■ 熱中症の青槍

熱中症という言葉をご存知だろうか。もちろん夏の暑い時期によくやってくる病気でもあるのだが、それとはまた違った言葉なのである。これには深い意味合いが隠されているのだ。いや、同じ言葉なんだけどちょっと下世話というか何というか下心のある言葉というか。
熱中症というものをゆっくりと言ってみて欲しい。
これをある程度ゆっくりと言ってみると、自分からキスを催促しているような言葉になるのである。きっと知らない人はいないんじゃないだろうか。私はこの事実を知らずに友人Aに言わされて散々な目にあったことがある。まさか幼い頃からの友人がいつの間にかユリ系女子になっていたとは誰も思うまい。正直本当に私のファーストキスは女の子になるんだと思った。何とか他の友人Bに助けてもらったんだけど。


「お?」

「あ、お久し振りッス。青いお兄さん」

「おう」


広々と眼前を彩る真っ青な海に向かって、遠い目をしたまま釣り糸を垂らす私の背後から聞こえた聞き覚えのある声。青い髪を風に靡かせてアロハシャツを羽織るお兄さんが釣具を持って背後に立っていた。名前はランサー。外国の人である。


「釣れてんのか?」

「まずまずですねー。昨日よりは釣れてますー」

「あー、昨日は餌ばっかとられてたからなー」


苦い表情で顎をしゃくるランサーさんにこちらも笑って釣り糸を見下ろした。ノッタ感覚はまだしない。
私の釣りはキャッチ&リリース派である。ランサーさんはそのまま持って帰る事が多いのだけど。大量に釣れた日はいくらかを手放しているのをよく見かける。


「あ、そうだ青いお兄さん」

「……ランサーでいいって言ったろ」

「うーん、何か呼びにくい」

「そっちのが呼びにくいだろうが」

「ううーん、じゃあランサーさん」

「さんはいらねぇけどな。何だよ?」


釣具をゴソゴソと漁って準備している背中を一瞥する。つんつんとつつかれている振動を感じて釣竿を握り直す。ここで逃したら今度はいつ来るかわからない。頭の大半はそっちの事で真剣になっていた。なので次に出た言葉はほとんど投げやりというか適当な発言だったのである。


「熱中症って言ってみてくださいよ」


先程よりも釣竿に伝わる振動は増してきていた。これは釣れる。確信めいたそれに口角を上げて海を見下ろす私は、背後で止まった動きに気付いた。あー、やっぱり知ってたのか。軟派が趣味とも言っていた気がするしなぁ。こういった知識は既知という事か。流石だランサーさん。


「あー…、ランサーさん?」


釣竿を見下す私は返事がないそれを不審に思い振り返った。ちゅっと音を立てたそれに目を見開く。平然としたランサーさんの精悍な顔が間近にあり、固まったままの体や思考とは裏腹に動悸はありえない程に高なっている。
声を出したいのに何故か私の口はパクパクと開閉するだけで、ちゃんとした音が出ないでいた。どうやら想像以上に混乱しているようだ。


「なぁ、なまえ」

「……はぃ」

「ンなもん言わせなくてもよぉ、普通に言えよ」

「………………はぃ」


尻すぼみになってしまうのは仕方ないことだと私は思うのだ。だけれどランサーさんはそれが不満だったらしく、ぐにっと私のほっぺを引っ張りあげた。あふううううう!痛いいいいいい!


「泣くなよ、喰っちまうぞ」

「!?」


割と本気の目をしてたから逃げたくなったのはランサーさんには絶対に秘密だ。ちなみに魚には餌を取られて逃げられた。ランサーさん許すまじ。


2015/09/28