■ 執念深いのはお互い様で

「あーりーえーねー」

「もう朝からずっと聞いてる。いい加減諦めて」

「ここんとこずーっと寄越さなかった癖にまたクソみたいな輩がやって来たのぉ?」


女神様の呪いの効力が切れた途端に顔を出した赤い目の悪魔は、私の顔を見て嬉しそうに笑った後スグに嫌悪感丸出しの顔を向けてきた。どうやら神父様、聖職者が私に接触したのが分かったらしい。撓垂れ掛かるように後から私の両肩に悪魔の両腕が乗って、重いことこの上ない。煩くなると覚悟してたつもりだけどまさかここまでとは。村人達の目には視えないらしいけど、こうも体に負担が掛かると流石に口数が多くなる。


「んもー、ほんっとなまえって神様に好かれてんだから困るわぁ!」

「悪魔にも好かれてるよ、今」

「んーふふふふ」


よく分からないけれど機嫌は直ったようだ。でろりと擦り寄ってくる悪魔を押し退けつつ、こちらの様子を遠巻きに眺める村人達を一瞥する。
今日は村に卵と小麦粉を買いに来ただけなんだけれど、悪魔がずっと話しかけ続けてくるので私も思わず相手をしてしまう。無視するのが一番なんだろうけど後で物凄く面倒な事になるから極力は相手してやらないといけない。この悪魔、本当に構ってちゃんである。


「なぁなまえ。もしなまえが俺にお願いしてくれたら、ここら辺の人間ぜーんぶ焼き殺してもいいんだぜ?」

「…その対価は?」

「特になまえから貰うもんねぇけど。あ、ずっと俺といてくれたらそれでいいよ」


悪魔にでもなっちゃう?なんて軽々しく言ってくる赤は冗談で済ませるつもりはなかったようで、睨むようにこちらを見る村人達に目を向けてニヒルに笑ってみせた。悪魔に見られているなんて露知らず、顔を寄せてこちらを伺い密やかに話し合っている村人達の姿は。なんというか。


「滑稽だ」

「でしょお?」

「なまえ」

「……あ?」


村人達からどよめきが起こった。私の名前を呼んで応えを待つ人なんて、この村には一人もいない。その上、村人達から只々信頼を向けられる人なんて聖職者以外にいないのだ。振り返った私と同時にそちらを向いた悪魔の、聞いたことのないようなあまりにも冷えたその声に背筋が粟立つ。それを見上げるより早く腕を引かれ、前を歩くカラ松さんに殆ど引き摺られるようにして村を出た。


「あぁ、そう。へぇ、中々様になってんじゃねぇの、そのカッコ」

「…久し振りだな、赤目の悪魔。手荒い事はあまり好かないが、お前なら容赦はしないぞ」

「たかが人間、たかが悪魔祓いが俺を祓うなんざ千年早いっての」

「そうか。なら多少確率はあるな」

「すみません、お知り合いですか?」


ギスギスした雰囲気に突っ込んでいくのは割と勇気があったけれど、口を挟まなければ拳とかの喧嘩になりそうだったので危なかった。村から離れた森の中、悪魔の姿を視認できているらしいカラ松さんと、珍しく感情的になりつつある悪魔は吃驚する程同時にこちらを見て「知らない」と同時に言ってのけた。分かりやす過ぎるにも程があるだろう。久し振りって言ってるよカラ松さん、自分の発言はちゃんと意識して。
何か言えない理由でもあるのかと口を開きかけて、バチッと目の前で火花が散って口を閉ざす。赤く揺れたそれに大きく目を見開き、見上げた先の悪魔は視線に気付いてニィッと口角を上げる。燃える匂いに心臓が嫌な音を立てて、伸ばした手は悪魔に遮られた。


「こんなもんであの聖職者様は消えねぇの」

「っ、燃えてる!」

「炭になってくれれば俺としても万々歳なんだけど」


私の手を握り平然と答える悪魔から、燃え上がる炎へと顔を向けて声が漏れた。人一人を飲み込んだ赤は瞬く間に鎮火して、カラ松さんは何事も無かったかのようにそこに立っていた。木も草も焦げた様な跡もなく、それ等は時折吹く風に揺れる程度。驚いて声も出ない私に一度小さく笑い、悪魔に握られた手を見るや否やカラ松さんの凛々しい眉がギュッと寄せられる。


「気安くなまえに触れないでくれるか」

「なまえがこーんなちっちゃい時から面倒見てんだから普通のことなんですけどぉ」

「お前が触ると菌が移る」

「何そのただの中傷。普通に傷付くんだけど、悪魔でも心はあるんだからね?」

「よく知ってるさ。だから言ってる」

「ほんっと腹立つなお前。つーか他人には関係なくない?」


トド松と話してる時とは全く違う、硬い表情をしているなぁなんて驚きもそこそこに呑気に考えていたら、悪魔の言葉を最後にぱったりと口論は止んだ。静かにゆっくりと片手で両目を隠すように覆って深く息を吐いたカラ松さんに、隣から「あ、やべ」と小さく呟く声が聞こえ、悪魔が何やら失態を犯した事を知る。


「ごめん、なまえ。今日は俺もう会えないから。明日は約束のパンケーキ作ってね」


それだけ囁いて草木の影に溶け込むようにして消えた悪魔に、まず作る約束なんてしてないと文句も言えず、恐らく穏やかではないカラ松さんと二人きりの状態にされてしまってどうしていいのか分からない。とりあえず少し距離を縮めてカラ松さんの様子を伺えば、両目を覆っていた手があっさりと外れ、何とも綺麗な笑みを浮かべた顔がそこにあった。寒気がしたのは気のせいだと思いたい。今日は過ごしやすい気温である。


「必ず君からあの悪魔を祓ってやるからな」

「え、あ、はぁ」

「今から見る事は五分後には忘れるんだ。約束だ」

「やくそく」


その日、森の中にある直径約80cm程のそこそこ大きな木が一人の男の手によって薙ぎ倒された。今までのどんな超常現象よりも恐ろしいものを見た気がする。


2018/05/10