Secretsomething going on between us

若干の違和感があるイントネーション。聞き慣れない方言が飛び交う。ずっと住んでいるから東京の空気がまずいだなんて一度も思ったことはないけれど、言われてみればここの空気は地元に比べるとだいぶ澄んでいる気がした。

特に問題もなく終えた打ち合わせに安堵の息を吐く。明日もこの調子だとうまくいきそうで一安心だ。まだ明るい空を見上げながら、「この後どうしますか」と隣の人物に声をかけた。


「まだ早いけど飯でも食う?」

「そうしますか」

「ここどうよ」

「美味しそう、これ有名だから食べてみたかったんです」

「だよな。よし、行くか。この時間ならまだ混んでねえだろ」


歩き出した鉄朗の横に並ぶ。地方出張の楽しみといえば、やはりその土地のご飯が食べられることだ。今日はもう終業しているとはいえ、一応仕事だというのに、一緒にいるのが鉄朗だと何だか旅行と勘違いしそうで変な気分になりそうになる。思わずはしゃいでしまいそうになる気持ちを、スーツ姿の彼を目に入れることで何とか落ち着かせた。


「お、変なオブジェ」

「地方あるあるですよね」

「なぁ、その喋り方そろそろやめね?誰もいねえよ流石に」

「確かに……」


ここで私たちのことを知っている人に遭遇することなんてほぼないだろう。なのでいつも通りでもいいとは思う。でもこの格好でいつも通りの空気感を出すのに慣れていないから、なんだか少し恥ずかしさがある。

鉄朗はネクタイを少しだけ緩めたあと、首元にかけられていたチェーンを器用に外した。今まで存在を隠されていたリング。彼の右手の薬指に嵌められたそれは、私のそこに嵌められているものと同じものだ。

それを満足げに見つめながら、鉄朗が「地方だとスーツ着てても名前といつも通りでいられんのいいな」と言って柔らかく笑った。

夕日で赤く染まった道を並んで進む。歩いたことのない道、見たことのない街。僅かに視線を上げて彼の横顔を盗み見た。同じタイミングでこっちを見た鉄朗が、片側の口角を上げて私の肩をそっと引き寄せる。


「ねぇ、さすがに人いないとはいえ手繋ぐのはどうなの」

「どうったって別にそんな奴ら……は、そんないねえか」


スーツ姿の男女は手を繋いではならない。なんて、そんなことは決してないが、やはり人目は気になってしまう。指先がほんの少し触れ合っただけですぐに離れていった温もりに、自分で言い出したくせに少しだけ寂しくなると、それを鋭く悟った鉄朗が揶揄うように「後でいくらでもできるから今は我慢な」と言って楽しそうに笑った。


――――――――――――


「もう荷物ごとこっちくればいいのに」

「でもせっかく二部屋あるんだし」


私の返事に納得いかないような顔を見せた鉄朗は、「時間もったいないから各部屋で済ませようよ」と渋々一人で入らせたシャワーで濡れた髪のまま私を後ろから抱き抱える。そのままセミダブルのベッドへとボスンと音を立て腰を沈めた。

彼の家のものよりもだいぶ硬いマットレス。ビジネスホテルの簡易的なシングルルームはとても静かで、たまに隣の部屋の人の物音が薄い壁を伝って漏れてくる。せめてツインの部屋なら、もっと広くて二人でも過ごしやすかったかもしれないけれど、出張先のホテルは黒尾さんと同部屋で構いませんよなんて、そんなことは提案できない。

器用にぐるりと膝の上で私を回転させ、向かい合った鉄朗が私の着ている備え付けのガウンの首元を指先で持ち上げる。それを払おうとするとそのまま手を絡め取られ、自由が効かなくなった。


「いくら隣の部屋に移動するだけだからって、これだけで廊下に出るのは警戒心なさすぎませんかねえ」

「でも荷物減らしたかったから部屋着持ってこなかったし」

「だからってさぁ」


同じものを着ている鉄朗の言いたいこともわからないでもないけれど、ないものは仕方がない。そう態度に出ていたのか、ツンと私の額を押した鉄朗が「見えんじゃん、下着」と言って再度首元に指を引っ掛けガバッと開き、そこを覗き込んだ。


「それは見えるんじゃなくて見てるんじゃないの?」

「ギリ透けるぞこの色」

「思ってたよりもガウン薄かったね」

「薄いし小さかったな」

「それは鉄朗がでかいだけでしょ」


カタ、コトン、と隣の部屋から音がする。荷物の整理でもしているのだろうか。見られているわけじゃないのに、他人の生活音がこうも漏れてくるとこの体勢でいることに少しだけ緊張してくる。

降りようとした私をすかさず強く抱きしめ離してくれなかった鉄朗は、あろうことかそのまま後ろに倒れ込んだ。ゴンと小さな音を立て壁に頭をぶつけた鉄朗が「いて」と声を漏らす。


「音、聞こえるよ隣に」

「全部聞こえてくるもんな」


こうしている今もカタカタと若干音がする。さすがにこれだけ聞こえてくるのは隣部屋の利用者の配慮がなさすぎるのではないかと疑わしいところではあるが、それでもやはり薄すぎるとは思う。


「こっからは声出したほうが負けのゲーム」

「圧倒的に私の方が不利じゃない?」

「んなことない。出させてみ、俺に」


ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべる鉄朗にため息を吐く。私も本気の抵抗を示さないのは、このままだといずれこういう展開になるんだろうとどこかで予想していたからだ。

するすると腰辺りをまさぐる大きな手のひらに自分のそれを重ねる。備え付けのガウンは、隣の部屋とここを隔てる壁のようにとても薄く、上から触れられても嫌なほどに感触がよくわかる。


「ビジネスホテルのシングルルームなんて、同じタイミングでなかなか二人で来られないからな」

「……明日、朝何時だっけ」

「十時にチェックアウトすれば半には向こう着けるよ」

「ギリギリまでいれるってことか」

「そ。つまり時間はたっぷりあるってわけです」

「もう、なんでそんなに楽しそうなの」


鉄朗の首に腕を回す。彼が覆い被さってきただけでギシリとベッドが大きな音を立てた。こんなんじゃ、たとえ声を出さなかったとしても至る所から室内の音が漏れてしまうのではないかと心配になる。


「ねえ、これ大丈夫?」


今までもいつもより小さな声で会話をしていたものの、より一層ボリュームを下げた。


「やべえなこれ……もうベッド使わず立つか?」

「ええ?」

「いややっぱこのまま行けるとこまで行くか」


いやいや、厳しいでしょ。という私の言葉は虚しく彼によって飲み込まれていく。また小さくギシリと軋んだ。

自分の発する音も、自分から発せられる音も、ベッドや部屋のものが軋み動く音も、鉄朗の吐息の音でさえ、いちいち気になって仕方がない。


「集中力が乱れてますね」

「仕、方ないじゃん、気になるって」

「だーめ。ちゃんとこっち集中して」


小さな話し声よりも僅かに大きなスプリング音が鳴った。音にできないくぐもった吐息が、口の隅からこぼれていく。

誰にもみつからない夜の行方

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