■ VI

結局。気を遣う素振りを見せてくれた月雄と猿飛さんを何とか笑顔で外にお見送りして、そのまま早上がりさせてもらう事にした。全く笑顔を作れていなかった。お店の女の子達にも心配されるぐらいに酷い顔をしていたらしい。深くため息を吐き出して、気持ちを切り替えようとしても全くの無駄で。余計に考え込んでしまうだけになった。
お店は暫く休むことにした。こんな気分のままお客様の対応なんて出来るわけがない。ちゃんとした対応ができなければホステス、ホストとして失格である。


「映画を見に行きませんか?」

「…映画」

「はい」


数日後のあるお昼のこと、私の家の前でそう言ったのはチケット片手に柔らかく微笑むお妙ちゃんだった。気分では無いからと断ろうとして、有無を言わせないような笑顔を向けられてしまえば断ろうとした口も閉じてしまうというもの。普通に恐怖を感じる笑みだった。キャバ嬢がする笑顔じゃないでしょアレ。


「すみませんなまえさん、膝掛け貰ってきてくれませんか?」

「ああ、気が利かなくて悪い。温かい飲み物は?」

「大丈夫です、ありがとうございます」


ニッコリと笑うお妙ちゃんは本当に女優か何かかと疑ってしまう。膝掛けを取りに行った際に、まさか男に戻っている坂田さんと鉢合わせするとは思いもしなかったのだから。まともに話を出来る筈もなく、目を見開いて固まっている坂田さんに声をかけるのも変だなと思い、無視する事にした。


「ちょ、待てって、なまえ」

「すみません、ちょっと急いでるので」

「何でそんな他人行儀?話があるんだって」

「間に合ってます」

「セールスマンじゃねぇっての。オイ、コラ、止まれって」


気持ちの整理がついていないのに話はできない。人の気持ちも知らずに、腕を掴んで離そうとしない坂田さんに内心舌打ちした。本当にしつこい。ふと廊下の先を見遣れば、曲がり角から顔を出して笑顔で手を振るお妙ちゃんと、何処に隠れていたのか元に戻ったらしい九兵衛さんが困ったような顔をしていた。まだ顔を合わせてはいないものの、あの地下にいた皆はもう元に戻っているらしい。私以外は。


「なまえ?」

「…何の話?」

「あー、その、…場所変えるぞ」


一瞬謝られるのかと思ったけれど、そうではなさそうで。連れてこられたのは坂田さんの職場であり住居でもある『万事屋』で、ソファーに座るよう促された。新八くんと神楽ちゃんは朝から出払っているのだとか。確かに、話をするには申し分ない程静かな場所ね。


「それで、話って何?」

「…なまえが男になったらホントにただのイケメンなのな」

「帰る」

「嘘嘘嘘!冗談!冗談だから!今のは気にしなくていいから!本当に!待って待って!」


立ち上がった瞬間に両肩を押されてソファーに逆戻りした。そんな下らない事を聞くためにここに来たんじゃないと坂田さんを見上げれば、罰が悪そうに視線を逸らされ向かい側へと座り直す。
いっその事、もう元に戻れないのだと言われた方が気が楽だった。あの巫山戯た装置はもう使えなくなってしまったから、元には戻れない。文句が無いわけではないけれど、子供のように八つ当たりをするだろうけれど、きっとそう言われた方がまだ何処かで期待している自分を消し去ることが出来るだろうから。


「その、元に戻る方法なんだけどよ…」

「…」

「なまえってその、注射とか苦手?」

「…は?いや、別に、苦手ではないけど」

「あー、そっか。うん、よし、じゃあハイ。これ」


そう言って坂田さんが机に置いたのは注射器。容器自体は全く変なものでもなく、病院でよく見るような普通の形。ただ中身は見た事も無いような色をしているというか。一言でいえばピンクである。発光色がかなり強めのピンク。明らかに普通のものでは無いのが見て取れた。


「坂田さん」

「…おう」

「その、まさかとは思うけど、あの」

「…コレで元に戻りマス」

「冗談でしょ!?」


男であるのも忘れて上げた声はかまっ子倶楽部でよく聞くような声だった。元に戻れることを知ることが出来たのはかなり良い報せではあった。けれど、まさか、こんな明らかに人体に影響が出そうな液体を持ってこられるとは。僅かながら光っている気がしないでもない。いやこれは光っている。絶対に光ってる。冬場のイルミネーションとかでよく見る色だ。嬉しいとか悲しいとか、そういう意味では無い涙が流れそうだ。


「じゃあ、その、なまえ」

「じゃあ!?何がじゃあなの?嘘、待って、心の準備が、というか本当にそれで元に戻るの!?」

「一応な。大串くんで確認は取れてるから大丈夫」

「誰よ大串くん!?あっ、ちょ、待って」

「…なまえのその顔、何かクル」

「馬鹿っ!」


注射器片手に私の腕を掴む坂田さんは何故か口角を上げていて、捲り上げられた袖を隠すことも出来ず、ただ固く目を瞑って事が過ぎるのを待った。刺された痛みは一瞬で、別段何かが変わったようなそんな雰囲気は全く無い。恐る恐る目を開けて自分の体を見下ろせば、体は確かに男だった時よりも縮んでいて、掴まれている腕も男のそれとはかけ離れた細さで。口をついて出たのは疑問の言葉だった。


「も、戻った…?」

「…戻った」

「あ、声も戻ってる…」


喉にあった凸凹も綺麗さっぱり無くなり、何度か音を出してようやくそれが本来の自分の声だと認識できた。安堵したのも束の間、頬を覆うように大きな手が滑り込んできて、驚きの声を上げる間もなく顔を上に上げさせられる。首を痛めたらどうしてくれるのかしら。


「な、なに…?」

「俺がなまえに嘘つく理由無ェだろ」

「…聞いたの?」

「信用されて無いみたいで悲しかったぜ、俺は」

「…そうね、信じるべきだったわ。ごめんなさい、許してくれる?」

「んー?」


意地の悪い笑みをする男だと思った。まあその、待ってろと言われたのを待たず、勝手に坂田さんを嘘つき呼ばわりしたのは完全に私が悪いというか。坂田さんの反応を見るに、言葉での謝罪で収めようとはしていないらしい。本当に意地が悪い。
直後、勢いよく万事屋へと帰ってきた神楽ちゃんが何を思ってか坂田さんの横っ面めがけて綺麗な飛び蹴りを披露したことによって、私は出かけた言葉を飲み込むことになった。


「なまえちゃんが銀ちゃんの毒牙にかかりかけてたアル」


そのすぐ後に帰ってきた新八くんが倒れている坂田さんを見て絶叫して、褒めてくれと言わんばかりに胸を張ってそう主張した神楽ちゃん。取り敢えず頭を撫でておいた。


2018/02/06