■ 楽しいだけでいい、それ以外はいらない

「こんにちは、なまえ。今回はこの本を読んで欲しい」

「こんにちは、ベリアル。分かったから一度降ろして」


人気のないモンスターばかりの島を歩いていると、唐突に風が巻き上がり体はあっさりと黒に捕らわれた。その腕に私を乗せるベリアルは、本を片手に笑みを浮かべてこちらを見上げる。
初めて出会った日から大体五、六百年は経っただろうか。何しろ二人とも人外であるから容姿が変わらず、どれだけの年数が経っているか曖昧なのだ。変わったことと言えば、ベリアルが着ていた白い軍服が、黒のドレスシャツというラフな格好に変わったくらいだろうか。似合っているけれど。


「まあそのまま聞いてくれ」

「落ち着かない」

「アレだけ落ち着かないコトをしてるのに?一度は俺を責め立てることだってしただろう」

「それとこれとは別。あと貴方、反応が面白いから」

「んー、今日はそんなつもりじゃなかったが、久し振りに君に抱かれるのもいいかもしれないな」


戯れのように頬に寄せられた唇から逃れ、ベリアルに抱かれながら本に手を伸ばす。ベリアルが持ってくる本は医学本だったり御伽噺だったり神話だったりと様々だ。
星の民であるルシファーの覚醒の準備をしている。何時だったかに私にそう言ってきたベリアルは、弱々しく且つ楽しさを滲ませたような笑みを浮かべた。その表情から大切な相手なのだろうと悟りつつ、当初の約束通り手伝いが必要な時には手を貸した。まるで眠姫を起こす王子様のようだと、とあるお伽噺を思い出して言ってみたことがある。「そんな関係じゃない」「下手したら殺される」と爆笑していた。


「前から思っていたけど、世界を滅ぼそうとする準備をしてるのね」

「ああ、気付いた?今更やめるだなんて聞けないぜ?」

「別にやめるとは言わないけど。待ち人さんも貴方も巻き込まれるんじゃないの?」

「オイオイ、何のための準備をしてると思ってるんだ」

「アテはあるんだ?」

「もちろん。空にある島が次々落ちていくのを見るんだ。想像しただけでもイッちまう」


ぶるりと体を震わせるベリアルと同様に、その腕に乗っている私も体が揺れる。本当に落ち着かない。ツラツラとこ難しく書かれている本をペラペラと捲りながら内容を頭に叩き込み、勝手に興奮して勝手に絶頂した男に凭れかかる。世界を滅ぼすための準備を手伝ってはいるけれど、殆ど二人で動いているから進歩はかなり遅い。これじゃあ1000年経っても準備完了にならないんじゃないか。


「人手が圧倒的に足りない」

「そこは一人使えそうな人がいるから安心してくれ」

「信頼のおける人?」

「まさか。冗談だとしても面白くないな」

「……どっちにしろ人手不足には変わりない」


愛玩動物を愛でるように私の頭や頬をその冷たい手が滑り、私が読み終わるのをベリアルはただじっと待っている。疲れないのかと思ったけれど、何も言わないところを見るに平気なのだろう。まあ現在の場所が屋外な上に、草木に覆われた森林地帯なので腰掛けるようなところもないけれど。


「そう言えば気になってたんだが」

「なに?」

「頭の赤い羽根はどうしたんだ?」

「千切って捨てた」

「ふぅん?それが無いから初め見た時はただの人間だと思ったんだよなぁ」

「……髪を退けたら名残はある」

「見ても?」

「どうぞ」


壊れ物を扱うかのような手つきでそっと髪を避けるベリアルを一瞥して頁を捲る。
千切って捨てたというのは少しだけ語弊がある。別に私は自虐体質があるわけでもなし、自ら痛みを感じる様なことなんて頼まれてもしない。実の母親に千切られたが正しい。私の両親は二人とも種族が違い、父が吸血鬼、母が人間である。私に受け継がれた物は殆どが吸血鬼の特性で、人間の要素など無いに等しい。父は私が生まれて直ぐに母方の親族から迫害され殺され、母はそれに嘆き悲しみ最後には気を狂わせ、心中しようとして抵抗した私によって失敗した。人間も侮れない、成長途中とはいえ頭部にある羽根を容赦なく素手で引き千切るんだから。


「千切っただけあって、傷跡は生々しいな」

「刃物で切ったわけじゃないから。触り心地は悪いと思う」

「……」

「……触り方が気持ち悪い」


指先で撫でるような触り方に眉を顰める。一々動作に艶を持たせるのをどうにかした方がいいと思うけど、狙ってないとしたら質が悪い。ため息を零すと同時に、生暖かい何かがそこをゆっくりと撫で上げて思わず体が震える。読ませる気があるのだろうかと睨めば、ベリアルは悪びれもせずに舌を出したまま笑みを浮かべた。


「どんな触り方かは聞かなかっただろう?」

「……もういい。大体内容は理解したから降ろして」

「ヨくなかった?ゴメンゴメン、今度はもっと優しく愛撫するよ」

「会話を下世話に繋げるの本当に上手」


本をベリアルに押し付けて腕から降りる。残念そうな顔をするのが本当に意味が分からない。
本の内容はいつの時代のものか、とある戦争について。驚いたのはその筆者がまるでその場に居たかのように、まるでその中でも重要な地位に位置付けられていたかのように、事細かに詳細が載っていた事だ。軍事力、戦略、戦術、統率等、それはもう色々。一体全体これを読ませて私に何をして欲しいのやら。


「もしもの時の保険だ」

「珍しい。貴方が弱気になるなんて」

「案なら星の数ほどあるさ。だが俺はファーさんと違って詰めの甘さがあってね、それを補う為にもなまえ、君の力が必要なんだよ」

「……、こんな事を言うのはアレだけれど、信用されてるとは思わなかった」

「おや酷い。これでも俺は信頼を寄せているつもりだったんだが」

「胡散臭さが全面に出てるのよ」


ベリアルの珍し過ぎる言葉に思わず声を出すのが遅れたけど、あまりにもその表情がどこか人を小馬鹿にしたような顔だったから直ぐに思い直す。この男はそう言う男だった。何処からどこまでが本心なのかなんて、私たちの間には必要のない問題だった。私は助けてくれた恩と暇だから手を貸しているだけ、ベリアルは人手が必要だから私を利用しているだけ。たったそれだけの事だ。


「保険を使うような事にならないといいけど」

「ああ。まあある程度の事態は予想しているから、きっと君の出番はないだろう」

「他にやっておいて欲しいことは?」

「んー、そうだな……。以前見せてくれた結界だったかを使って、とある施設を隠蔽してくれないか?」

「期間が長くなると効果は薄れるけど」

「十分だ」


ニッコリと笑ったベリアルが態とらしく首筋に指を滑らせてきて払い落とす。そんなつもりで来たんじゃないと自分から言っていたくせに、意味ありげに手を出してくるとは一体どう言う心変わりか。まあこの男の考えなんて私は一生掛けても分からないんだろうけど。


「つれないな」

「そういう処理は街で好きなだけ出来るでしょう」

「なまえがいいんだが?」

「貴方は変なものばっかり覚えてくる」

「大抵の人間はコレで堕ちる」

「気分じゃない」


他を当たれと言外に述べて、目的地の空域を訪ねようとして動きを止める。鼻を擽る匂いに無意識にも喉が動いた。自然と目は溢れる赤に移り固定され、紅玉のような瞳を細めて口角を吊り上げたベリアルは腕から血を滴らせながら笑う。自分で腕を切るなんてと呆れつつも、本能は止められずにその腕に唇を寄せる。


「俺のモノを舐めてる姿を見るのは久し振りだ。ふ、ヤバい勃起した。なぁ、その薄い腹に注いでも?」

「そこらのモンスターにぶっかければ」

「んー、どうせなら君の口に突っ込みたい」

「気分じゃない」


ペロリと丁寧に最後まで舐め上げ、止まったそれを見てから一歩足を引く。同じ言葉を吐いてから、どこか不満そうなベリアルを見てため息をついた。
ベリアルが呟いた施設へと向かう際、どうせ一緒に行動するんだろうからその間にその気にさせてみろと述べる。瞬きを二つした後で、ベリアルはにんまりと笑みを浮かべ私の体を抱いて翼を広げた。


2019/12/07