■ へこたれないラビ

「はよ、なまえ」

「あ、えーと、神田くん?」

「ラビ!」

「…そうだ、ラビくんだ。おはよう、ラビくん」


朝の食堂。時間と共に人が集まってくる中、他より先に席に着いていた私の前に立ったバンダナを頭に巻いた男の子に声をかけられた。ラビくんは苦笑した後、トレーをテーブルに置いてそのまま座る。


「まだ覚えられないんさ?この頭は」

「ちょ、やめ、やめてっ」

「んー、へへっ。顔真っ赤さ〜」


額を指先でつつかれて慌てて背中を逸らしてその指から逃れる。楽しそうに笑うラビくんは私の記憶にあるものと漸く一致した。
人の名前を覚えられない、それに加えて男性(子供も年配の人も関係ない)に触られるのが苦手だ。話すのは平気だが、今のように指先で触られるという軽い接触でも無理なのだ。厄介極まりない体質だけれど、教団にいる皆はほとんどが分かってくれていて無理な関わり方はしてこない。本当に助かっている。


「ラビくんは朝から任務?」

「いーや、俺は昼からさ!その前にコムイに呼ばれてるんさ」

「コムイさん…。あ、室長」

「そ。流石にコムイのことはちゃんと覚えてるんだなぁ」

「うん。私の大切な人」


ラビくんの言葉に頷いて、口角が緩んで気の抜けた変な顔をしてしまった。
名前が覚えられないのは本当。でも室長だけは別で、私の最も憧れる素敵な人だ。あの人の記憶力とか色んな化学薬品とか勉強になる。成功例とかは聞いたことないけど、まだまだ未熟な私にとっては憧れが強くて。つまりはあんな人になりたいんだ。…性格とかは除いて。
そんなことを考えながら紅茶に手を伸ばして、ぶにっと頬に指がつきささった。私の手ではなく、目の前から伸びた私とは違った大きな手で。


「あ、うぁっ、ら、ラビくんっ!?」

「…なまえの言ってる“大切”ってのが憧れなのは分かってるけどさぁ、どーしても嫌なんさ」

「ひぇ、ラビくん、て、手をっ、手をどけて」

「ちょーっと荒療治だけど、俺で慣れてみるんもいいと思う」


背中をどれだけ逸らしても、ラビくんはテーブルに体を乗り上げて指先でつついてくる。私からはどうしても触れない。相手から触られるのが嫌なのに、自分から触るなんて以ての外だ。
指が一瞬離れて安心したのも束の間、パッと広げられた五本の指が視界に映り青ざめる。目の前のラビくんはニッコリと笑っていた。


「でぇっ!?」

「何してんだお前は…」

「ダメだよラビ。なまえをいじめちゃ」


頬に掌が触れるより先に、ラビくんの頭の上に拳が落とされた。呆れたように怒ったように眉を寄せるポニーテールの男の子と、小さな子供を叱るような口調でラビくんを嗜めながら私の隣に座る女の子。


「あ、えっと、…アレンくんと、ミランダさん?」

「神田だ」

「リナリーだよ」

「あ、う、ごめんなさい」


また間違えた。思わず謝れば気にしてないよとリナリーさんは笑う。神田くんもラビくんの隣に座って蕎麦を啜り始めたので気にしてないように見られる。


「なまえもちゃんと嫌なら嫌って言わないと。ラビは調子乗っちゃうから」

「で、でも、ラビくんも私の面倒くさい体質治そうとしてくれてるだけだと思うし…」

「うん。そこがラビの思う壺だと思う」

「ってぇ〜…。ユウ結構本気だったさ…」

「ファーストネームを口にするな。割れてないだけマシだったな」


テーブルに突っ伏していたラビくんが頭を抑えながら神田くんを睨み、それでも神田くんはどこ吹く風。まったく物怖じしてないその態度は凄いと思う。


「あーもー、せっかくなまえと二人だったのに…。人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて痛い思いすればいいんさ!」

「実る確率は少ないけどね」

「そこ!口出し無用!」

「……何のお話?」

「なまえの将来にとってだーいじな話しさ!」


へらっと気の抜けた笑みを見せるラビくんに首を傾げて、それは大切な話なんじゃないだろうかと思った。でもラビくんの頭がテーブルに叩き落とされて悲鳴を上げてリナリーさんに飛びついてしまった。


「やめてください。なまえは純粋なんですから、あっさり間に受けてしまいますよ」

「すごい音したね、アレンくん」

「このぐらいしないとラビは直ぐに調子に乗りますから。おはようございます、なまえ」

「あ、あ、えっと、アレンくん?だよね?おはよう」


リナリーさんが先に言ってくれたから今度は間違わずに済んだ。リナリーさんに謝って体を離せば頭を撫でられて何だかむず痒くなる。というかラビくん大丈夫かな?血は出てないけど、きっと顔真っ赤になってるよ。任務の前なのに。…後で痛み止めか何か渡しておこう。


「来たのかモヤシ」

「アレンですバ神田」

「二人とも喧嘩はダメだって。鍛錬はちゃんと部屋があるんだからそこでしてね」


睨み合う神田くんとアレンくんを宥めるリナリーさんは凄いと思う。よく声かけれるなぁ。怖いから無理だ。
両者立ち上がって口論になり始め、リナリーさんがそれを何とかして諌めようとしている様子を呆然と見つめていれば、もぞもぞとラビくんが顔を上げる。


「アイツら俺に恨みでもあるんか…?」

「ら、ラビくん。鼻血、鼻血出てるっ」

「ん、あ、ホントだ」


ぐしっと手の甲で鼻血を拭い取るラビくんに、荒ててポケットに入っているティッシュを差し出す。できるだけ端の方を持って。
ラビくんは三秒ほどそれを眺めて、ティッシュを受け取ると同時に私の腕を引く。小さな情けない悲鳴が漏れたけど、私の声はアレンくんたちの喧騒にかき消されてしまった。
ちゅっと頬に落とされたキスに目を見開いてラビくんを見れば、楽しそうに笑ってティッシュで鼻血を拭う姿があった。私は今の出来事を理解して、キャパシティーオーバーを引き起こした。つまりは気絶である。


2016/01/22