■ はじまりはまだ

ジャムを買いに来ただけなんだけれど。言葉にしようとして、どうせそれ以上の震えた情けない声でかき消されるだろうから諦めてしまった。ブルーベリーのジャムを籠に入れ、両腕を抱えて恐怖に染まった瞳をこちらに向ける老婆の目の前、カウンターに相当のお金を叩き付けて背中を向けた。今度からジャムも自分で作るべきかと考えながら村の外れを目指す。その道中も向けられる忌避するような目。眼。瞳。


「はぁい、なまえちゃん。お目当てのものは買えた?」

「うん、バッチリ。和気藹々と平和的に入手出来た」

「わかりやすいなホント」


私の顔を覗き込むように唐突に顔を出した赤い目の男に足が止まりかけた。私の言葉が可笑しくて堪らないと言わんばかりに笑う男の頭には角が一対。その背中には蝙蝠のような翼が広げられており、尻の辺りから足先まで伸びた先が矢印ような形の尻尾。人間離れしたその容姿はまさしく悪魔と表すに相応しい。
物心付いた頃からこの赤い目の悪魔は私の傍にいた。初めて声をかけた時「視えてんの?」と白い頬を朱に染めて幼い私にも分かる程に狂喜乱舞していたのを覚えている。そうして今まで溜めていた話題全てをぶちまける様に話立てられ、皆も視えていると思い込んでいた幼い私は当然の様に返事をしていたのだ。気付けば「あの子は悪魔に憑かれた」と村人達から忌避される存在になってしまった。両親もそれ故に心を病み、私が十二歳になる頃には他界してそれが更に悪魔憑きと言う事を助長させた。


「うわ、ブルーベリーなんて買ってる。普通イチゴじゃねぇの?」

「勝手に中身を見るな。もし女の子のアレやそれだったらどうするの馬鹿」

「え、興奮す、いでぇ!?」

「あ、ヴィオ。何処行ってたの、薬の時間に居なかったでしょ」


人の目には視認できない赤い悪魔の手に思い切り噛み付いたのは、私が親を亡くした十二歳の頃に拾った紫の毛並の尻尾が二股に分かれている猫である。ちなみに紫だからヴィオという単純な名前をつけた。挨拶代わりに悪魔の手に噛み付いた後は、軽い身のこなしで私の肩へと身体を落ち着けるヴィオ。頭を撫でてやれば「なぁん」と甘えるように一つ鳴いた。可愛い。


「かーっ!ほんっと可愛くねぇ化け猫だなぁお前!」

「私の自慢の愛猫に何てこと言うの」

「なまえ騙されてる!コイツ只の猫じゃねぇから!元は人の形した男だから!」

「はいはい、悪魔様の言う通り」

「そうだけどそうじゃない!」


ぎゃんぎゃん喚く悪魔に言葉を返す度に村人からの視線は鋭いものへと変わっていく。これだから外で話しかけて欲しくないんだけれど、悪魔にそんなの関係ないんだろうなぁ。
村の外れにある森の近くのこじんまりとした小さな家は、それでも私一人が住むには十分な広さだ。庭は種類豊富と迄はいかないが幾つかの農作物を育てており、水も近くにある山の湧き水を使用している。本当に最高の環境だ。家に入れば当然の様に後を着いてくる悪魔にももう慣れてしまった。未だに威嚇の声を上げるヴィオを持ち上げ、椅子に座ってその身体を膝上に乗せれば途端にその体を硬直させた。いつもの事だから気にせず、さっさと薬をその背中に塗り込んでいく。


「化け猫の癖に生意気ぃ」

「猫は嫌い?」

「んー、嫌いじゃねぇよ?俺がいない時にこの毛むくじゃらがなまえを守ってくれてるわけだし」

「…まあ、そうだね、ヴィオはよく害虫駆除とか率先してやってくれてるし。凄く助かる。けど傷に響かない程度にね」

「そういう事じゃ無いんだけど…。てか傷は治ってんじゃん」

「痕が残ってるんだよ?まだ痛いかもしれないじゃない」


ふぅんと興味が有るのか無いのか微妙な返答だった。
ヴィオの背中には首から尻尾にかけて大きな傷痕が一つ残っている。猫又のヴィオは村人達から不吉の証として蔑まれ、虐待を受けていたのだ。傷口は塞がるけれど、痕は残るととある魔法使いに言われたそれ。痛々しい傷痕が少しでも無くなればと、魔法使いから貰った痕を消す薬をここ数年使っているがあまり効果は無いらしい。ため息をこぼしてその背中を撫でてやればチロリと小さな舌が手の甲を舐めた。気を遣ってくれているのだろうか、だとしたら何て賢い猫なんだろう。


「今日はちょっと冷えたから、温かいスープでも作ろうか」

「はいはい!俺クリームコロッケ食べたい気分!」

「人間の食物食べられないのによく言うね」

「なまえのご飯は食えるんだよなぁ。もしかしてなまえの前世って悪魔だったんじゃない?」

「ヴィオ、あの悪魔追い払って」

「え、ちょっ、アーーーッ!!!」


容赦なく噛み付きに行ったヴィオに、悪魔とは思えない悲鳴が家に木霊した。まあその声も私にしか聞こえないんだけれど。


2018/05/10