■ とある男のお伽噺

化け物じみた腕力を目の当たりにして早数日。膝の上で体を固まらせて、丸まっているヴィオをブラッシングしつつぼんやりと考え込む。緊張気味のそれは人に触られるのがまだ慣れてないんだろうと思っている。
赤目の悪魔とカラ松さんは、以前の様子を見るにどうやら長い付き合いがあるらしい。それもお互いをよく理解している風であった。可笑しいのだ。私が物心つく前からあの悪魔は私とずっと一緒にいた。それこそ女神様の呪いが習慣になるまで、毎日のように私と顔を合わせて笑っていたのだ。どの段階で悪魔とカラ松さんがあれだけ親しくなれる期間があったのだろうか、もしや悪魔には分身か何かがいたりするのだろうか。有り得なくはないけど、見たことも聞いたこともないから確証はない。


「俺が?分身?無いね、出来るけど疲れるもん。それにある程度の神経は共有だしさぁ。分身が傷付いたらこっちも多少だけど傷は付くわけ。痛いの嫌いだもん、俺」

「じゃあカラ松さんと親しいのは何故?」

「親しい?うげっ、やめてそれ。寒気通り越して吐きそう。聖職者と親しいとか悪魔にとって拷問」

「そう、なの…?」


いつの間にか現れた悪魔が戸棚に入れておいたクッキーを勝手に口の中に放り込んでいて、やっぱり普通に食べてるなぁなんて考えつつ首を傾げる。本の読み過ぎか、聖職者の魂は悪魔にとって美味しいものだとばかり思っていた。「そりゃ上は敵が減って喜ぶけどさぁ」なんて軽く言ってのける悪魔は、肩を竦めて首を振ってみせる。


「俺たちが好んで堕とそうとする魂ってのは、大体は意思の強いものなわけ。まあ軟弱な魂が好きとか、変わり者もいるから細かくは面倒だし言わないけど」

「へぇ」

「あり?興味ある?もっと教えてあげよっか?」

「聞かない。それより聞きたいのはカラ松さんのことを知ってたのはどうして?知り合いなんだよね?」

「知らない。…って前は言ったけど、あー、話すと長くなるけど…聞く?」

「聞きたい」


面倒くさそうに顎を触る悪魔に一つ頷けば少しばかり逡巡した後、一変してニィッと歯を見せて意地悪く、それこそ悪魔らしく口角を吊り上げて見せた。パチンッと悪魔が指を鳴らした途端に、明るかったはずの部屋の中が停電したかのように真っ暗になった。いや真っ暗は語弊だ。闇だ。本当に一筋の光もない、私だけがぽっかりと浮かび上がっているかのような闇の中。膝の上にいたはずのヴィオの姿もいなくなっていて、辺りを見渡せば突然スポットライトが当たったように現れた悪魔がくるりと回って態とらしくお辞儀を一つ。


「これはむかーしむかしのお話です」

「…大袈裟な仕掛けだね」

「こっちの方が雰囲気あって良いだろ?はい、お口チャックね!」


とある魔界に悪魔が二人おりました。二人の悪魔はそれはそれは仲が良く、上司である魔王様のお仕事を二人で片付けていくのが日課でありました。面白おかしく数千年の時を共に過ごす悪魔は、知人、友人、兄弟、恋人、夫婦、果てはどの言葉にも当てはまるような気も致します。そんな仲の良い二人の悪魔ですが、とある出来事をきっかけに魔界も天界も地界も引っ括めた厄介極まりない問題にぶち当たってしまいました。悪魔も天使も女神も入り乱れたそれはそれは巨大な問題事は、とある贄によって何とか事なきを得ましたが、悪魔は嘆き悲しみ激しい憎悪や憤怒といった感情を一人の人間に向けました。人間は初めから己の事を悪魔だと認識していたようで、対抗策もバッチリでしたがそれがまた悪魔の腹に立ち、苛立ちは募るばかりで何の解決にもなりません。ある時一人の女の子を見掛け悪魔はこれまでの怒りも何もかもをすっかり忘れ、女の子に寄り添うようになりました。そうして時折邪魔しにくる人間を消しかけながら心穏やかに過ごすのでした。


「めでたしめでたし」

「…ちょっと、登場人物が多すぎて分からない」

「えー、俺としては凄くよく出来たお話になったんだけどぉ」

「カラ松さんは一体どれなの?」

「人間」

「……一回聞いたぐらいじゃ分からないことが分かった」


パチンッと聞こえたそれに瞬く間に闇は晴れ、私は先程と変わらずヴィオを膝の上に乗せて部屋にいた。悪魔は宙を揺りかごに寝転がり「いっぱい話して疲れた」等と欠伸を零している。「なぁご」と鳴いたヴィオの頭を優しく撫で、結局悪魔とカラ松さんがどうして親しいのか、どこで知り合ったのかは分からないまま、ただ悪魔のお伽噺を聞かされただけだとため息をこぼした。…カラ松さんに聞いたら教えてくれるだろうか。


「俺とあの悪魔が親しい…?やめてくれ、寒気を通り超えて吐きそうだ」

「悪魔と同じこと言ってます」

「……眠り姫はデビルに毒されて蝶が海を泳ぐなんて馬鹿な話を信じているようだ。しっかりとそのイアーズから俺の声を聞いて、君の純真な真心を目覚めさせようじゃないか。オーケイ?」

「つまり、」

「悪魔の話をあれこれと信じるものじゃない」


腕を組んで私を見下ろすカラ松さんの背後にはキラキラとステンドガラスが輝いていて、何となく神秘的な光景だなぁなんて思ってしまう。教会に着く間際、悪魔は「帰る頃に迎えに来る」と告げて消えてしまい、ヴィオも悪魔が消えた直後に家の方へと歩いて行ってしまった。もしも村の人達がいたらどうしようかと悩んでいたら、教会から出てきたカラ松さんと鉢合わせして上機嫌に招かれ今に至る。
悪魔の話を信じるな、だなんてそんな事、幼い頃から村人達にも父母にも相手にされず、話し相手といえば悪魔ぐらいの私からすれば無理難題にも程があった。カラ松さんから視線を逸らし応えずにいると下から覗き込まれて肩が跳ねる。びっくりした。


「すまない、君の気持ちを考えてなかった。今は悪魔やトッティしかいなかった時ではないんだ。俺がいる。なまえの話を聞かせてくれないか?俺も君と話がしたい」


初めて言われた言葉に目を瞬かせる。私と話がしたいだなんて、この村に神父様が来た事はあったけれど、こんなにも変わったことを言う神父様に出会ったのは初めてだ。真っ直ぐにこちらを見上げてくるカラ松さんに、笑いそうになるのを堪えつつ口を開く。


「カラ松さんから話してください。私も聞きたいです、人のするお話」

「ああ!そうだなぁ、じゃあ俺が紳士で強くてカッコイイ天使だった頃の話でもしようか!」

「人も悪魔も、ユニークで溢れてますね」


ニコニコと笑うカラ松さんに私はとうとう吹き出した。


2018/05/10