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外はしとしとと雨が降っており、昨日よりも五度近く気温の低かった今日は、当然のように夜も激しく冷え込んでいる。
「寝れない〜……」
「時差ボケ」
「無理やり起きることは辛うじて出来るけど、寝ようとしても眠れないのが一番しんどいって初めて知った」
ナマエが帰国してから二日目。昼寝をしたら時差ボケも治らないからちゃんと起きてるんだよと、角名が家を出て行く前にちゃんとアドバイスをしたというのに、襲いくる眠気に抗えなかったナマエはしっかりと昼間睡眠をとってしまったらしい。
そんなことだろうと思った、と角名は笑いながら後悔をするナマエの話を聞いていた。海外に初めて行った時は、角名もどうするのが正解なのかがわからず対策に苦労したものだ。
「私に構わず倫太郎は寝てね」
「言われなくてもそうしてる」
「そうでした」
昨夜も同じように目が冴えて仕方がなかったナマエだったが、角名は今日も変わらず練習があったため早々に眠りについた。
「でも明日は俺も休みだし」
座っていたナマエの左腕を掴んだ角名が、そのまま少し強めに腰にも腕を回し体を引き寄せる。急なその行動についていけないナマエは、無様にベッドに崩れ落ち、両手首を固定された。
「…………」
「なに」
「いや、なんか、倫太郎にしては雑だなと思って」
「あー……ごめん。痛かった?」
「ううん、全然平気……ふふっ」
「笑うなよ」
痛かったかと気遣い心配するような表情をしながらも、動きを止めずにしっかりと覆い被さってきた角名にナマエは思わず笑ってしまう。そのことになんとなく気恥ずかしさを感じた角名が眉を顰めた。
「あはは」
「雰囲気台無しじゃん」
「いや元々無かったよそんなの」
「それな」
雰囲気をなんとかして作り出し、無理やりそのような空気に持ち込んだことは過去にもあれど、角名がこんなにも突然に、ムードの欠片も全く無いままなのも珍しい。
顔にかかり乱れたナマエの髪の毛を、指先で優しく掬って退かす。その仕草を視線だけで追いかけた後、ナマエは狙いを定めたように自分を見下ろし続けている角名と目を合わせた。
いつもとは違うボディークリームの、少し甘ったるすぎるとも思える香りがする。海外製だとすぐにわかるそれはナマエがパリで購入してきたものだ。
普段よりも随分としっとりしたナマエの鎖骨に指の腹を這わせると、ふわっと華やかなバラの香りが舞い上がり部屋中を満たす。それをより濃く味わうように、ゆっくりと角名がそこに顔を近づけた。そして、それと同時にナマエが口を開く。
「これさ、使ってみたはいいけど結構匂いキツくない?」
「……たしかに。ちょっとだけ」
「本音言って」
「結構キツい」
だよねーとナマエが小さくため息を吐き、お店で嗅いだときはここまで匂いしないと思ったんだけどなぁと少し残念そうに言う。
「でもナマエには結構合ってると思う。らしくて良いんじゃない」
一番上のボタンを慣れた手つきで外し、曝け出された首元に今度こそ顔を埋める。香りを堪能するように一度大きく息を吸ってみせ、角名は唇を肌に滑らせた。
「結構キツいって言われた匂いが私らしいって、それ喜んじゃダメじゃない?」
時間差でそれに気がついてしまったナマエが、角名の頭を退かすように身を捩る。
「もう一回シャワーして落としてこようかな」
「え、いいよ別に」
「でもこの香りがずっと横にいるの倫太郎辛いでしょ?」
慌ただしく身を起き上がらせ、ベッドから降りようとするナマエの身体を角名が足で挟みこみ、なんとかその場に留まらせる。
「そんな今すぐには落とさなくて良いよ」
はだけた肩に手を置いて、もう一度ゆっくりと優しく押し倒していく。
「いつもと違う匂いがするのは新鮮で良い」
そう言って、目の奥にぎらりと鋭い輝きを放った。ナマエが思わずごくりと喉を鳴らす。
「じゃあ、もっとつける?」
「……そこまではしなくても良いけど」
「だよね」
こくりと頷いた角名が、再び鎖骨をなぞるようにキスを落としていく。くすぐったそうにナマエがピクリと反応を示した。しかし、ナマエはそのくすぐったさから出たものではないと思われる「ふはっ」という吹き出すような笑いをこぼし、角名の唇に手のひらを当て次のキスを拒んだ。
「……なに」
少しムスッとした空気を醸し出しながら角名がゆったりと顔を上げた。その表情を見て、ナマエがもう一度笑う。
「どんなに空気を壊そうとしても倫太郎がめげずに来てくれるからちょっとおもしろくなった。ごめん」
「……弄んでんだ」
「違うって。違くもないのかもしれないけど」
楽しそうにナマエが角名の首へと腕を回す。やっとナマエが自ら受け入れの体制を取ったのにもかかわらず、角名は口をつぐみ、動こうとはしない。
どうしたの?と楽しそうに首を傾げたナマエの少しだけ強気に上がった口角を見て、角名は僅かに悔しそうに眉間に皺を寄せた。いつもはとは立場が逆である。
「もうわかってると思うから改めて言いたくはないんだけど」
「うん」
「今日は絶対するって決めてた」
「そうなんだ?」
「そう。気づいててナマエがわざと空気を読まないタイミングで何か言い出そうと、弄ばれようとね」
「はははっ」
「だからよろしく」
「よろしくって」
「もう始めます」
二つ目、三つ目とボタンを慣れた手つきで外していく角名に「あはは」と笑ったナマエは、素直に頷き回した腕に力を込めた。
ひんやりとした部屋の空気が肌にまとわりつく。それを退かすかのように、すぐに角名の手先の体温がナマエの肌の表面を温めていく。キスを交わしながら、ナマエも角名が着ている部屋着のパーカーを捲し上げるように裾に手を這わせた。少し遠慮がちな手つき。肌の表面の弱い部分をくすぐるような焦ったさがあり、それがまた角名に火をつける。
「あま……」
胸下にキスを落とした角名が小さく囁いた。肌が大きく露出することで、甘ったるいボディクリームの香りが部屋いっぱいに広がっていく。
いつもこれだと確かにきついかもしれないけど、たまになら癖になるかもしれない。日常使いできないからと捨てるのはやめてもらおう。角名がそう考えると同時に、その香りを角名へも移すようにナマエが角名の腰を引き寄せ肌を重ねた。
外はまだしとしとと雨が降り注いでいる。明日の朝には止むと言われていたが、この調子だと午前中いっぱいは降り続けそうだ。低い外気温に対抗するように室内の温度が一度、二度と上昇していくように感じる。早くも火照り始めた二人にとっては、この季節のこんな天気も、心地良く思えるのかもしれない。