晴天霹靂



そういえば今日は会う約束の日だったかと思いだしたのは朝から書類を片付けるために籠っていた一応は仕事部屋と呼べる部屋に部下が入ってきたところでだった。
会うための時間を割くために書類整理という仕事をしてたのだ。
なぜ目的を忘れていたのか。
そんなことは顔に出さずに考え、書類から目を離し部下へ話を促した。

今日は何だか朝から調子が悪い…いや、体調ではなく嫌な予感、何かが起きそうな気がしていた。

そうして部下の話を聞き終え書類に目をやろうとした瞬間、電話の着信音が室内に響いた。

室内に取り付けてある固定電話や仕事用の携帯がなら驚きはしなかった。
だが着信を知らせたのは特定の人間のみが知る、プライベート用の携帯だった。

「…はい。四木ですが。」

こんな時間から電話となると今日の約束が駄目になったか、あるいは時間を早めるようにとの催促か、そんなことが脳内を過った。
前者ならば自分が急いで今日の仕事を片付けることはなかったかと考え、後者ならば愛らしいと思う自分がいた。

だが、実際は違った。
電話をかけてきた人間は会う約束をしていた折原臨也の部下だという女であった。

そして、その電話の内容は仕事に関するものでもなんでもなく、本当に個人的で驚くべきものだった。


あの、折原臨也が、記憶を無くした、と、そう言ったのだ、電話の向こうで部下である女は。


私は目の前が歪んだ気がした。
そして、其方へ向かうと告げて電話を足早に切った。

忘れる、など、あってはならないことだ。
そうだろう?臨也。


***


臨也の事務所兼自宅へと向かえば部下であろう女が出迎えた。
通された部屋へと部下とともに入れば部屋の中央に置かれたソファに座る臨也を見れば普段とは違った雰囲気に思わず顔を顰めてしまった。

明らかに突然現れた我々に驚いていて、怯えているのだと分かった。

これが、あの折原臨也か。
こんなにも弱々しいものだったか、この男は。

臨也の正面へと座りじっと臨也を見つめていれば視線が気まずいのか臨也の視線は宙を彷徨っていた。
初めて会った時はまだ幼かったがそれでも飄々としていた臨也が、こんな風になっているとは思わなかった。

「…折原さん、ですか?本当に?」
「…っ」
なるべく優しく、仕事用でも一般人に向けるような声と表情で声を掛ければビクリと大袈裟なまでに肩を跳ねさせた。
今の臨也にとって己はどんな態度をとろうとも見知らぬ人間で畏怖すべき存在なのだろう。

これは本当に記憶を無くしたとしか思えない。
だがやはり信じれずにいる自分がそこにはいた。

「おい、先生に電話しろ。」

だからこそ最終手段として世話になっている闇医者を手配させた。
まだ幸い午前中だ。
彼に連絡はすぐに付くだろう。
そしてこれから臨也を連れて行かなければならない。

「…折原さん、行きましょうか。」

矢霧波江に話をつけ、臨也を担いで部屋を出た。
多少強引過ぎたが、致し方ない。

ああ、自分らしくない。
自分にとって臨也が此処まで影響を及ぼすような存在になってるなど、思っていなかった。

独占欲だとかを抱いた覚えは無いとは言えない。
だが、こうなったことに焦る反面喜ぶ自分が居る。
私のことすら覚えていないのだ。

臨也が気にしていたあの男もきっと臨也の記憶から消えているだろう。


「えと、“折原”って…俺の名前、なんだよね…?」
「ええ、折原臨也 それが貴方の名前ですよ。」

臨也を担いだままエレベーターに乗ればおずおずと聞いてくる臨也。
ああ、自分の名前すら分からないまでに記憶がなかったのか。
名前を教えてやれば自分の名前を知れて安心したのか小さく息を吐いたのが分かった。

「…貴方は…?」
「私ですか?そうですね…貴方は私のことを“四木さん”と呼んでらした。」
「…四木、さん…。」

そうして俺の名前を聞く臨也に名前を教えてやればゆっくりと記憶を探るように復唱した。
その呼び方が普段と変わりなかったことに驚いた。
記憶を無くしていてもお前は俺を愛してるとでも言うのか。

そんな考えにほくそ笑む、俺が居た。

「ねえ、四木、さん…俺のことずっと“折原さん”って呼んでるの?」

俺の名前を呼んで何か思ったのかそう尋ねてくる臨也に驚き臨也の腰を掴んでいた手に力が入ってしまった。

「…それは仕事中の時だけだ。
普段は臨也と呼んでいる。」

普段…というのは本当に仕事抜きにしたプライベートの時のみだ。
そう呼び始めたのは何時の頃からだったか。
確かまだ臨也が制服を身に纏っていた頃だったか。

「何か思い出したのか。」
「ううん、違う…けど、“折原さん”って呼ばれるのが、何だか、変な気がした、から…。
上手く言えないけど、多分“俺”は“臨也”って“四木さん”に呼ばれるのが好きだったんだ思う。」

「…そう、か。」
記憶になくとも身体は、心は、覚えているという事だろうか。
その事実に俺は小さく、安堵の息を吐いて素っ気ない答えを返すしかなかった。


車に乗りこれから何処へ向かうのかと不安そうにする臨也。
ああ、そう言えばきちんと説明はしていなかったか。

「…医者の所だ。念のために見てもらう。」
「俺は、病気じゃないのに?」
「…お前が、嘘を吐いてる可能性もあるからな。」
「嘘?どうして、そんな?」
「…お前がそういう人間だからだよ。」

違う。
そうじゃない。
臨也がそういう人間だから、じゃない。
俺がこういう人間で、まだお前が記憶を失ったと信じたくないからだ。

黙り込んだ臨也の顔を盗み見れば今にも泣きそうな顔をしていた。
お前は本当に、記憶を失っているのか、臨也。


闇医者の元へと着けばすぐに今の臨也を診せた。
臨也の雰囲気にだろうか驚く医者に「『記憶喪失』なのか診てもらいたい。」と言えばすぐさま顔色を変えて診断し始めた。
その診断の様子を臨也が座らされたソファの後ろから立ったまま眺めていた。

診断の内容は簡単なものだった。
例えば名前についてだったり家族構成、更には自分の誕生日と誰だってすぐに答えれるものだった。
だが臨也は「折原臨也 だよね?四木さん。」「家族…分かんない。」「…誕生日どころか年も分からない。」と答えていった。

そして「じゃぁ、何か覚えてることは?」と聞かれれば「…これ、この指輪のこと。」と両の手に填められていた銀の指輪を手を伸ばして見せた。
それは俺がまだ臨也が学生の時に渡したものだった。

「覚えてるのはどういうこと?」
「誰かに貰った、ってこと。それで、凄く大事なものだってこと。
あと…これは、俺の直感でしかないけど、くれたのは…四木さん…でしょ?」

ああ、そうだ。
誰かに貰った。それは俺が渡した。
そして誰かは分からないけどきっと俺に貰ったのだと悟った臨也。
それだけで十分だった。
たとえ記憶を失おうとも、臨也は俺のものだった。

「…ああ。」

臨也が窺うようにして此方を見上げていた。
臨也に向け肯定の返事をすればふわりと自分から自然と笑みが零れたのが分かった。
その返事と俺の笑みに頬を染めて嬉しそうに笑う臨也の頭を撫で、医者先生を見た。

「やはり、記憶喪失ですね?」
「ええ…専門的なことは分かりませんが…そのようです。
あの、今後臨也をどうするんでしょうか。」
返答次第では、という態度の相手にクスリと笑みを零す。
「私が面倒を見ますよ。」
「それは…。」
「粟楠会が、ではなく…私個人でです。」

「ああ、先生申し訳ないんですが時折往診をお願いできますか。」
「…分かりました、何かあれば連絡を。」

この往診は口止めだ。
口外しないようにと釘を刺したのと同時に口外させないように臨也の身の安全を確認させる。

それは1つの契約だった。


***


ああ、しまった。
此処は池袋だ。
隣を歩かせるだけでなく手を繋いでおくべきだった。
隣を歩いていたはずの臨也が平和島に捕まっているの見て俺は後悔した。

絡まれる臨也は明らかに怯えきっていた。
すぐさま臨也の肩から平和島の手を退かせば安堵した臨也。
そして、困惑する平和島。

「…“これ”は貴方の知る“折原臨也”じゃありませんよ。」

そう、これはもう、お前を知っていた折原臨也ではない。
真っ白な状態の、俺しか知らぬ折原臨也だ。
刷り込みだろうと何だろうと、俺だけのものになった折原臨也だ。

「簡単に言えば私の“愛人”ですよ、平和島さん。」
愛人…そう、俺と臨也の関係は恋人なんて甘い関係ではなかった。
利用し利用され、そんなビジネス的関係だった。

だがそれも今までは、だ。

「それは貴方にとって死んだも同然でしょう?良かったじゃないですか。
これで貴方が望んでいた平和な日常がやって来る。」
だから近づくな。
お前にとって臨也は忌み嫌うものだっただろう。
何を不安がることがある?
手放しで喜べばいい。
もう二度とお前の知る臨也に出会わぬことを。

怯え隠れていた臨也を連れて車道に停まる車へと向かう。
見知らぬ男に絡まれたことが相当怖かったのか俺の腕を掴む臨也の手は震えていた。

臨也の腰へと腕を回し『もう大丈夫だ。』と囁いてやれば安心したように頷く。
そうして部下が運転する車へと乗り込んだのだった。


ああ、愛おしい。
殺伐としていた世界が温もりを持ち始めた。



***
四木さん視点でこれまでを振り返ってみた。
結構難産でした…!
四木さんが臨也を愛してる感じを上手く表現できたかな…?と不安です。
前々から平和島に関心を持つ臨也が気に入らなかったようです、四木さんは。
手放しに喜びたいのは寧ろ四木さんの方だよね!


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