■ IV

「今日上司から叱られちゃって…」

「すまない。悩んでいるのは分かるけど、一緒にいる時はオレの事だけを考えて欲しい。我儘でごめんな」

「帰りたくないなぁ」

「嗚呼、悪い子だな。そんな事を言われたら帰らせたくなくなるだろう?ほら、オレが狼になる前にお帰り、可愛い人」

「彼氏には秘密で会いに来ちゃった!」

「スリルを感じたいのかな?そうだな、なら恋人から君を奪ってしまおうか。…なんて、そんな顔するなんていけない子だ。奪うなら正々堂々奪ってみせるよ」


歯の浮くような台詞が有り得ない事に自分の口から出てくる事になるとは思いもしなかった。指名され席につくお客様は全員女性で、男の身になった自分も初めの動揺は消え失せ今では手馴れた口説き文句を並べていくだけになっている。可愛らしく頬を染め、照れを隠すように頬を両手で抑えるお客様を笑みを浮かべて眺めつつ気付かれぬように息をついた。
元の体に戻る手段が無くなってしまった私たちは、呆然と立ち尽くしながらも一人ずつその場を解散していった。頭を抱えてどうするべきかと悩んでいた私に手を伸ばしてきたのは坂田さんで、幾分か低い位置にあるそれを見下ろせば真っ直ぐな目を向けらる。


「必ず元に戻してやっから、それまで待ってろ」


根拠も何も無いその一言は、けれど私の首を頷けさせるには十分で。以降坂田さんの接触があるまでは、ママと相談してお店を休んでいようと考えた。それが覆されたのは「元に戻った」と女の子達の歓声が響くお店の中で、「こういうのも面白い」と言うだけでホステスだらけの中にホストが一人誕生した時である。ママの思考回路が本当に理解できない。女の子達も私だと分かるとママと一緒になって理想の男性像を押し付けてくるのだから、私のホストはかなりのハイスペック性を伴った。物凄く簡単に言うと少女漫画のヒーローである。加えて元が女なのでその辺の配慮も完璧で。結果、爆発的に女性からの人気を得た。新規を太客に変えてしまうなんてざらにある。ママもご満悦だ。全くもって嬉しくない。


「私は大人しく、大人しく家で待ってるつもりだったんだけれど」

「活かしてやらなきゃつまらないだろう。どうせ元に戻るんだ、今を楽しみなよ」

「人の不幸を楽しみすぎよ、ママ」

「その割りにはノリノリじゃないか」

「どこをどう見たらノリノリに見えるのかしら?」

「しっかりやりなよなまえ。あと口調は男に戻しな、それじゃ別の店に異動する事になるよ」

「……勘弁してくれ」


眉を顰めて見下ろす位置になってしまったママを見遣り、カラカラと笑ってお店の奥へ戻る背中を見送った。何時になったら戻れるだろうかとゴツゴツとした骨張った手の甲を見てため息をこぼした。


「僕はこの手は好きだけど。乾燥もしてないから肌触りも良い」

「俺はこの腰が好きだな、薄いようで以外に筋肉もある」

「…好き勝手に触ってくれるな二人とも」


私の手をマジマジと見つめて皺をなぞる指先に擽ったさを感じ、大胆にも腰を掴んで時折撫で上げるそれに肩が跳ねる。恨みがましく猿飛さんと月雄を見れば愉快だと言わんばかりに口角を上げた。どちらかが女ならばまだしも、どちらも男であるのだから絵面的にかなり苦しいものがあるというか。思わず口に出せば互いに顔を見合わせ、端正な顔は真顔のまま首を傾げた。まるで私の言う事が心底理解出来ないというようなそんな顔である。


「元々女なんだから平気だろう」

「いや、こちらは平気でも視界に入るお客様もいるんだからな?」

「知ってるか?こう言うのが好みの客だっているんだ」

「知ってはいるけど自分がその対象になるのは違う!」


グイグイと迫り来る二人を押しのければ、笑ってあっさりと身を引いた。両隣に座り直した二人に「それで」と話を促せば途端に真剣な表情に切り替わるものだから思わず息をついた。雰囲気が変わり過ぎだ。


「デコボッコ教が次に標的にする惑星を特定した。手筈通りに行けば僕等は元の性別に戻る」

「ただ問題が一つあってな」

「問題?」

「なまえを連れていけない」

「は?」


月雄の言葉に思わず眉が寄る。どういう事だと猿飛さんにも視線を向ければ、困ったように眉を下げて制するように両手を向けた。


「地球で衛星を破壊したのは良かったんだが、新しい兵器を作り出したらしくて、それも潰す事になったんだ」

「向こうもそれが分かれば全力で阻止してくるだろう。最悪、逃げられるかもしれない」

「……足でまといになると」


無言は肯定だと知っていた。
戦う術を持たない私を護りながらその新しい兵器を破壊するのは、確かに幾ら彼等が強くても時間がかかるだろう。月雄の言った通り逃げられてしまえばまた一からやり直す事になるかもしれないし、次が無いかもしれないのだ。分かっている。これは決して彼等が悪いのではない。頭ではきちんと理解はできている。けれどそれで、はいそうですかと何の文句も無しに引き下がれる筈もない。ありえない。あの兵器を破壊するなら、私はどうやって元の性別に戻ればいいのだ。


「……あぁ、そう」

「…なまえ?」


ふと坂田さんの言葉を思い出した。「必ず元に戻す」と彼はそう言った。本人が説明にくるのではなく、態々月雄と猿飛さんがお店に来てまで私に話したという事は、何か後ろめたい思いがあるからなのか。一度後ろ向きに考えてしまうとどうも止まらない。弾き出した答えは至極簡単に纏まった。


「……うそつき」


両隣から息を呑む音が聞こえた。


2018/01/06