2019年10月12日

昨夜仕事終わりに新幹線に飛び乗って広島へとやってきた。ワールドカップももう終盤。明日からの三試合を残すのみとなった。そんな今日は試合がなく、徹はホテルで一日ゆっくりと過ごすのだそうだ。

今日は土曜日で明日は日曜。明後日は体育の日で祝日となる。火曜日と水曜日は有給を取った。この五日間、彼はほとんど試合だから一緒に過ごせる時間は少ないかもしれない。それでもこうして近くにいれてることはとても嬉しい。

そしてなんと言ってもついに実際にこの目で見れるのだ。彼のバレーボールを。そのことに一番心が舞い上がっている。

何度も映像で見てきたけれど、彼がこのチームで試合をしているところを実際に見たことはまだなかった。やっと、ついに見ることが出来る。楽しみじゃないわけがない。


「なーんかちょう楽しそー」

「うん。もうずっと気持ちがふわふわしてる」

「すっごくすっごく嬉しいけどさ、今は俺と一緒にいることに集中してよね」


慣れないホテルのベッドの柔らかさを背中で感じる。吸い込まれるように体が沈む。彼が動くたびにわずかにスプリング音が鳴った。真っ白な海に二人で横たわって、包み込むように身を寄せ合う。ひんやりとした汚れのないシーツに皺ができるのもお構いなしに、お互いの体温を共有した。


「昨日からずっとお好み焼きが食べたい気持ちが止まらないんだよね」

「広島だもんね」

「そー。あの味が恋しー。それに俺広島風しか食べたことないから、風じゃない本場のやつ食べてみたい」

「確かにそう言われると私も食べたことないから一回くらいは食べてみたいや」

「肉じゃが、サバ味噌、豚汁……もう何でもいいからお腹いっぱい食べたい」

「もうそれ全然広島関係ないね」

「あっちの料理も好きだし美味しいけどさ、和食食べると何かしっくりくるっていうか、これだーってなっちゃって止まらなくなるんだよねー」


少しでも動くとシーツがシュルッと静かな音を立てる。久しぶりに二人でこんな風に寝転びながら抱きしめ合っているのに特別緊張感もなく、色気も何もない会話だ。でもそこが私達らしくてこの時間が何よりも愛しく思えた。徹の柔らかな髪の毛を押さえつけつように数回撫でると、彼は気持ちよさそうに目を細めた。


「昨日半分食べれたおにぎりも美味しかった?」

「……今それ思い出させるの」

「何回聞いても面白いから」


思わず思い出し笑いをすると、徹が「ねぇ笑わないでくんない!?俺かなりショックだったんだから!」と声を荒げた。それでも笑い続ける私に、彼は少しだけ怒ったように頬を膨らませ、大きな手のひらで私の髪の毛を乱すように頭を掻き回してくる。


「電話してる最中に鳥におにぎり取られるのタイミングが良すぎて尊敬したんだよ」

「なんでそんなことで尊敬するのさ」

「……っ……あははッ」

「その本気で堪えきれないみたいなのもヤメテ!」


昨日、昼休みに彼に電話をかけた。その時間は彼もまだ試合ではなくて、アップさえも始まっていない休憩時間だったからアリーナの外でのんびり過ごしていたらしい。ゆったりと会話をしながら私はお昼ご飯を食べていた。彼もお腹が空いたから持ってきたというおにぎりを頬張り始めて少しした時、急に会話が途切れてしまったと思ったら彼が突然大きな声を出したのだ。

その時は本当に驚いてしまって何があったのかと思わず電話越しに立ち上がってしまった。返せと叫ぶ徹に、この日本で真っ昼間から珍しいとは思いながらもスリにでもあったのかとハラハラする。しかし、すぐに続いた『俺のおにぎりー!』という悔しそうな言葉に冷静に一旦動きを止めた。


「……おにぎり?」


ガサガサと慌てている音が聞こえるのみで、私の言葉には反応がない。しばらく経って、悲しそうに「……でっかい鳥におにぎり盗られた」と泣きそうな声を出した徹に、私は思わず心配するよりも先に笑いが止まらなくなってしまったのである。


『ちょっと心!?笑いすぎなんだけど!!俺が今どんな気持ちかわかんないの!?』

「っかわいそうだけど、大男が一人でピクニック中におにぎり盗られた様子想像したら……はははっ」

『ひっどい!!心もこっちきたら絶ー対盗られるからね!!』

「流石にそれはないよ」

『何さその言い方!!』


ひとしきり笑っているうちに私の昼休みは終わってしまったので、残念ながらそこで通話は終了となってしまった。ちなみに午後の勤務中はその話と徹の慌てっぷりを思い出してたまに一人で笑いそうになってしまい、私は私で集中力をだいぶ削られて大変だったのだ。

また小さく思い出し笑いをする私に、徹は拗ねるようにして唇を尖らせた。こんなに大きく体格も良いのに、こんなにも子供っぽい態度をとる。昔から変わらないその姿がとても愛しい。ぽんぽんと慰めるように彼の柔らかい髪の毛を再度撫でた。不貞腐れた表情で胸元にすり寄ってくる大きな体にそっと両腕を回せば、彼が嬉しそうに息を吐く。


「心」

「ん?」

「もっとこっち、来て」


布の擦れる音が響く。ひんやりとした感覚が全身にまとわりついた。でもその感覚は限界までくっついた温かな彼の体温のせいで一瞬で消えてなくなっていった。頬を掠める彼の唇の微弱な刺激がくすぐったい。目を瞑れば、すぐに顎を掬われ唇が重ねられた。


「……んっ、」


繰り返されるとろけるような甘いキスに段々と全身の力が抜けていく。彼の太くて節くれだった大きな指が私のそれを絡め取った。


「……大丈夫?」

「大丈夫って?」

「なんかもう既にいっぱいいっぱいって感じじゃん。久しぶりすぎてついてこれてないんじゃない」

「……そんなことないよ」


たったこれだけで軽く息を上げた状態じゃ、何を言っても強がっているようにしか見えないだろう。けれど強気な表情は崩さなかった。徹はそんな私にゆるく口角を上げる。


「この程度じゃ、まだまだ全然」

「……へぇ」


彼の首元にゆっくりと腕を回して、至近距離で笑ってみせた。少し挑発的な私の態度に釣られるように彼にもスイッチが入ったようだ。

互いの息遣いが響き渡り、素肌が触れ合う音でさえも騒がしく感じる密やかなホテルの一室。汚れがない無垢で柔らかなセミダブルのベッドは、私たちの全てを包み込むように身体を深くまで沈み込ませる。


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