■ わたしのあのこをなかしたあのひと

外出しようとして、玄関扉が勢い良く開いて頭をぶつけそうになった。驚きつつも入ってくるのは凛だけなので、声を掛けようとして吐き出そうとした言葉は飲み込まれる。私に気付いた凛が慌てて顔を隠して通り過ぎようとしたので、それは許さずその手を掴んだ。


「なまえっ」

「誰?」

「違うの、コレは…!」

「凛、」


私の大事な子が泣いて帰ってきたら、流石に私も怒ってしまうというものだ。出来る限り普段通りの声色で、凛の涙腺を刺激しないように優しくその頭を撫でて目線を合わせてやる。凛の言葉を遮るのは些か心苦しく思うが、後でちゃんと聞くから先に誰が原因かを教えて欲しかった。


「…、…ん」

「うん?」

「…衛宮君」

「…」


俯いてそう言った凛に、私は何も言葉に出来なかった。痴話喧嘩なら私が口を出す事でもないしなぁと先程までの怒りは何処へやら、凛の手を離してその旋毛を眺める。そうして何か言うべきことも思い浮かばず、ただ「そう」としか言葉に出来なかった。
まあ兎にも角にも、凛はそれだけしか言わなかったし、詳細を聞こうとしたら「衛宮君に聞いて」の一点張り。真相を知るべく士郎の家に来たわけだけれども、アーチャーに聞けば手っ取り早いんじゃないのかと思ってしまった。しかし士郎の家の前まで来たわけだしもう本人に聞いた方が早いかなぁ、どうするべきかなぁと首を傾げていれば、ふと視界の端で揺れた赤い外套に気付いて振り返る。


「凛と士郎に何があったか知ってる?」

「…君が口を挟むことではないと思うが」

「うん。痴話喧嘩と分かったら何も言わない」

「そうか。まあ、私が何を言っても君は本人に聞きに行くんだろう?」

「いや、そんな事は」

「そんな事は?」

「無い…とも、言えない、けど」


したり顔で見下ろしてくるアーチャーは意地が悪い。ため息をついて家の方に向き直り、呼出音を押す。驚いたのは、出てきた士郎の左頬が綺麗な紅葉の形をしていて、氷嚢片手に苦笑いを浮かべていた事だった。
知らぬ間にアーチャーは姿を消していて、客間に通された私はというと士郎の顔を見ているしか出来なかった。どう考えても凛にやられたとしか思えない手形に、自分から話すようにと促してみる。


「あー、遠坂からは何も聞いてないのか?」

「士郎に聞けって言われた」

「あー、そっかーそっかー」


苦い顔で赤いそれに氷嚢を押し当て、答え難いと言うように顔を伏せる。痴話喧嘩と一言そう言ってくれるなら、私は何も聞かずに帰るんだけれど。まあそんなことを言おうものなら二人は全力で否定するだろうから、私が判断するしかないんだけれど。


「なまえはさ、誰に魔術を教えて貰ったんだ?」

「秘密」

「ええー…。まあ、いつか教えてくれよ」

「墓場まで持っていく」

「何でそんなに頑ななんだよ」


笑う士郎が遠回りに伝えようとして、それを察したので嘆息した。つまり士郎は凛に魔術の師を聞いたわけだ。凛の師は彼女の父親、遠坂時臣であり、第四次聖杯戦争にて亡くなったと聞いている。深い話までは興味がなかったので詳しくは知らないが、勝者は決したらしいが、何を思ったのかその勝者が聖杯を破壊してしまったのだからよく理解できない。
話は戻り、凛の事であるから尊敬している父の事について聞かれて、きっと意気揚々と語ったのではないかと思う。士郎はただ単に興味から聞いただけだろうし、士郎が彼女の師を悪く言うことなんて想像もできない。じゃあその手形は何なんだ。


「えーと、センチメンタルになったんじゃないかなって」

「…凛が」

「うん。で、女の子が涙目になったら流石に俺も焦るし、遠坂にちょっとしつこくどうしたのか聞いちゃってさ」

「……そう」


士郎が作ったというお茶菓子に手を伸ばす。口に放り込んで、お茶を飲み、一息ついてから同時にため息をこぼした。八つ当たりとはまた違うような気もするけれど、取り敢えず士郎は何も悪くないことが判明した。多分だけれど、一人になりたくて誤解するような言葉を選んだんじゃないだろうかと思う。


「士郎も凛も悪くないな」

「いや、俺は遠坂を泣かせちゃったわけだし。これも罰だと思えばどうってことないよ」

「…女の子誑しって言われるわけだよ、士郎」

「なんでさ」


士郎の赤い頬に手を添えて治癒魔術を施し、その橙色を撫でてやった。いつか士郎は必ず修羅場を作るだろうと思う。いやもう作られているんだろうか。まあ、士郎の事だから上手いこと切り抜けるだろうと、治った頬を触って感心している士郎を見ながら笑っておいた。


2018/01/16
わたしのあのこをなかしたあのひと
(痴話喧嘩がいつか聞ける日が来るんだろうか)