結果発表!この先の道こそが本番

朝の十時に行われる合格発表。今日は土曜日だけれど、結果が分かり次第職員室で待機している先生たちのところに行かなくてはならない。

報告やら何やら諸々を済ませ、忙しなくしてたらあっという間に時間は過ぎて、気がつけば時計の針は頂点をとっくに越えていた。震えたスマホを確認すれば、お母さんから試験中に仮押さえしておいた部屋の契約と入学手続きを進めている連絡が来ていたので、それに簡単に返信をする。

ワッと歓喜の声が上がり盛り上がる職員室を背に昇降口に向かった。休日でも活動を行なっている吹奏楽部の演奏と、野球部のバッドがボールを弾く金属音が気持ちよく鳴り響いてくる。まだまだ冷たい中に少しの春の訪れを感じさせるような柔らかな風が、まるでお疲れ様と声をかけるように優しく頬を触り消えていった。


「厚木」

「牛島くん……?あれ、なんでいるの!?」

「監督に用があったので体育館に顔を出していた」

「なるほど!」


確かにここは体育館から校門に向かう近道だ。部活動に励んでいる生徒しかいない今の時間はほとんど誰も通らない。だからあえてここに来たのに、まさか牛島くんが通りかかるなんて思ってもみなかった。


「あっごめん、お母さんから電話だ」


静かな空間を引き裂くように鳴り響いた着信音。学校への報告を済ませたことを伝え、すぐに通話を切った。その場で立ち尽くしている牛島くんは私のことをじっと見たまま、何も言葉を発さない。


「牛島くんは東京のどこのチームに入るの?」

「シュヴァイデン・アドラーズというチームだ。小平にある」

「小平……あー……まだ東京の地理詳しくないから合ってるかわからないけど、なんとなく場所わかるようなわからないような……?」


唸る私に、また牛島くんは黙り込んだ。そんな姿を見て思わず笑う。それを見て少し安心したように息を吐いた牛島くんが、「どうだった」とやっと気になっていたであろう一言を口に出した。


「どうだったと思う?」

「…………」

「やばい牛島くんがそんな面倒臭そうな顔するなんてレアだ」

「……そうでもないと思う」

「マジか」

「まじだ」


眉を顰めた牛島くんはそう言って通路の端に移動する。聳え立つ大きな木の下。絶妙に校舎から見えなくなるこの位置は、人がここを通らない限り誰に見つかることもない。


「なーんか実感湧かなかったんだよね。変に冷静になるっていうかさ。お母さんとか、先生達の方が騒いじゃって」


春の足音は聞こえてくるけれど、それでもまだまだ肌が露出しているところは痛いくらいに冷える。真っ赤に染まった指先は僅かに動きを鈍らせて、自分のものではないような感覚がした。


「受かるのは難しいってわかってたのにさ」


ははっと笑った私の声は風に乗って流れていってしまった。合否を知らせる電話の先から無機質な音声が流れたとき、一瞬だけ時間が止まって、でもすぐにいつも通り動き出した。

お母さんが悔しそうに私の頭に手を乗せ、何か声をかけてきたけどそれはよく覚えてない。無心で歩いて学校について、職員室でダメでしたと伝えた時、先生達は顔を歪め自分のことのように悔しそうにしていて、私のことなのになぁってなんだか不思議に思った。バタバタと職員室に駆け込んできた他のクラスの子が私たちの雰囲気を察して足を止めたのを見て、第二志望の入学手続きを進めていく話をしてそそくさとその場を後にした。


「補欠にもなれなかったのはちょっとショックだなぁー。まぁ何浪もしてやっと合格できる人もいるくらいだし、そう簡単にはいかないってわかってたけど」


だらんと体の力を抜いて木にもたれかかる。見上げた空は薄い水色をしていて、真綿のような雲がふわふわと浮いていた。


「残念だったな」

「それね!頑張ったんだけどねー」

「ああ」

「でも第二志望の学校も良いところだし、もう気に病まずにそっちで楽しむことだけ考えるよ」

「そうやって良い方向に切り替えられることはとても良い事だ」

「うん」

「しかし厚木の本心を隠すのは良くないと思う」


射抜くように私のことを見つめる牛島くんは、まるで私の心を見透かしているかのようなことを言う。何それ?と笑ってみても、彼は何も言わずにじっとこっちを見つめたまま。


「さっきからずっと手が震えている」


一歩踏み出した牛島くんが私の手を取った。無意識に握りしめていた拳を無理やり解かれる。指先が真っ赤になっていたのは、寒いからではなくこうしてずっと爪が食い込むくらいに握りしめていたからだった。


「厚木が受かっている第二志望の大学も、白鳥沢からはあまり進学者はいない難関校の一つなのは確かだ。それはとても素晴らしいことだと思う。しかし、だからといって第一志望に落ちたとしてもそこに受かっているから凄いなんていう慰めは本人に今は刺さらない。そうだろう」

「……うん。どこかで覚悟はしてたし、第二志望だってちゃんと真剣に選んだ大学だけど、でも本当にいきたかったのは第一志望のほうだもん」


例えばテストの点数とか、たとえ95点がとれて周りからしたらすごいことだとしても、100点を狙っていた本人はとても悔しくなると思う。今の私はそれに近い。他の人からどんなに100点とれなかったのは残念だったけど95点でも本当にすごいね頑張ったねと言われても、だからなんだとしか言えなくなる。すごく時間が経ってから、過去を振り返ってあの時100点はとれなかったけど今思えば95点もとれて自分はよく頑張ったなって思えたとしても、消化がうまくでいていない今はそんな考え方はできないのだ。


「全国大会に出場して負けた時、必ず出場自体がすごいと褒められる。この間の代表決定戦も、負けはしたが決勝まで残るのはすごいことなのだと」

「まぁ、それは私でも思うけどね」

「しかし口には出さなかっただろう」

「うん」

「それもわかっていた」


こんなにも強豪のチームなのだ。いつだって、どの大会だって優勝を狙っているに決まってる。全国なんていう一握りの限られた人達しか行けない舞台でさらに上を目指し続けている人達が、全国大会に出場できたという、その一握りになれただけで果たして満足なんてするのだろうか。そう考えたら口には出せなかった。負けたのは悔しいだろうけどそれでもすごいよ。なんて、それは部外者だから思えることだ。お疲れさまとは声をかけるけど、そこに関してはこっちから簡単に言葉にしてはダメだろうって思ってた。もっともっと後にみんなは悔しかっただろうけど私からすれば凄いことだったよと伝えることはできても、その言葉をかけるのは今じゃない。

牛島くんはその時の私と同じ気持ちであることを伝えてくれている。周りがどんなに何を言ってくれたって、やるせない気持ちになる。それを理解してくれている。

無意識に指先へと込めていた力を抜いた瞬間に、今まで一滴も流れなかった涙が滝のように溢れてきた。止めどなく溢れるそれを見ても牛島くんは何も言わない。私も拭うことはせずただ素直に零し続けた。


「悔しい……。あんなに頑張ったのにッ」


震える私の手のひらを支えてくれていた牛島くんの手をこっちから握った。大きくてあたたかくて、硬くゴツゴツとしている。いつだって努力を怠らないその手が、牛島くんの全てを物語っている。


「あんなに頑張ったのに……でももっと頑張ればよかった。寝る時間ももっと削れた。一、二年生の時ももっと本腰入れるべきだった。夏休みも頑張ったつもりだったけど一日も遊ばずずっと勉強に費やせばよかった。昼休みも、もっともっと勉強すればよかった。もっと頑張れた。悔しい。結果がどうなったって後悔しないようにって思ってきたのに、後悔するような時間ばっかりだ」


俯いたらぼたぼたと涙が地面に落ちていった。後悔なんてしたくなかったのに。するかしないかはいつも終わった後にしかわからない。全力でいたつもりでも、振り返るとまだまだやりようはあったと思わせられる。


「負けるのは、いつだって悔しい」


誰よりも強くて、誰よりも憧れる、他者を圧倒する牛島くんから放たれたその言葉が私の中にふわっと羽を下ろした。


「私、もう負けたくない。もっと強くなりたい」


就職とか、恋とか、他にもたくさんの負けたくないものがこの先の人生にはいくつもあるんだろう。壁を壊して、乗り越えて、進むために努力をして、それでもきっと今回みたいになる時もある。

百パーセント後悔せずに物事を終えるには、一体どれほどの準備を重ね密な時間を過ごせば良いのだろう。百パーセントなんて無理かもしれない。人生には後悔がつきものだと言うし。でも、減らすことはきっと出来る。

後悔しない生き方なんて無いのなら、それを減らす努力を精一杯したい。これから先もいつだって真っ直ぐ、好きなものに全力で立ち向かえるように。そして打ち勝てるように。


「また試合を見にきてくれるのだろう」

「うん」


牛島くんはさらに上の大きなステージに進もうとしている。今までの成績では満足せずに。春高予選の悔しいはずであろう結果を糧に。ここで得た力の全てを持って。


「さっきはああ言っちゃったけど、昼休みに牛島くんやバレー部のみんなと過ごした時間に後悔は一切ないよ。ごめんね」

「それなら良かった」


今となってはもっとやり方があったって思う。けど、それでも一年生の時から積み上げてきた基礎や習慣、自分を追い込み続けた受験期のこの努力は、無駄な時間なんかじゃないはずだ。悔しくて悔しくてたまらない。でも私も次に進まなくちゃならない。ここでぼんやり立ち止まってたらまた更なる後悔がやってくることを知ってるから。

進むんだ。ここで得た全てを忘れないようにしっかり持って。今居るよりも大きな街で、今居るよりも大きな世界に。

もう負けたくない。これから先の何もかもに。目の前の牛島くんへの、この恋にだって。



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