■ 特別を有栖川は賭けられるか
近所の野良猫に見返りを求めるなんて馬鹿らしい。ああいうのは自分の手から離れてるから可愛いと思えるのだ。懐いているのは餌が欲しいからで、餌を持っていないと悟るとすぐさま踵を返す。実に単純な考え方だ。だからまあ、私の家に我が物顔で入ってくる男に、少しでも見返りを求めた私が馬鹿だったという訳だ。
シブヤの街で女性を腕に引っ掛けて歩いて行ったギャンブラーの背中を見てショックを受けている私。いやぁ、恋愛感情は持たないようにしてるつもりだったんだけどなぁ。いつ拾ってしまったんだか。そりゃ私なんかを宿に選ぶぐらいなんだから、他にそういった女性がいてもおかしいことは無い。別にそこまでショックを受ける事ないじゃないか。どれだけ言い聞かせてみても心臓は痛みを訴えてきて困った。うわぁ、私本当に帝統が好きだったんだなぁ。失恋なんて久し振りに経験したわ。レベル上がってイイ男がポロッと現れないかな。
「もしもし、そこのお嬢さん。こんな人気の多い道端で立ち尽くしていると他の通行人の邪魔ですよ」
「丁度いい所に現れたな幻さん。ちょいと私の失恋話でも聞いてくれやせんか」
「ほほう?創作のネタになるかもしれませんねぇ。いいでしょう、ではあちらの喫茶店へ」
イイ男じゃなく良い男が現れた。呆れたような目がネタになると分かった途端、逃がさぬと言わんばかりに爛々と輝くのだから笑ってしまう。そのまま喫茶店で愚痴を混じえつつ失恋話に興じていれば「貴女ダメ男好きそうですもんねぇ」とトドメを刺された。全然良い男じゃなかった。まあでも話を聞いて貰えただけ有難い。おかげで失恋の痛みはかなり緩和された気がする。私が想像していたより傷は浅そうだ。
「こればっかりは、タイミングが悪かったですねぇ。本当に」
「何の話?」
「いえいえ、お気になさらず。ところでコレ、ネタにするには内容が薄いです」
「厳しいー…」
流石に小説家さんからのダメ出しは厳しいな。まあ確かに自覚したのはついさっきだから仕方ないっちゃ仕方ないんだけど。珈琲片手に他にないのかと要求してくる幻さんに、私が過去の恋愛をぶちまける事になったのは余談である。
昼間見た衝撃は何だったのかと思わせる程に、私は目の前の男を見ても落ち着いていた。アレから根掘り葉掘り過去の恋愛について語らされた私は、そのまま幻さんにお礼として晩御飯をご馳走になり帰宅したのである。そうして帰宅する際、扉前で快活な笑みを浮かべて片手を上げる帝統に笑みが漏れる。また泊まりに来たのかと口を開く前に、急に笑みを引っ込めて腕を掴んできた帝統に目を見開く。
「え、なに、どうしたの?」
「なんだその笑い方」
「は?笑い方?」
「前と違ぇ。笑い方、何でだ」
いきなり人の笑い方に文句を言ってきたぞこの男。失礼な奴だな。部屋に入って鏡の前で顔を確認しても特に変わった感じはない。んー?何が違うのかなー?帝統の言葉に首を傾げても答えは出てこない。そんな私を眉を顰めてじっと見てくる帝統は、頻りに「違う」「なんで」「何かあったか」とずっと聞いてくる。変わったことなんて私が帝統に失恋した事ぐらいで、それ以外は特に何も無いんだけれど。流石に本人を目の前に貴方に失恋しましたと言う勇気は私には無い。
「分かんない。どう違うの?笑い方なんて意識してないよ」
「なんか、違うんだよっ。どこが違うとか、上手く言えねぇけど…、前と違うのは確かだ!」
「えぇ…、具体性が無さすぎでは」
「っ、前の笑い方が好きだったんだよ!」
「え」
今日は随分と帝統に驚かされる日だ。まさか笑った顔が好きと言われるなんて。数時間前の私だったらコロッと信じていたかもしれない。そんな事言っても何も出ないぞ。茶化してそう言えば、帝統の表情は更に険しくなる。
「なまえは俺が急に来なくなったらどう思う」
「え、どうって…、寂しくなるけど、他の所に行ったんだろうなって」
「悲しくなんねぇの?」
「帝統は悲しんで欲しいの?なんで?ただの宿主に対して特別な感情なんか面倒臭いだけだって言ったのは帝統じゃん」
そうだ。いつだかに複数の宿を転々とする帝統に、特定の人
に入れ込んでしまうことは無いのかと聞いた事があった。その際に帝統は以上のことをキッパリと言い切ったのである。過去に何があったかまでは聞かなかったけれど、面倒な感情は持たぬに越したことはないと、そう言った。きっとそれを聞いたから私も自覚するのが遅れたんだろう。
ぐぅっと言葉を詰まらせる帝統に首を傾げる。
「なまえは素性も知らねぇ男を自分の家に泊められんのかよ」
「帝統だから泊めてるんじゃない」
「なんで」
好きだからだよ、とは言えなかった。昼間見た光景が蘇る。褒め言葉になるのか分からないけど、お似合いだなと思ってしまったのだ。私が帝統の隣に並ぶより、ずっと絵になる。だから私は曖昧に笑う。
「なんでだろうね」
もはや仇敵を目にした様な顔付きで私を見たあと、帝統は出て行ってしまった。もう少し穏やかにお別れしたかったなぁなんて思いつつ、早々にお風呂に入って寝た。
翌日。もう会うこともないかなぁと考えて街を歩いていたら、目の前を突然遮る深緑に目を瞬かせる。
「俺の特別となまえの特別、表が出たら交換だ!」
有無を言わさず宙に投げられた一枚のコイン。追って視線を上げた瞬間に帝統が飛び込んできた。受けとめる事も出来ず倒れそうになった体を支える帝統と、地面に転がったコインのどちらに関心を向ければいいのか分からず小さく呼びかける。
「好きだ。俺の特別、なまえにやる」
「…表だった?」
「どっちでもいい。どっちにしろ、俺の特別はやる予定だったから」
「そっかぁ」
顔は見えないけれど、心臓の音は随分と早い。ああダメだ、期待する。こんなの聞いてしまったら、両想いだったんだと勘違いしてしまう。とりあえず街中では恥ずかしいから家でお話しようか。
2020/02/20