■ 熱中症のシンドバッド
「熱中症をゆっくり言ってみなさい」
「熱中症?」
唐突に言われた言葉に瞬きを繰り返す。熱中症だなんて今までの会話に一度も出なかったのに一体どうしたというのか。
真剣な眼差しで頷いたヤムライハを見ながら首を傾げる。これは私が言うのを待っているのだろうか。
「…ねっちゅうしょう」
「あー、だめだめ!もっとゆっくり!」
「ねーっちゅうしょー」
「近づいてきてるわよ!もっとゆっくり!」
何がそんなに興奮するのか全く理解出来ない。何がヤムライハをそうまでして熱中症を言わせようとするのか。何故だか嫌な予感がして口を閉ざした私を見て、ぷくりと頬を膨らませるヤムライハ。そんな顔しても可愛いだけだぞ。チクショウ、私とは月とスッポンだ。雲泥の差だ。
「何で黙るのよ」
「いや、嫌な予感しかしない」
「いいから!言いなさいよー!」
「あ、あっ!擽るな!やめっ!」
脇腹へと侵入してきたヤムライハの細い指先に笑い声を上げる。楽しそうに笑うヤムライハと既に泣き笑いに突入しかけた私は、周囲から見ればじゃれているようにしか見えないだろう。いいや違う。これは苛められているのだ!
「ヤムライハ!ストッ、ストップ!」
「…ふふっ!なまえったらかーわいー」
ぺたりと床に座り込む私を、しゃがんで頭を撫でてくるヤムライハ。おかしい、歳はそう変わらないはずなのに子供扱いをされている気分だ。解せぬ!
「ほーら。熱中症よ、熱中症」
「……まだ続けるのか?」
「当たり前じゃない!」
「……何がそんなにヤムライハをかき立ててるんだ」
ため息をこぼせば、ヤムライハはニッコリと笑って待っている。言わねばならんのか、熱中症が私の前に立ちはだかる。いや何かこの表現可笑しいな。
「なまえ、ヤムライハ」
「あ、シンドバッド様」
「……シンドバッド様?」
背後からかけられた聞きなれた声に振り返れば、そこには何とも言えぬ顔をしてこちらを見ているシンドバッド様の姿があった。
僅かにヤムライハが私に体を傾けかけているので起き上がることも出来ず、失礼で仕方ないがその体制のまま挨拶すれば近付いてきたシンドバッド様の手によってするりと引き抜かれた。例えば猫を抱き上げるやり方である。解せぬ。
「あー!何するのよシンドバッド様!」
「なまえが困っている様子だから助けてあげただけだ」
「ありがとうございますシンドバッド様。正直助かりました」
「気にしなくていいさ」
立ち上がり反論の言葉を口にするヤムライハから距離をとるためシンドバッド様の背中へと回り様子を伺う。巻き込んで申し訳ないのだがしばらく逃げさせて欲しい。さっきのヤムライハは本当に目が怖かった。
「ヤムライハ、ジャーファルが呼んでいたぞ」
「むっ、ぐう!なまえ、すぐに戻ってくるから今度はちゃんと言いなさいよ!」
ジャーファル様強い(確信)。パタパタと走り去っていったヤムライハの背中を眺める。絶対に逃げ切ってやる。マスルールさんに頼んで屋根の上にでも置いてもらおうか。
「それで、なまえはヤムライハに何をされていたんだ?」
「んん、何か熱中症をゆっくり言えって言われてたんですけど、理由は分かりません」
「熱中症?」
やはりシンドバッド様も悩むらしい。ヤムライハももっとちゃんと言ってくれればいいのに。意図が全くわからない。しばらく難しい顔をして悩んでいたシンドバッド様がふと気付いたように私を見下ろした。え、なに。
「え、あの?シンドバッド様?」
「……ヤムライハも随分遠まわしな事をしているなぁ」
「と言うことは、シンドバッド様。分かったんです?」
「ああ」
やっぱりシンドバッド様は凄い人だ。私なんてちんぷんかんぷんなのに、数分も立たずに理解してしまうなんて。やっぱり酒癖や女癖は最悪だけど賢い人なんだなぁ。なんて一人で考え耽ていたからか、手を伸ばしてきたシンドバッド様に反応が遅れた。
「シンドバッド様?」
唇に触れた熱に目を大きく見開く。固まる私を無視してキスしてきたシンドバッド様は、そっと名残惜しそうに柔らかく食んで離れていく。呆然とする私に小さく笑って、今度は耳元に吸いついた。
「ね、チューしよ?」
楽しげに笑ってそう言ったシンドバッド様に、ヤムライハが言っていた言葉の意味をようやく理解する。途端にリンゴのように顔を真っ赤にした私に、シンドバッド様は楽しそうにキスを落とした。
2015/09/19