■ 胸に通る隙間風なんて、ただの気の所為

天司サンダルフォンが引き起こした災厄と呼ばれた事件からしばらく経った後。復興記念祭と称して盛大な祭りが街を賑わせていた。楽しげに街を行き交う人々をカフェのオープンテラスから眺めながら、大袈裟にため息をついて肩を落としても誰も気にはしない。
アウギュステ列島にあるリゾート地の一つにて、人気も少ない日陰でゆっくりとした時間を過ごしていた筈だったのだ。


「やあ、祭りに行かないか?」

「…私、今結構充実してるんだけど」

「こんな所でくだらない時間を過ごすより、もっと愉しい時間を過ごせるさ」

「……貴方の仰せのままに」


いつもの如く唐突に現れたベリアルは、どうせ私が何を言っても連れて行くつもりだったのだろう。私の返答に満足そうに笑って黒い六枚羽を広げたベリアルは、ポート・ブリーズ群島に着いた後でカフェで待つようにと私を置いてさっさと人混みの中へ消えていった。そうして冒頭部分に戻る訳である。
二千年を掛けた準備が漸く整ったのだろうか。ベリアルはハッキリとしたことを言わないから、私は後から知ることの方が多い。バブさんだとか言う協力者にも会った事がないし、話で聞いただけの存在で一先ずは協力者らしいが。まあ邪魔になるなら真っ先にベリアルが手を出しているだろうし、私は気にしないでいいんだろう。
街の喧騒を聞きながら手持ち無沙汰に微睡んでいれば、ふとした違和感に目を開ける。数刻もしない内に空が明滅し、星晶獣の群れが空に現れ始め、そうして場所も関係なく暴れ始めた。一気に混沌と化した街に人々が響めき騒ぎ悲鳴を上げて逃げ惑う。恐れ慄くその姿はまあ確かに少し愉しいとは思えたが、そんな事より空になったカップの方が大事で、店内を振り返っても避難所にでも逃げたのか誰も見つけられなかった。諦めて眺めていようとして、カップに注がれた紅茶を見て視線を上げる。


「用事は済んだ?」

「まだこれからだ」

「私を連れてきた意味あった?」

「それもこれからだ。ルシフェルの身体を回収して、ファーさんと繋ぎ合わせる為に君の手が必要なんだ」

「医者じゃないんだけど…」


ティーポットをテーブルに置いたベリアルは、暴走している星晶獣達を見上げて愉快だと言わんばかりに喉で笑う。まだ暫く君の出番はないからと額にキスを落とし、遊んでくると告げてその場から飛び立った。人目についたらどうするのだと思ったけれど、こんな状況じゃ他人のことなど誰も気にしてないかと考えを改めて紅茶に口をつける。
まだ暫くこの暴走は続くかと思ったけれど、流石に災厄を経験した件の特異点達の行動力には舌を巻くものがある。あっという間に混乱を収め、天司達や街の人々と共に艇を改造して到達不能空域であるカナンに向かうらしい。


「あ、あの…っ」

「…綺麗な髪」

「え、っと」

「ああ…、ごめんなさい。私に何か?」

「いえ、そのう、星晶獣達は一応落ち着いたんですけど、避難されなかったんですか?」


蒼い長い髪を揺らした白いワンピースの少女が店先から声を掛けてきて、その蒼に目を惹かれた。困ったような、心配を含んだ顔で私のことを気にしてくれる少女に笑みを浮かべるしかできなかった。気遣いはとてもありがたいけれど、実害がないからここにいた訳で。でもきっとこんな事を言ったら、少女は今からでも避難しましょうと言い出しそうで答えあぐねる。純粋に向けられた好意に対して私はどうしたらいいのか分からないのだ。話し相手なんて殆どベリアルばかりであったから。


「ちょっと腰が抜けてね。連れが助けを呼びに行ってくれてるから、それを待ってるの」

「凄い光景でしたもんね…。あ、じゃあそのお連れさんが来るまで私もここにいましょうか?」

「ありがとう、でも大丈夫。すぐに戻ってくると思うから。それに、お嬢さんは何かやることがあるんでしょう?」

「あっ、そうでした!カタリナに呼ばれてるんでした!あのっ、気をつけてくださいね!硝子の破片とか落ちてますから、怪我しないように」

「ええ、貴方も」


慌てた様子の少女は私が気になるのか、チラチラとこちらを振り返りながら駆けて行った。きっとアレが蒼の少女だろうと予測をつける。思っていたよりも随分と人間らしい。
ため息をこぼして、祭りとは違った喧騒に賑わい始める人々を見ながら席を立つ。きっとこれからカナンに向かう為に街総出で彼らを応援するのだろうし、そうなると中心部に近い此処では変に目立ってしまうかもしれない。ベリアルには待つように言われたが、巻き込まれるのは御免だとその場から離れることにして、声を掛けられた。


「待って」

「ごめんなさい、声を掛けるなら他にして」

「違うよ。君、ヴァンパイアだろう」

「…同胞?でもごめんなさい、純血じゃなくて混血だから少し違うの」

「なるほど、通りで…。避難所に?」

「連れがいるの。その人のところへ行くつもり」


金髪から覗く赤い羽根のようなそれに、人間にしては尖った耳。口からちらりと見えた尖った牙らしきものに、目を細める。まさかこんな所で純血の吸血鬼を見るとは思わなかった。見た目はまだ少年だけど、人間に比べて長く生きてはいるのだろう。
変に疑われても困ると考えながら返答を待っていたけれど、特に追求はなかった。気になった言葉と言えば「ボクを知らないのか」と独り言のように小さく呟いたものぐらいだろうか。


「それじゃあ気をつけて。またいつ空気が乱れるかわからないから」

「ありがとう。貴方も気をつけてね」

「ああ、出来れば次会えたら一緒にお茶でもしよう」

「次があればね」


背中を向けても視線を感じ、不自然にならない程度に早く足を動かして街の角を曲がる。少年であれど侮れない。ボロは出ていなかった筈だけど、やはり何か気になる様な所があったのだろうか。まさか顔を見て「終末」を計画している奴だとか言う無茶苦茶な考えを持ってはいないだろう。
ジリジリと肌を刺すような嫌な光にさっさと影を探して入り込む。今日はあまり体調が良くないらしい。どうせベリアルが帰ってくるまですることも無い、宿屋で暫く眠って日が落ちるのを待とう。勝手に連れて来られたのだからこちらも少しぐらい勝手にしても大丈夫だろうし。
どれだけ寝ていたのか。どふんとシーツが沈む衝撃に目を開ければ、ルシファーのものだろう首をその腕に抱えて、薄く笑みを浮かべるベリアルが横たわっていた。寝起きの頭はハッキリしないが、ルシファーの頭部とルシフェルの体を繋ぎ合わせなければいけないという事だけは分かる。


「…綺麗な顔ね」

「だろう?」

「…、回収できたのね」

「もちろん。手伝ってくれ」


星晶獣と人の体を上手く繋ぎ合わせる事なんて出来るのだろうかと、ふとした疑問はベリアルがどこからか持ってきた研究資料で解決した。こんな事すら予想済みだったのかと呆れ半分、不気味さ半分。ベリアルが「ルシフェルはファーさんを元にして作られた」というだけあって、頭と体は驚く程正確にピッタリと繋ぎ合わせる事ができ、神経を一つ一つ繋いで足りない肉と骨を擦り合わせて縫合する。跡は残るだろうが息を吹き返せば問題ないだろう。
処置を終えて一息つけば、後ろからからするりと撫でるように抱きしめられ、ベリアルはベッドに横たわるルシファーを見下ろした。


「あとは起きるのを待つだけ」

「ああ。…早く起きてくれファーさん、一緒に終末を見るんだろう」


まるで長年会えなかった恋人に愛を囁くみたいな声色。あながち間違いではないんだろうけど。二人にしてあげようとベリアルの手から離れて静かに部屋を出た。声は掛からない。
この瞬間、私とベリアルの二千年程の契約は終了を迎えたのだ。


2019/12/07