャンあのままあそこで死ぬつもりだったんだろ?」

「私は一度しか話したことありませんけど、でも、なまえさんからは嫌な感じがしないからだと思います」

「……やっぱりおバカさんなのね」

「まあまあ、暫く乗ってたらネーチャンも気に入ると思うぜ!騎空艇で空を駆けるのは楽しいし、なぁルリア!」

「はい!」


艇で移動するより黒い翼で移動することが多かった身としては、小回りが利かないし不便なのではと思ったものの、アレはアレで変な所を触ってくるからどっちもどっちかと息をつく。


「こんな所、貴方が見たらなんて言うかしらね」


ゆっくりと空を飛ぶ艇の中、流れていく赤に変わらなかった青を眺めながらポロリと言葉は零れる。「尻が軽い」だの「寝取りか?」だの「これも悪くない」だのと簡単に想像できる。まぁまた暫くは暇潰しが出来そうだと、空を飛ぶモンスターと対峙する特異点達を見ながら口角を上げた。
そうして特異点達と過ごしていく内に絆されてしまう事になるのは、また別の話であると期待だけさせておこうか。


2019/12/07