■ 背中にあった翼は

瓶の中に入ったまあるい光の玉のようなそれ。悪魔だった頃の私の記憶だというそれを、私は女神様に渡して浄化するようにとお願いした。女神様はそれはもう驚いた様子だったけれど、一つ頷いて了承してくれた。


「なまえは色々考え過ぎなんだよ。醜悪な心を持たない人間なんて、それこそ人間離れしてる」

「…気付いてたんですか?」

「僕を誰だと思ってるの。一応女神だなんて呼ばれてる神様だよ」


得意げに笑った女神様はそう言って私の頭を緩く撫でる。そうして「まあなまえがそっちに転んでもカラ松が何とかするだろうし」と付け足した。
森を出て教会に行けば、丁度お祈りの時間のようでカラ松さんのよく通る声が聖書かなにかを読み上げていた。村人達の姿もいつもより多く、嫌な視線をすぐに感じて終わるまでは外で待とうとその場を離れた。珍しく教会に着いてきたヴィオが「なぉん」と鳴いて足元に擦り寄ってきたので、その頭を撫でながら一時間ほど時間を潰す。


「――なまえ、」

「もういいんですか?」

「ああ、終わった」

「そう」


ぐるっと何故か威嚇しかけたヴィオを抱き上げて宥めつつ、背後からやってきたカラ松さんを見上げた。


「話があります」

「場所を移そうか?」

「いえ…、ここで大丈夫です」

「そう、か。うん、なんだ?」


今日は随分と大人しいなぁなんて普段の彼を思い出しながら口を開いていた。村人にも悪魔にも女神様にも、勿論私にもあの独特な物言いを絶やさない彼が、今日はずっと静かな口調というか何処か戸惑っているというか。まあでも考えてもわからない事だからと諦め、私の記憶を悪魔が返してくれたという事と、それを女神様に浄化してもらうようお願いした事を伝えた。カラ松さんは驚いた様に「あの悪魔が?」と些か信じ難い様子で目を瞬かせている。


「幼い頃の私に絆されたらしいです」

「…なまえの幼い頃か。可愛かったんだろうな」

「どうでしょう。あまり今と変わりない気もしますけど」

「つまり可愛いって事だな」

「…カラ松さんは恥というものがないんですか?」


にっこり笑ったカラ松さんに顔を顰めてみせる。可愛いだなんて、ああそうか、カラ松さんには特殊なフィルターが掛かっているんだった。何せ私を好きだと言うくらいなのだから。それについても私はきっと返事をしなければいけない。


「カラ松さんは私の事が好きですか?」

「うん、好きだ」

「それは貴方が天使だった頃の記憶を持っているからじゃないんですか?」

「うん、きっと初めはそうだったろうなとは思う」

「今は違うみたいな言い方ですね」

「だって悪魔だった頃のなまえと、今のなまえは容姿は同じでも全然違うからなぁ」


照れたように笑ったカラ松さんの言葉に思わず詰まる。真っ直ぐすぎる所は天使様と確かに似ていて、天使だったと言われてもあまり違和感はない。気がする。


「私は正直、カラ松さんの事は分からないです。けど嫌いじゃないです」

「うん、だろうなぁ。なまえは人の好意に慣れてなさそうだから」

「そ、んな事は、ううん、…あります、けど」

「キュートなデーモンだったなまえもそれは魅力的だったが、今のなまえだって十分に魅力的だ。今の俺は君にデスティニーを感じているんだぜ」

「ヴィオ、ヴィオ、どうどう。何でいきなり暴れようとするの」

「oh…、菫色の君は随分とやんちゃな子なようだな」


得意気に笑ったカラ松さんに爪を伸ばして飛びかかろうとするヴィオを必死に腕で抱きながら、動じていない様子のカラ松さんにため息をこぼす。いきなりの言葉遊びに少し体が軋むような気がしたけれど、気のせいだろうと言うことにしておく。落ち着きを取り戻してきたらしいヴィオの頭を撫でていると、ふと真剣な表情を向けられて子首を傾げた。


「ああその、すまない、気が急いてるんだ。気にしないでいい」

「…運命とかは分からないですけど、その好意は、うん、嬉しいです。私もいつかそんな好意を返せたらいいなぁって、思ってます」

「……」

「カラ松さん?」

「…あの、少しだけ、本当に少しでいいから自惚れてもいいだろうか」


普段からカッコイイ所を見てくれと言わんばかりに表情や言葉を拘るくせに、今のカラ松さんはカッコイイからかけ離れていた。なんて顔をするんだろうかこの人は。そんな所が少しおかしくて笑ってしまい、困ったような複雑そうな顔をしたカラ松さんに頷いてみせた。


「あなたと同じ気持ちになるかは分からないけど、そうですね、少しなら自惚れても大丈夫です」

「ありがとう」

「…誰かにとられないように、ちゃんと見ててくださいね」

「……ん゛ん゛っ!小悪魔的なところが少し残っているなんて可愛いだけだぞ!」


冗談のつもりだったのだけれど、顔を真っ赤にさせて叫んだカラ松さんを見てしまうとどうにも笑いを抑えられない。


「良い雰囲気のところ悪いけど、俺はなまえから離れないからねぇ」

「消えろ悪魔」

「ハッハー、お前が消えろー!でも当然だろぉ?俺はこーんなちっちゃい時からなまえに憑いてるんだから!離れる気ないもんね!ざまーみろ!」

「跡形もなく祓ってやる」


するりと後ろから腕を回してきたおそ松に、カラ松さんの表情が抜け落ちた。子供のような煽り方だなぁなんて思っていたら、あっさりと乗せられたカラ松さんに苦笑する。そうして騒ぐ二人にとうとう私の腕から飛び出したヴィオが、爪を伸ばして二人の頬に綺麗な引っかき傷を残すわけだけれど。


「なまえほんっとこの猫どうにかしろよ!甘やかし過ぎだろ!」

「騒がしいのが好きじゃないだけだと思うけど」

「それにしたってやんちゃ過ぎやしないか!?」

「に゛ゃぁぁぁ!!!」


逃げ惑う二人を逃がさないと言わんばかりに追いかけるヴィオの様子を見て思わず笑ってしまった。
こんな日常が崩れずにいて欲しいと、私はそう願わずにはいられない。


2018/05/10