起こせマジック!高校最後の文化祭

「せーんぱい」

「川西くんじゃん。どうしたの。またテストやばいの」

「俺をなんだと思ってんすか」


やばいのはやばいっすけど。そう言った川西くんは、クラスメイトに任された手持ち看板の色塗りを花壇の脇で行なっていた私の隣にしゃがみ込んだ。彼の周りはなんだかのんびりと時間が動いているように思えてしまう。でも今は文化祭の準備時間だ。そんなことをしている場合ではない。


「川西くん何しにきたの」

「買い出しがてらちょっと休憩に」

「サボりでしょ」

「そうとも言う」

「私までサボりだと思われるじゃんあっち行ってよ」

「誰もそんなこと思いませんよ」

「川西くんと付き合ってるって噂とか立ったらどうすんのよ」

「誰もそんなこと思いませんよ」


十一月の空には薄い雲がふわふわと漂っていた。それを見上げながら川西くんはふわぁっと大きなあくびをする。なんとも自由な人だ。


「川西くんって悩みなさそう」

「そう言われるのが悩みっす」


せかせかと手を動かす私を見ながら、川西くんは「先輩って東京行くんでしたっけ」と小さくつぶやいた。今思い出したんだけど、みたいな軽い雰囲気で。


「第一志望合格したらね」

「あれ?第一志望だけなんすか?」

「一応第二志望も併願も東京だけどさ、強気に言っておかないと」


ちなみに第二志望はここ、と告げたら川西くんは眉を顰め、「そこが第二志望の滑り止めとか言われたら俺泣きます」と言った。しかし全然泣く素振りを見せない。


「滑り止めって言ったらそうだけど、そこもかなりレベル高いし人気だし、安心はできないから、他も受けるよ」

「はぁーなるほど。てかそこで第二?本命どこ」

「ここ」

「狙おうとも思いませんよそんなとこ」


厚木先輩って学年順位どのあたりなんですか、頭いいなとは思ってたけどヤバそう。川西くんは、そう言いながら恐る恐る口元を押さえた。


「学校のテストはだいたい十位前後をフラフラしてる」

「やべぇ」

「そんなに驚く?学校のテストだよ?」

「え、学校のテストの何がそんな感じなんすか逆にわかんないんですけど」

「模試とか受験対策とかはずっとしてたけど、学校のテスト勉強正直そこまでしてないし」

「うっわ上位のシンプルに意識高い人にしか言えないセリフじゃないですかそれ」


ため息をついた川西くんは、毎回学校のテストごときに焦ってヒィヒィ言ってる自分が恥ずかしくなってきた、と頭をガシガシと掻いた。


「東京いいなーだけで考えてる俺とは違いますね」

「私もそうだよ?東京ってそれだけで華があるっていうかさー、憧れるじゃん。というか川西くんも!?」

「先輩みたいに頭いいとこ目指すわけでもないし、まだどことか細かいことなんも決めてないっすけど、とりあえず進学先はそっちの方かな」


川西くんはノロノロと立ち上がると、そろそろ行かなきゃ遅すぎだってどやされっかもなんて言って買い出しに向かった。

意外と上京考える人いるんだな。東京に行ったら一人になっちゃうかもとか思ってたけど、案外そんなことはないかもしれない。なんとなくまた気が楽になった気がして、あと少しで終わりそうな看板制作に集中した。


―――――――――――――――


楽しい時間はすぐに過ぎ去ってしまう。クラスの出し物も大成功で、二日間行われた高校最後の文化祭はとても楽しく幕を閉じようとしていた。友人たちと後夜祭を眺めながらグダグダ喋る。こんな時間ですら最後かぁと思うとひどく愛おしい。


「あ、牛島くん!行ってくる!」


が、牛島くんには勝てなかった。もう慣れた様子で私を送り出してくれた友人たちに感謝しながら、バレー部と一緒にいる牛島くんの元へと走る。


「告白でもしにきたのー?」

「違いますー。でも文化祭マジックとかあるって言うしな……試してみるか」

「そのマジックが若利に効くとは思えないけどなぁ」


気を利かせて去ってくれるとかはもうバレー部にはない。普段通りの私たちだ。だから私も悪いなとは思わず、いつものように輪に入って牛島くんの隣に移動した。


「本当は一緒に文化祭まわりたかったの」

「そうだったのか」

「うん。でもクラスの出し物のシフトが絶妙に牛島くんとズレてて叶わなかった。私も文化祭で手繋いで歩きながら『次はどこに行く?』『二年生のこれ見ようよ』『それで次は一年生のあれ食べに行こう』『食べきれないから半分こしよう』とか言ってキャッキャしたかったのに」

「相変わらず厚木は強欲だよな」

「何一つ叶えられなかったけど……でも今からでも手を繋ぐことはできるのでそれだけでも叶えてくれませんか!?」

「強引すぎでしょ」


バッと牛島くんに向かって手を差し出す。それを彼はジッと見つめた。なぜか私以外のみんなまで緊張したようにそこを眺めている。ドキドキ。周りの喧騒がパッと消えてしまったように自分の心臓の音しか聞こえなくなる。差し出した右手は僅かに細かく震えていた。

そして、牛島くんは「わかった」と言って私の手のひらを握りしめた。


「……!!ぅ、お、え、ほんとに!?」


私の震える手のひらを抑え込むように、牛島くんの大きな手に少しだけ力が入る。温かい。十一月の夕方なんてもうかなり寒いのに。足の先から頭のてっぺんまでぽかぽかして、なんだかおかしくなっちゃいそうだ。

たとえ私が想像していた手を繋ぐ形ではなくて、それが握手の形だったとしても。


「ウヒャハハハハハハ」

「そんなに笑ったら可哀想だよ」

「……なんでそうなるんだ?」

「ねーヤバくない見てよ英太クン。あれ、いない」

「瀬見ならだいぶ前にこっそり抜けて彼女のところに行ったよ」


私と牛島くんを見ながら笑っている天童。戸惑う山形くん。見守る大平くん。知らぬ間にいなくなってた瀬見。

それぞれの周りの反応なんか気にすることなく、私や友達たちとは違う、あたたかな牛島くんの手のゴツゴツした大きな太い感触に倒れそうになっていた。

たしかに握手の形だけど、でも触れていることに変わりはない。ポジティブだなときっと瀬見がいたら呆れられてただろう。でも実際私はかなりポジティブな方だと思うのでもう形とかどうでもいい。嬉しい。


「このまま後夜祭の終わりまでいてもらってもいいですか」

「わかった」


牛島くんから視線を外して、少し遠くで行われている校庭の真ん中に建てられた特設ステージの出し物を眺める。私から視線を外し、牛島くんもそれに目を向けた。


「好きです」

「知っている」

「付き合ってください」

「……それはできない」


一緒にまわれはしなかったけど、半分ことかもできなかったけど、マジックも起こらないけど、それでもこうして好きな人と、一緒に手を繋……に、握り?……いや、繋ぎながら、高校最後の文化祭を終えることができて幸せだ。



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