「北に兵を送れ」
下っ端に出陣を促す彼の冷たい声の響く本陣で、私は今か今かと自分の出番を待っていた。
軍議の際も戦が始まってからも、今回の戦の指揮官である彼は、私の役割を一切告げてはこなかった。
「鍾会」
「お前は指示があるまでそこでじっとしていろ。私の邪魔はするな」
「まだ何も言ってないのに」
本当に指示をくれるのか疑問に思いつつ、先に出ていく同期や後輩達を見ていて、私はいささか不安になっていた。
この後に及んで信用されていないのか、持病のせいでやはり使いものにならないと判断されたのか。
理由は何であれ私も今まで五年間、彼と共に彼の野心のために働いてきた武将の一人だ、はっきり言ってもらった方がスッキリするのに。
もやもやする心を押さえきれず、やっぱり問いただそうと私はまた彼の前へ足を進めた。
「どうした。何か言いたいことでもあるのか?」
私の姿をとらえるやいなや、彼は広げていた地図を丁寧にたたみながら言った。
理不尽に文句でも言われると思っていたのに、いつもより優しげな声色だった気がして、少し安心した。
「あの、私、今回出番はないの?」
「ああ、ない」
ああ、聞かなければよかったと、今更後悔した。
はっきり言われて、何もスッキリはしなかった。
自分なりに遂げた功績は、今までもこれからも何の意味もなかったのだと悟った瞬間、なんだか、ただただ無性に悲しくなってしまった。
「そうなの」
「お前はもう戦には出さん」
「じゃあ私は」
「リサ、勘違いするな。そういう意味ではない」
他にどんな意味があってあんなことを言うのだ。
真面目で野心家な彼が冗談であんなことを言うとは思えない。
いろんなことが頭を巡りすぎて多少混乱しながら、私はゴホゴホと咳込んだ。
彼はというと、いましがた本陣へ入ってきた一人の部下から、何やら薄っぺらい紙を受け取ると「やっとか」と言いながらため息をついていた。
「もう剣は振るわなくて良いと言っているんだ」
また、私の知っている彼とは思えないほどの優しい声で、ポンポンと私を気遣うように背中をさすりながら彼は言った。
「今までその体でよくやってくれたと私は思っている」
「そんなことは…」
「これからは私付きの侍女だ。光栄に思え。だいたい司馬昭殿が許可を出すのが遅すぎるのだ。そのせいでお前には…」
かけたくなかった苦労まで、とか
あの人は仕事をサボりすぎだ、とか
愚痴が始まってしまったが、もうそんなことはどうでも良かった。
私の体調がこれ以上悪化するのを恐れてくれている事実がすごく嬉しかったし、彼の思いがけない優しさにうっかり涙まで出そうになった。
ふと、彼が愚痴をやめて私の顔を覗き込んできた。
「おいリサ、先程より顔色が悪い」
続くいのちの意味もわからないがそのまばたきを恨むのは明日にしよう
理由は一つじゃない