■ 世界に色がついた気がした

週に一度、女神様の泉で祈りを捧げる日とその翌日は悪魔は顔を出さない。やはり正反対の種族(?)だからか、馬が合わないんだろうと思う。
神聖なその場所に招かれるのは女神様が許可した者だけで、それ以外の者は森の中をさ迷いいつの間にか元いた所に帰ってきているという。泉の場所を知る者は村ではきっと私だけ。少しばかりの優越感に浸りながら、籠の中にタオルと今朝採れたばかりの葡萄を一房入れて森の中へと歩を進める。トストスと軽い足音が背後からして、振り返らずにそのまま先を進んでいれば肩へと軽い衝撃が走った。


「おはよう、ヴィオ。今朝はお寝坊さんだ」


返事をするように「なぉん」と一つ鳴いて体を預けてくるヴィオの頭を撫でた。歩くこと数分。鬱蒼とした木々から徐々に光が差し込んで、一際眩しい光に思わず瞼を閉じる。ほのかに温かな気温に小鳥が鳴く音が聞こえてきて、目を開けば大きな泉が目の前に広がっていた。


「おはよう、なまえ。今日も時間ぴったり」

「おはようございます、女神様。間に合って良かったです」


泉の中央、真っ白な石の上に腰を下ろす踝丈のキトンを着た男が穏やかに笑みを浮かべて声をかけてきた。蔦の冠をくるくると指で回して遊ぶその様は、どうにも只の人間に見えて仕方ない。けれど泉に向かって投げられたそれが水面にぶつかる手前、ふわりと宙に浮いて女神様の頭の上に戻るのだから何とも言えない。


「何か変わったことはあった?」

「悪魔に晩御飯を強請られたことぐらいですかね」

「人間の食物は悪魔には毒だって聞いたけど…」

「ですよね…?」

「ま、そのまま消えてくれればいいんだけどね」


ため息を一つ零して「おいで」と一言くれた女神様。近くの木の下に籠を置いて、羽織っていたカーディガンを畳んでその上にヴィオを座らせる。真っ白なワンピースに裸足のまま泉に足をつけると、足先からくる冷気に肩が震えた。深さは丁度腰より下がつく程度、真っ直ぐに女神様の前まで歩いて行けば私には理解できない言語で何事かを呟く女神様。水の玉が水面からぽつりぽつりと浮かび上がり、私の真上を水の柱が弧を描き小雨を降らせる。目を閉じて両手を組み合わせ、女神様の呪(まじな)いの言葉を静かに聞き入れる。


「濡れるよ」


静かな声で言われたいつもの言葉に返事はいらない。慣れた今では言葉をかけられなくても平気だけれど、初めてこれをした時に必要以上に驚いたのが原因だろう。とても優しい。女神様が両手で掬い上げた清められた水を頭から掛けられ、最後に額を合わせて呪いの言葉を唱えて終了。悪魔憑きである私が本当に悪魔に魂を取られないようにする為のこの儀式は、父母がまだ健在だった頃からの習慣である。父母も女神様のお許しを得ていたらしいけれど、この場所に来た所を見た事は無かった。
ひやりとした幾分か大きな手が私の両頬を持ち上げ、恐らく後少しで額が重なるというところでバシャリと大量の水が降ってきた。初めて受けたそれに驚いて目を開けば、あれだけの水が降ってきたというのに一つたりとも濡れていない女神様の視線は別方向にある。同じ方向に顔を向けると、驚いたように目を見開いてこちらを凝視している男がいて、格好から察するに聖職者辺りだろうと思われた。


「…女神様のお友達?」

「オイこら、何勝手に入って来てんだ。儀式の真っ最中だっつーの」


私の問いに答えず悪態をついた女神様の口調が荒れていた。久々に聞いたなぁなんて考えつつ、前髪から落ちてくる水滴を払う。もしかしたらあの男の人と約束でもしてたのかと思ったけど、女神様の様子から見るにそんな事は無いようだ。というか無言で瞬きもせずにこちらを見てくる男の人を誰かどうにかしてほしい。


「…あ?おい、おいコラ、カラ松。薄着の女の子を凝視して変態かお前」

「んんんんお前に言われたくないな女神チョロ松!!!」

「だぁから儀式だっつってんだろ」


「変態」という言葉に途端に顔を真っ赤にさせて指をさす男に、事も無げに言葉を返した女神様は深くため息をついて私の頭を撫でる。「邪魔が入ったから後でもう一度ね」と私の体を浮遊させて岸辺に上げてくれた。濡れた体はタオルで拭い、ヴィオが咥えて持ってきてくれたカーディガンを羽織り、まだ赤い顔で何故かサングラスを装着した男に向き直る。


「そ、その…、すまないレディ。知らなかったとは言え、儀式の最中に入り込んでしまって」

「いえ、後でやり直すので大丈夫です。神父様、で合ってますか?何か女神様に用事が」

「カラ松だ」


あったんですか?と聞く前に唐突に名前を述べられた。聞いてないのに何故。えぇ、神父様でいいんじゃないのかここは。それでもまあ名前を言われたし、こちらも挨拶しなければ礼儀がなってないというもの。何故かヴィオが威嚇するように喉を鳴らすので「ヴィオ」と声を掛けて頭を撫でながら口を開いた。


「なまえです。はじめまして、神父様」

「…うん、はじめまして、なまえ。どうか名前で呼んでほしい、そちらの方が呼ばれ慣れてるから」

「な、名前で呼ぶのは私が慣れてないんです…。努力はします」

「その猫くんは名前で呼んでいるのに?」

「え、だって、ヴィオは私の大切な子ですから」


不思議そうに首を傾げる神父様にそう言葉を返せば、肩の上でビクリと震えて体を硬直させるヴィオ。照れているのか何なのか「にぃ」と一つ鳴いて擦り寄ってくる。人の言葉が分かるなんて賢い子。


「やーい、フラれてやんの。ざまぁみろ」

「ハハーン!チョロまぁつ?些かお前の態度は女神らしさが低下していると思うぞ?そんな事を言っていたら大地の恵みを営む幾億の煌めきからお前の神聖なる純真な真心を思う気持ちが彗星の如く、」

「日本語で喋れ」

「…神父様、日本語でした?」


よく分からないポージングを決めてよく分からない言葉を並べ立てた変な神父様は、女神様の言葉によって一刀両断された。
そういえば、何故神父様はヴィオがオスであることが分かったのだろうか。


2018/05/10