■ エースが慰めてくれる

最悪だ、本当に死んでしまいたい程最悪な事態だ。今の顔をナースさん達に見られたら絶対心配される。それだけ溺愛されてるっていう自覚はある。私は最年少の妹であるから。いやそんな事より何かもう涙が止まらなくて焦る。悔しいとか、本当に何だか情けないとか、そんな感情が頭の中で渦巻いててグチャグチャな気分だ。うええええ、こんな事なら船を降りずにマルコと大人しく船番しておけば良かった。自室のベッドに蹲りながら止まらない涙を擦り、そんなことを延々と考える。船に乗る前に泣いた顔を見られないようにと顔を覆って走ったから多分誰にも見られてないはずだ。物凄く訝しげな視線を多数受けたけど気のせいだと思っておく。
グスグスと鼻水を啜りながら布団から起き上がらずにティッシュを手探りで探す。ベッド付近のテーブルに置いてあったはずだ。


「これか」

「…ん、ありがと」


2枚ほどティッシュを掴んで鼻水やら涙やらを拭ってゴミ箱に投げる。入らなかったけど後で入れれば問題ない。誰もこんな部屋見てないんだから大丈夫だ。モーマンタイ。…あれ?


「うわ、目ぇ真っ赤じゃねぇか。後で冷やすもん持ってきてやるよ」

「…何でいるの」


人間唐突なことには意外にも目を丸くしていつも通りの声で驚くものである。いや、私だけかもしれないけど。
ベッドに腰掛けて私の頭を優しくやんわりと撫でてくるその手の主はエースだった。反対の手で真っ赤になっていると言った目の下をその無骨な指先でなぞるエースは、私の質問に片眉を吊り上げて口を開く。


「ナース達が、なまえが泣いてるって大騒ぎしてたからよ」

「うえええ、バレてたのか」

「誰にも、何にも、言わずに部屋に籠ってるから様子を見に来たんだよ」


態々強調してきたエースに体をこれ以上ないくらいに縮み込ませた。エースは私の彼氏様で、ちょっと心配性だ。自分に相談もせずに私が泣きながら部屋に籠ったのが彼の神経を逆撫でしたようである。
ゆるりと撫でていた掌がくしゃりと私の髪を掴んだ。けれどそれはスグに離されて、落ち着きを取り戻すようにエースは大きな息をついた。


「何があった?」

「…」

「何か言われたか?」

「…」

「なまえ」


エースは狡いやつだ。優しく名前を呼べば、私が答える事を知っている。不貞腐れながら体を起き上がらせて視線を下げながら向き合った。未だ胸中にある嫌な気分は晴れないまま、このまま話せばエースの機嫌を損ねるような事を言ってしまいそうで黙り込む。そうして視線をベッドから床へと滑らせて、下に置いていたブーツを見てエースに飛びついた。
慌てた様子もなく抱きとめてくれるエースの温かい体温にまた涙腺が緩んでくる。せっかく止まった涙が零れそうだ。


「ガム踏んだの」

「……は?」

「ガム踏んだの」


二度繰り返して漸く理解したらしい。エースが大仰なため息をついて「そんな事かよ」と私の背中を優しく叩いた。


「そんな事じゃない」

「靴くらいまた買えばいいだろ」

「違う。…あのブーツがいいの」

「何でだよ」

「エースが私にプレゼントしてくれたやつだからだよ」


ピタリと動きが止まったエースに、私は不貞腐れた口調のまま続けた。「大事にしてたのに」「誰かが吐き捨てたガム踏んだの」「死ねばいいんだ」とまあ、結構物騒なことをブツブツと呟きながらエースの胸元で項垂れる。駄目だ、また泣く。


「あー、ったく」

「エースがくれたブーツなのに…。すっごい気に入ってたのに…。誰か知らない奴に汚された…。死ねばいいのに」

「落ち着けってなまえ」

「落ち着いてらんないよ!」


ガバッと顔を上げてエースを見上げて息を詰める。
場違いなその嬉しそうな笑顔を見て、私は目を見開いて続けるはずだった言葉を詰まらせた。私の顔を見て小さく声を上げて笑うエースはぎゅうっと強く抱きしめてくる。


「可笑しいか?でも俺はなぁ、なまえがそんだけ俺の事が好きなんだなぁって知れてすっげぇ嬉しい」

「…」

「俺が贈ったもんを大事に、泣くぐらい大事にしてくれてすっげぇ嬉しい」

「…」

「なまえが泣いてる理由が少なくとも俺にあるって分かって、可笑しいんだろうけど嬉しいんだよ。ハハッ、変だな」


ゆっくりと頭を撫でてキスしてきたエースに顔を覗き込まれて、私は何も言えずにその嬉しそうに細められた黒い瞳を見返した。


「また買ってやる。ブーツも、服も。お前が望むもん全部、俺が贈ってやる」

「……じゃあ、」

「おう」


私はエースの言葉を聞いて、その首に腕を巻き付けながら言葉を紡いだ。ぎゅうっと抱きつけば、エースも抱きしめ返してくれる。地の底まで落ちていた気分がどんどんと上昇するのが分かった。


「今はエースが欲しいです」

「ん、それはもうお前のもんだろ」


嬉しそうなエースの声色に、私は漸く笑うことが出来た。


2015/08/13
君には笑顔でいてほしい