卒業式が終わった。
友達と写真を撮ったり、別れを惜しんで涙を流したのなんてなんだか数年前のようにも感じられる。
帰り道には、いくつもの水溜まりが出来ていた。
私はそれをひとつひとつ踏んで歩いた。
靴には水が染み気持ち悪かった。
意味は特になかった。
けれど私は白い靴下と履き慣れた靴を汚し続けた。
卒業式前日は雨だった。
卒業アルバムを配られ、はしゃぐクラスメイトの声と時折アルミニウムの柵に降るコツンという雨の音が混じってなんだかノイズのように聞こえた。
私はアルバムの最初から三番目の頁を開いた。
そこには、クラスメイト一人一人の個人写真が並んでいて、私は精一杯の作り笑いで写っていた。
可笑しくもないのに、私は笑えない。
なんでみんなそんな風に笑えるの。
この学校から私たちいなくならなきゃいけないのに。
私の写真の横の満面の笑みを浮かべる顔に、ふと目をやると、それは私が三年間想い続けた人の姿があった。
………マルコ先生。
写真をゆっくりと指でなぞる。
友達との別れ寂しいんじゃない。
会おうと思えば会えるから。
でも、もうこの人には会えない。
私はなんでこんなに幼いんだろう。
どうしてこの人がこんなに好きなのだろう。
頭の中に、そんな言葉がぐるぐると巡った昨日。
あ、マルコ先生と昨日も今日も話してないな。
まぁ、いいや話すこともないし。
告白なんてしても、結果なんて見えてるしな。
でも、話せないで終わるって何年か後に後悔するかもしれない。
でも、駅まできちゃった。
電車が来るまで2分。
走っていかなきゃ間に合いそうもない。
行かなきゃ。
私は走った。
ほとんどそれから記憶がない。
気がついたら、制服も呼吸も乱れていた。
息をするのが苦しかった。
だけど、私は走った。
行きたい場所は心より先にわたしの体が知っていた。
「マルコ先生!」
これまでになかったぐらい私は声を張り上げた。
先生は、教室にいた。
驚いた顔でこっちを見た。
着崩したスーツに緩んだ青いネクタイが、綺麗だとおもった。
「先生、もう会えないから言うけど……!」
せっかく、先生が教えてくれたのに全然数学出来なくてごめんなさい。
髪型からかってごめんなさい。
たまに愚痴ってごめんなさい。
なんかもう、いろいろ迷惑かけてごめんなさい。
息継ぎもしないまま、私は涙を流しながら先生に頭を下げた。
そして、もう一度顔をあげた。
きっとひどい顔だろうけど、そんなの構ってなんかいられなかった。
「…………優しくしてくれてありがとう……!!!」
先生、それとね、それとね
「……落ち着けよい」
先生が近づいてきて、シャツの袖で私の涙を拭き取った。
「先生、好き。」
ついに出てきた、本当に言いたかった言葉。
近くに先生がいるというのに私は顔をあげようとしなかった。
「言いたかったことは、全部吐いていけよい。」
今日ぐらいだからな、と言う先生に私はまた口を開いた。
「先生、好き。」
「さっきも聞いたよい。」
「…先生、好き。」
先生はため息ついた。
そして、しゃがみこみ私の顔を覗きこんだ。
「お前、さっき"会えない"っていったよない」
「言ったよ。」
「ガキ。」
私は、先生の口から出たその言葉に驚き、目を見開いた。
「卒業したら会えないなんて、思ってるところがガキなんだよい」
何か、言おうとしたのに言葉がでてこなかった。
先生は、私の腕を掴むと胸に引き寄せた。
私の冷たい指に先生の唇が触れる。
「学校だけが俺の場所じゃねえんだよい」
そこで笑う先生の顔はあのアルバムの満面の笑みじゃなかった。
先生は先生の顔じゃなくて、一人の男の人の顔になって笑っていた。
「よかった、電車に乗らないで」
乱れた吐息
(急がずにはいられなくて)
(企画サイトR50様に提出)