意志堅固!己を貫き戦うまで

近所のドラックストア。塾の帰りに立ち寄ったそこに彼はいた。


「……あれ、牛島くん?」

「厚木か」


偶然会うのは何回目だろう。彼は遠方に出かける際に必要なものが足りなくなりそうなので買い足しにきたらしい。確かに牛島くんは県外の練習や合宿にもよく参加していた。きっと二月はこれから所属するチームに呼ばれたりもするんだろう。わからないけど、でも牛島くんはいつもバレーで忙しそうだ。


「私もお泊まりセットの買い出しにきたの」

「そうか」

「ホテルにアメニティはかなり揃ってるらしいんだけどね、なるべくアウェイ感感じないようにいつも通りに過ごしたいから、持って行けるものは持っていこうと思ってて。九泊するからさ」


九日に出発して、帰ってくるのは数日間に渡る全ての試験を終えた十八日。試験がない日は家に戻ろうかとも考えたけど移動時間がもったいないし、交通費と宿泊費もあまり変わらないのでそのままあっちに滞在することにした。地方から東京の試験を何校か受けに行くのは日数やお金がそれだけでかかってしまって大変だと改めて思う。

そしてそれだけじゃない。大変なのは精神面もだ。私は枕が変わったら寝付けないようなそんな体質ではないけれど、それでも受験というだけでゴリゴリと削られる気力や体力を、いつも過ごしている安心感のある自室で回復させることができないというのはほんの少しの不安がある。

旅行とかでたまに泊まるホテルで過ごしにくさとか不快感を感じたことはない。でも受験という繊細な期間を九泊も見知らぬ部屋で過ごすのは、さすがに私も経験がないから何とも言えないのだ。

なるべく使い慣れているものを出来るだけ用意する。抱える不安を一つでも少なくするために。


「一人なのか」

「ううん、お母さんがついてきてくれるって」

「そうか」


そうは言っても、私もお母さんも東京には慣れていない。オープンキャンパスには行ったけどその時は一泊しかしなかった。土地にも慣れていなければ、いつもの旅行とも違い宿泊期間が長すぎて、何が必要になってくるのかも二人して正直あまりピンときていない。


「俺は長期の遠征にはいつもこれを持っていっていく」


そう言って牛島くんが見せてくれたのは、遠征セットの内容だった。しっかりと携帯のメモに記載されているそれには、私が考えていなかったようなものまである。


「え、さすが!すごい!これ参考にして良い?」

「ああ」


自分のスマホのメモ帳に同じものを打ち込んでいく。牛島くんは私の手元をじっと見ていた。

二月の初め。寒い寒い冬が、春が来る前の最後の力を振り絞って今までで一番強力に襲いかかってくる時期。もう本当に残り僅かしかない。見上げた牛島くんは目を逸らさずに私のことを見下ろしたまま。


「牛島くん、ありがとう。最後の最後まで死ぬ気で頑張るね」


きっとホテルで牛島くんに教えてもらったこの物たちを使う時、今のこのやりとりを思い出すんだろう。そしてまた頑張ろうと思えるのだ。

こういう些細な出来事の全部が、未来の私の力になる。


―――――――――――――――


今までのことを思い返す。私は何度も牛島くんに勇気をもらって、励まされてきた。時には彼の姿を見て、時に直接言葉をもらって。牛島くん以外の色んな人からも、たくさんの頑張れと頑張ろうを与えられてきた。

一年生の頃から地道に努力を続けてきた結果、進学校として名高い白鳥沢でも狭き門である難関校に挑戦できるほどに学力も上がった。安全とはもちろん言えない第一志望校。それでも今の私を見て反対してくる人はいない。

できることは全部した。やるべきことは全部やった。胸を張ってそう言える。絶対に受かってやるという強い気持ちを今でもちゃんと持っている。

それでも思ってしまう。何度励まされたって、何度振り返って自分のやってきたことに自信を持ったって、怖いと思う。不安になる。


「厚木」

「牛島くん!?」


なんでここに?そう思ったのはここが仙台駅の改札前だからだ。普段の行動範囲からは少しばかり離れている。私の考えていることがわかったのか、彼は「今日は学校外での練習がある」と教えてくれた。


「そうなんだ!頑張って!」

「ああ。厚木もな。これから向かうんだろう」

「うん」

「…………」

「……へへ」


何を言っていいのかわからない。うるさいうるさいと言われ続けている私がこうして言葉に詰まるのは、自分で言うのもなんだがなかなかないと思う。牛島くんは相変わらず表情を変えずに私のことを見下ろしたまま。


「厚木が静かなのは珍しいな」

「そうかな。……そうかも」

「ああ、珍しい」


不安なのか?そう言って牛島くんは言葉を止める。疑問系で聞いてくれているのに、反論を受け付けないような圧を感じた。不安だよと答えるのを躊躇うような。心の中にモヤっと渦巻いている感情を表に出すのを憚られる。素直に弱さを口に出したい。でも、出したらもっと強く自覚してしまいそうでなんだかそれも怖い。


「俺は根拠のない自信は嫌いだ」


牛島くんが放つ言葉は、時と場合によれば他人を押しつぶしてしまうような苦しさを与えるものにもなり得るのかもしれない。けれど、彼のその強い言葉達はいつも圧倒的な力で私を押し上げてくれる。


「厚木はいつも強気だが、その言葉の裏にはしっかりとした根拠がある」

「……牛島くんは、優しね。いつもいつも励まされてばっかだ」

「励ましてなどいない」

「でも、私は牛島くんのおかげでいつも強くなれるよ」

「俺は厚木がやってきた事実をそのまま述べているだけだ。それで前を向けるのなら、厚木を強くしているのは自分自身ということだ」


さも当たり前のことのように牛島くんは言う。いつもいつもそうだ。自分の放つ言葉に自信を持っている。それは彼が強がっているわけではなくて、自他共にそう思えるくらいにしっかりとやるべきことをやり、成し遂げ、相応の実力をつけてきたからだ。彼の言葉には根拠がある。牛島くん自身が嘘は言っていないと信じ、そして証明しているからだ。だからこそ軽くは聞こえず、重く厚く響く。

そんな彼が、ここまで言い切ってくれるのだ。これ以上に嬉しいことがあるか。これ以上に強くなれることはあるのか。


「……牛島くん」


声に力を込めようとしたら、思わず少し震えた。明日から試験が始まる。私のこれからが決まっていく。


「その言葉を胸に最後まで乗り越えてみせるから、会えなくなる期間もへこたれなくて済むように、手、繋いでくれますか」


差し出した手のひらに、牛島くんが同じように手を伸ばす。私よりも大きな大きな手のひら。太い指、ゴツゴツした関節。若干表面が硬いのは、彼が毎日毎日ボールに触れ合っているからなんだろう。この手で毎日頑張っているんだ。

仙台駅の暖まりきらない冷たい空気がぬるく溶けていく。じんわりと温かなそこから私を奮い立たせる熱が流れ込んでくる。


「牛島くん、好きです!!」


人が集う改札の前で、大きな声で叫んだから何事だと周りの数人が振り返った。高校生が握手を交わしながら白昼堂々告白している。僅かに浴びる注目にも、私も牛島くんも微動だにしなかった。


「知っている」


うっすらと笑いながら牛島くんがそう言った。いつも真っ直ぐな口角が若干上がったくらいだ。それでも鋭い目はやや細められ、声も私の勘違いでなければほんのりと優しかった。

告白を受け入れられてはないにも関わらず嬉しそうな顔をする私に、好奇の目で私たちを見ていた観衆達は困惑の表情を浮かべていた。


「お母さんもうすぐ戻ってくるだろうから、そろそろいくね」

「ああ」

「練習頑張って!」

「厚木も頑張れ」


ぶんぶんと大きく手を振った。背中を向け歩き出した牛島くんが一度だけ振り返って片手をあげる。そんなことをされるのは初めてのことで、また胸が熱くなった。



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