初めてここにきたのは私が新人の時。まだ付き合ってもおらず、好きだと自覚もしていなかった時期に、鉄朗が「この子も連れていっていい?」と同席させてくれた。それから別の場所では何度かお会いして、そして、今日がここに訪れる二回目の日だ。
「お邪魔します」
「ごゆっくりー」
「俺の家なんだけど」
先に行ってると朝早くから彼は出ていった。鉄朗とこの家の主の孤爪さんが幼馴染であることは、もはや周知のことである。
「苗字さん、久しぶり」
「お久しぶりです孤爪さん。これ良かったら食べてください」
「え、いいのにわざわざ」
「いえ、お邪魔させていただきますので」
「ありがとう。クロにも見習って欲しいね」
我が家のようにくつろぐ鉄朗に視線を向けた孤爪さんが、少し呆れるように、しかしなにも気にしていないように「さっさとやってさっさと終わらせよ」と言って、鉄朗の向かいのこたつに戻った。
孤爪さんは私たちにとってものすごく重要な人物だ。大学生のうちからプロゲーマー、配信者として大活躍する中、自身で会社も立ち上げ、そしてVリーグを経て今はブラジルのチームに移籍しプレーをしている日向選手のスポンサーをしてきた。
コラボやさまざまな企画に協力してもらえているのは、鉄朗の幼馴染だからという単純な理由だけではないはずだけど、それでもこうして親しい繋がりが身近にあることはとても貴重だろう。
学校等ではほとんどの人が行うはずのこのスポーツだが、まだまだ競技としてプロ選手の活躍が世間一般には浸透しきっていない。そんな現在、あらゆる方面の人に向けて発信できる彼の存在と協力は我々にとってとてもありがたい。
「以上が今回の企画の内容になります」
「うん、わかった」
やるよ、と悩むことなく了承をいただけてホッと胸を撫で下ろす。鉄朗はつい今までいつも通りのちゃんとした仕事モードで、しっかり話し合っていたにもかかわらず、孤爪さんの返事を聞いた途端「ぅおっしゃー」とゆるい声を出し、体を伸ばすように腕を上げた。相手が孤爪さんだからか、普段より一層切り替えるのが早い。
「今回は苗字さんの案が面白そうだったから協力するんだからね」
「へーへー、仕事上手の出来の良い後輩を持って幸せだなぁ」
「本当クロにはもったいない彼女だよ」
「おーい」
トントンと手元の資料を整えていたところで、そっと顔を上げる。こっちを見つめる孤爪さんの瞳は、猫のようにまっすぐで鋭く大きい。
「苗字さんも大変だね」
「え……あ、はい」
「名前を困らせないでくださーい。あと名前も否定してくださーい」
「……え、なに、ちょっと、孤爪さんは知ってるの?」
「うん」
鉄朗に向かって聞いたのに、彼はニンマリと笑って見せただけ。うんと言って頷いたのは孤爪さんだ。
「……人に知られるの初めてなので、なんか恥ずかしいですね」
「クロが彼氏なことが?」
「違うだろどう考えても」
最初は確かになかなか会話が弾まなかったけれど、今では孤爪さんも私ともテンポよく話してくれる。
配信している姿も見てきたし、コラボ撮影にも関わったことがある。何よりもこういう形の職業を選択した彼が、学生時代は極力目立ちたがらず、あまり多数とは喋らなかったと聞いた時には驚いたものだ。
もう知られているからとでも思っているのか、ぴったりと肩がくっつくくらいに距離を詰めてきた鉄朗を、さすがに人様にこんなところを見られるのはと焦りながら突き離す。鉄朗にとっては気が置けない幼馴染だろうが、私にとって孤爪さんは仕事相手である。いくら孤爪さんが「俺は気にしないから勝手にして」と言ってこようが、やはり恥ずかしいものは恥ずかしい。
「すみません孤爪さん、こんなところを」
「こっちこそクロがご迷惑を」
「いえいえ」
「なんか嫌なことされたらすぐに言ってね」
「はい」
「そんなことしません」
「わからないじゃん。いくらクロのことよく知ってても、本当に好きな人の前でしか見せない部分もあるでしょ」
「それがそんなヤベー態度だったらクソ野郎すぎるだろ」
「そのクソ野郎な可能性も完璧には否定できないじゃん、俺知らないし。苗字さんどう?」
「大丈夫です、優しいですよ。クソだなんてそんな一面は見たことないです」
「そうなんだ」
「そうです。さっき彼に私はもったいないって孤爪さんは言いましたが、それは逆で、鉄朗は私には本当にもったいないくらいです」
「だって、よかったね」
「……なんっか恥ずかしいなこの会話」
学生じゃないんだからよ、という鉄朗の言葉に「学生でもないのに人前でいちゃつこうとしてたのはそっちでしょ」と言い返されていて思わず笑った。
こたつのぬくぬくした温度が気持ち良い。私の家にも鉄朗の家にもないから、こうしてたまに入ると暖かさに感動する。完全に気を抜いた顔をしたのを見ていた鉄朗が、「寝んなよー」と茶化してくる。
「……本当に隠し通せてるの?」
「職場では仕事とプライベートは完全に分けてるんでね」
「もう言っちゃえばいいのに」
「それも全然ありなんだけど、色々厄介なのも出てくるだろうから時期を見ておいおい、な」
こたつの下、孤爪さんからは見えないところで手を握られる。反応しそうになったけど、なんとか抑えてその手をそっと握り返すだけにした。
「よかったね、苗字さんみたいな人がいて」
「……まーね」
やけに楽しそうにそう答えた鉄朗がこっちを見る。繋がれたままの手のひらに力を込めた。恥ずかしさを隠すように少しだけ俯いたら、それを見ていた孤爪さんも笑った。
仕事相手でもあり、彼の大事な幼なじみでもある。そんな孤爪さんに認められることは、自分が想像していた以上に嬉しい出来事だった。