卒業式!君子は人の美を成す

中学三年生の秋。受験生真っ只中だった私は、毎日塾帰りに見かける高校生の姿を目に焼き付けていた。真っ白のブレザーに、特徴的な紫チェックのスカートとリボン。珍しいけれど派手すぎず、清楚感の漂うその制服を私も着たいと憧れていた。

高校一年生の入学式。まだ糊の固いシャツに袖を通した私は、同じく固い制服に身を包んで、僅かな緊張で体までが硬くなっていた。

高校三年生の卒業式。しっかりと体に馴染み、確かに私のものとなった三年前に憧れを抱いていたこの制服は、柔らかな春の風に吹かれ、ふわりと軽くスカートの裾を未来の方へと舞わせている。


「詩織ちゃん泣きすぎー」

「だっでぇー」


友達にはからかわれ、バレー部のみんなからは笑われた。式が終わってだいぶ経つというのに未だボロボロと泣き続ける私は、天童と共に体育館裏で並んでしゃがみ込んでいた。


「遅くなってすまない」

「牛島くぅーん」

「顔見ただけで大号泣」


私の様子を半分バカにしながら動画に収める天童。いつもなら止めるけど今日はしない。涙腺が決壊して思考までおかしくなってきてしまっているようだ。大丈夫かと聞いてくれる牛島くんに、全然大丈夫ではない大丈夫を返す。三人揃って手にしている卒業証書が目に入るたび、訳もわからずただ涙が零れ落ちでしまうのだった。


「卒業しだぐないー!」

「もう卒業したし」

「そういう問題じゃないー!」

「なーんかもっと詩織ちゃんは次次!って感じで卒業式もサラッとしてそうなイメージあったのに」

「小学校とか中学の時はそうだったけどっ」


白鳥沢では思い出が多過ぎるのだ。小学生の時も中学生の時ももちろん楽しかったし、素敵な思い出ばかりだった。でも、しがみついてでも離れたくないと思ってしまうくらいに、私にとって大事な時間をここでは過ごせたと思う。これから先、こんな風に思えるような濃密な時間が過ごせるかどうかわからなくなってしまうほど。


「天童、仲良くしてくれてありがとうね」

「珍し、そういうこと言うの」

「こういう時じゃないと言えないじゃん。ウザ!って思うことも結構あったけど大好きだから」

「ウザ」

「私の卒業アルバムの写真奇跡的に超盛れてるし、フランスに行ってもたまに見返して思い出してくれていいし、あっちの人たちに可愛い子と友達なんだって自慢してくれていいよ」

「マジうぜー。持ってかないし卒業アルバムとか」


天童が顔を歪めた。牛島くんは私と天童のくだらないやりとりをずっと黙って聞いている。


「白鳥沢に来て本当によかった。牛島くんともみんなとも出会えたし」

「ああ」

「牛島くんもここに来てよかったって思う?私と出会えてよかった?」

「ああ」

「聞いた天童!?」

「どーでもいー。そういうの俺がいないとこでやってくんないかなー」


心底興味ないですというような表情を浮かべて、天童は吐き捨てるように言った。


「天童がいなくなっちゃうの寂しいなぁ」

「いつでもおいでよ。歓迎するかはわかんないケド」

「してよそこは」

「若利くんは歓迎するヨー」

「ありがとう」

「差別だ差別!!」


よっこいせ、なんて言いながらゆっくりと立ち上がった天童は、私の頭の上にポンと卒業証書を置いて口を開く。いつもよりも少しだけ声のトーンが抑えられていて、随分と落ち着いた話し方だった。


「詩織ちゃん、若利くんをよろしくね」


証書のせいで天童の顔は見えない。頭の上に何も無くなって、視界が明るくなったそこには天童が笑いながら私のことを見下ろしていた。牛島くんに出会うよりも先に、私は天童と友達になったのだ。他の誰よりも早く。


「言われなくても任せておいてよ。だから心配しなくていいよ」

「別に心配はしてない」

「あっそう」


すれ違いざまに若利くんの肩を叩いて、じゃああっちで待ってるねーと天童は足早に歩いて行った。今日はバレー部は後からみんなで集まることになっているらしい。私も夜は仲の良い子たちとご飯に行く約束をしている。


「天童っていいやつだよね」

「そうだな」


薄く笑った牛島くんは、未だしゃがみ込み続けていた私に手を差し伸べ引っ張るように立たせてくれる。風が私たち二人の間を駆け抜けて、一瞬にして空気が変わった。


「覚えているか」

「うん」


何を、とは言われなくてもわかる。ここは去年の春に牛島くんに呼び出された場所だ。告白されると思ったら振られた、私と牛島くんが動き出した日。


「牛島くんは、初めて見た時からずっとずっとかっこいいよ」

「そうか」

「うん。強くて、いつでも私の憧れだよ」

「強い、か」


憧れちゃうくらいに強くて、うっとりするくらいに強くて、思わず手を伸ばしたくなる。その輝きは他の何よりもキラキラしていて最高に綺麗だ。

強いはかっこいい。そして何よりも魅力的だ。そう改めて教えてくれたのが牛島くんの存在だった。

牛島くんの全てが眩しい。

サラサラと風に揺れる髪の毛を顔の横で押さえた。目の前に佇む牛島くんは、今日もシワの見当たらない制服をシャンと着こなし、何一つ隙のないようなしっかりとした姿勢でそこに立っている。

最高のシチュエーション、最高の緊張感。これ以上はないだろうと言えるくらいにド定番な雰囲気。同じだ、あの日と。


「さっきも答えたが、ここに来てよかったと思う」


牛島くんが私の右手を取った。桜の花びらが視界の隅に静かに舞った。


「つくづく俺は運が良い」


そう言って笑顔を見せた牛島くんの表情は、どんな時もキリッとしているいつもの雰囲気と全然違って、どこか幼く、そして無邪気に見えた。

なかなか牛島くんに対してこんな表現を使うことなんてないと思う。でも実際に今目にしている牛島くんは現実なのだから仕方がない。彼は柔らかく口角をあげ、優しそうに眉を下げ、あたたかな眼差しで私を見下ろしている。

牛島くんも私も、好きなことや目標に向かってまっすぐ突き進めるのはお互いの長所だと思う。それでも進んでいく段階でいろんなことがあって、様々なことを考えた。こうして私が頑張れるのは私だけの力じゃない。押しつぶされそうになるたびに牛島くんの言葉や努力する姿に支えられてきた。

私も、運がいいと思う。牛島くんに出会えたことは、私の人生の中でかなり運の良い出来事だ。そしてこれからもこの幸運が続けば良いと思っている。


「校門まで、手、繋いで歩いてくれませんか」

「校門まででいいのか」

「ずっと繋いでてくれるの?」


私の質問には答えないまま右手を包み込んだ。牛島くんの大きな左手。彼の大事な利き手。握手の形なんかじゃない、ちゃんとした形で手を繋ぐ。


「行こう」


牛島くんの合図とともに歩き出した。気を抜いたら涙が出そうだ。堪えるように少しだけ上を向くと、牛島くんと目があってまた笑われてしまった。

日が落ちてきた。薄暗くなった空。見慣れた校舎。着慣れた制服。毎日潜った校門を、好きな人と手を繋いだまま一歩踏み出す。


「泣きすぎだ」


繋いでいない方の手を私へと伸ばし、牛島くんが優しく涙を拭った。それでも流れて流れて止まることはない。

卒業した。この学校を。今までで一番って言えるほどに楽しかった三年間。大切な宝物みたいな一年間。過去のものになるのだ。全部。今から。


「これからもよろしくね」

「こちらこそ」


握り締めた手のひらに同じように力が加わった。同じ制服を着なくなっても、同じ学校に通わなくなっても、毎日は会えなくなっても、離れることなんてない。好きなままでいられる。卒業は寂しくてたまらないけど、それでもその事実が嬉しかった。

我武者羅に突き進んできた三年間。出会った人、培った感情、実った努力と叶わなかった悔しさ。絡めた指先から伝わる愛しさ。ここで得た全てが、きっとこれから先も私達を強くする。


「牛島くん、大好きです」

「ああ、俺もだ」


過去にすると同時に未来に進む。大好きな牛島くんと並んで歩める。過去の私達が今の私達に繋がるように、今の私達がまた未来に繋がっていくのだ。だからこれからも努力を惜しみたくない。私達の未来の為に。

今に見てろ牛島若利。そんな想いを抱えて終わらせるように始まりを告げた。一年前はお互いこんな未来になるだろうとは思っていなかったはずだ。

だから未来の牛島くんも、見てろ。何年経ったってしぶとく図太く食らい付いて離れてなんてあげないんだから。

こんな結末になるなんて思わなかったって優しく笑ってもらえるように、二人で笑い合えるように、これからもずっと隣にいる牛島くんと、一緒に頑張り続けるんだから。



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