冬休み!始まる最後の三学期

冬休みだからって遊んでいる暇なんてなく、むしろ学校があった時よりも忙しい毎日を過ごしていた。クリスマスも特に何もせずあっという間に過ぎ去って、気がつけばお正月も終わっている。

言葉通りに最後の追い込みに励む毎日。もはやここまで詰め込んでいると焦りも心配もなくなってくる。というか、そんなことを考えている暇すらない。

勉強の合間に中継で見た春高バレーでは、白鳥沢を倒して全国に行った烏野の人たちが、惜しくも四回戦であの小さくて凄かった子が途中退場して負けてしまっていた。今回以外、三年間ずっと祝男子バレー部全国大会出場の幕が校舎に貼られていたし、あの会場に見知った顔が出ていないのがなんだか不思議だった。


『なんだ、ホントに生きてた』

「なんだって何よ」

『詩織ちゃん今時間平気なの?』

「ちょうど休憩取ろうとしてたところだから大丈夫」


突然届いた生存確認のメッセージに返事をすれば、そのまま電話がかかってきた。天童の呑気な声を聞いていると、よくわからないけどなんだか落ち着く気がしてくる。

天童は気まぐれだし、考えは読めないし、すごく面倒くさい一面もあるし、一言で言えば超変わってるやつ。だけど、バレー部の中で一番こうして私のことを気にかけてくれるというか、ちょっかいをかけてくれる存在だ。

一年生の頃同じクラスだったし付き合いが長いというのもあるけれど、多分あの中で最も親しい。天童はどう思ってるかわかんないけど、私は勝手にそう思っている。


『受かりそう?』

「正直わかんない。弱気なわけではないんだけどね」

『絶対合格とか言うんだと思ってたからビックリ』

「言いたいよそりゃ!絶対合格!絶対第一志望進学!そう思っていますとも!」


というかこの時期の受験生に調子はどう?って聞き方ならまだしも、受かりそう?って質問はあんまりだ。

どんなに模試の判定は上がってきていたとはいえ、私の目指す大学は難関校で有名だし、白鳥沢からも毎年一人二人合格者が出ればかなり良い方で、誰も受かっていないことも多々ある。正直受かるとは言い切れない。


『ワンランク落とした大学でも詩織ちゃんが言う憧れのキャンパスライフは送れるんじゃないの?第二志望の大学も有名所だし、そこ第一志望でも良かったじゃん』

「そうなんだけどさ……でも可能性があるなら狙っていきたいじゃん。ただの記念受験みたいになるのは嫌だし、チャレンジするみたいな考え方も嫌だし、受けるなら本気で狙って受かりたい。結構反対されたけど」

『まぁあの名前出されたら驚くよね〜』

「でも天童全然驚いてなかったじゃん」

『想定内だったからダヨ』


一年生の最初の春。まだ教室全体が親しくなりきれてないあの時期に、既にクラスの中で少し浮いた存在だった隣の席の天童に話しかけるか迷いに迷ったけれど、どうしても今すぐ誰かに言いたくて、我慢できずに「ねぇ、あの先生シャツをズボンじゃなくてパンツの中に入れてるよね?黒板書く時腕伸ばすとパンツ出てるの見えない?」と声をかけた。

入学したてでまだみんな真面目に授業を受けている中、突然振った私の話に大きな目を数回パチパチと瞬かせ、机に体重を預けていた体をゆっくりと起こし先生の姿を確認した天童が声を出さずに笑ったのを見て私は大声で笑った。結果私だけ怒られた。当時がもう懐かしい。


『詩織ちゃんは一年の頃からずっと勉強してたでしょ。誰も受験の話なんてしない時からさ』

「その頃は志望校とか決めずにとりあえずで基礎解いてただけだけどね。あと勉強してたのは夜と塾だけで、後はみんなみたいに遊び回ってたよ」

『でもしてたじゃんずっと。頭おかしーって思ってたし』

「え、そんなこと思ってたの」

『だから第一志望がそこって言われても、特に驚くことない』


なんでもないように天童は言った。多分、彼は人を励まそうとか奮い立たせようとかそんなことは思ってないんだと思う。だって天童だから。


『受かるかどうかは知らんけど!』

「正直か」


大きな声で笑い飛ばして、突き放すこともしなければ寄り添いもしない。特別興味は持たれないけど、たまにこうして突然彼の思考回路の中に登場させてもらえて声をかけてくれる、そんな絶妙な距離感が心地良い。

一年生の頃からいつだって、天童とはお互いにそんな関係。


―――――――――――――――

「おはよ!」

「おはよう」


朝一から牛島くんに会えるなんて珍しい。牛島くんは寮だし、朝練もあったしでなかなか朝の時間が被る事はなかった。冷えた体にどんどん体温が蘇ってくる。


「冬休みは何してたの?」

「チームの練習に参加したり、後輩の指導をしていた」

「バレーばっかで牛島くんらしい」

「厚木は何をしていた」

「なーんにもしてないよ。ずっと家と塾で勉強。人ごみ行ってインフル移るのとか怖いし、初詣も三ヶ日過ぎてから地元の小さい神社に行っただけ」

「厚木らしいな」

「私っぽい?こんな冬休み過ごしてんの人生初だよ。高校受験の時ももう少し外出たもん」

「いや、厚木らしい」


ほんのりと、笑いはしないものの牛島くんの纏っている空気が柔らかくなった気がする。

勉強漬けの日々を送っていただけの冬休みの一体どこが私らしいのだろう。遊びたくて仕方ないし、去年は冬にできること全部するぞなんて言いながら友達と盛り上がってたのに。

教室までの道をゆっくりと歩きながら、牛島くんの横顔を盗み見た。今日もキリッと真っ直ぐ前を見つめている。会えなかった数週間の間も、きっとこうして乱れずに先を見て歩んでいたんだろうな。


「牛島くん、」


牛島くんが教室に入ろうとするのを引き止めた。名前を呼んだだけで何も言わない私に対して、牛島くんは黙ったままじっと見つめてくるだけ。

一月。あと十日もしないうちにセンター試験が始まる。そして、あと一ヶ月もすれば私の本番も始まるのだ。

今だって寒くて凍えそうなほどの冬が更なるピークを迎えた時、私はどんな気持ちでいるんだろう。厳しい冬を乗り越えた春の日に、私はどこを向いているんだろうか。


「……ごめん、なんでもない。また後でね!」


ひらひらと手を振って、逃げるように自分の教室へと急いだ。数歩歩いたところで聞きなれた声が私の名前を呼ぶ。

牛島くんの、性格はその声にも現れている。真っ直ぐな筋が通った、芯の太い声。


「真っ直ぐに好きなものに向き合えるのが、厚木の長所なのだろう?」


突っ走りがちなのは私の悪い所だけど、真っ直ぐに相手に向き合えるというところは私の長所だと思います。

春に牛島くんにした自己紹介だ。私のことを知らないからと言っていた牛島くんは、あの会話をちゃんと覚えていて、私のことを今はこうしてちゃんと知ってくれている。

描きたくても描くのが怖くなる、すぐそこにあるはずの数ヶ月先のビジョン。ホワイトアウトしたように押しつぶされて何も見えなくなっていた視界がパッと鮮やかに色づいて、みるみる明確になっていく。


「また後で」


牛島くんはそれだけ言って教室へと戻っていった。擦り落ちそうになっていた鞄を肩にかけ直す。学校ではそんなに使わないけれど持っていないと不安になってしまう志望校の分厚い赤本が揺れた。

三学期。最後の高校生活。私たち受験生の運命を決めるその日が、刻々と近づいてきている。



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