せんこうはなび BD
コンコンと自分の家と同じ作りの見慣れたドアを叩く。日の暮れたこんな時間に人の家に行くというのはもしかしたら失礼なのかもしれないけど、ドアから顔を出した人物は優しい笑顔を浮かべて「いらっしゃいなまえちゃん」と私を迎え入れてくれた。
「こんばんは!」
「来てくれてありがとうね。でもまだ圭介帰ってきてないのよ」
そう言ったバジのお母さんは、時計を確認して、「こんな時間まで本当にあの子は……。もうそろそろ帰ってくると思うんだけどね」と少し心配そうな表情をしながらも私を安心させるために笑顔を崩さないでいてくれる。
それから三十分ほどして帰ってきたバジは、リビングで寛ぐ私を見て「また来てんのオマエ」なんて呆れた顔をした後、私が手に持っていたそれを指差し何ソレとつぶやいた。
「線香花火」
「見りゃわかるわ。なんでンなモン持ってんだって話」
「バジとやろうと思って」
「はぁ?」
顔を歪めたバジの背中をお母さんが「ずっと待っててくれたんだから」と言って軽く叩く。仕方がないというようにため息を吐いたバジは、「オマエそんな格好で外行くのかよ」と呆れたような顔をして、私がいつも自分のもののように着ているバジの大きな黒いパーカーを部屋から持ってきてくれた。
「特攻服って寒くないの?」
「今の時期くらいなら余裕」
「バジ子供体温だもんね」
「なまえに言われたくねーよ」
団地の外の隅っこにある花壇のそばに二人で腰を下ろして花火の準備を進めていく。つーかなんでこの時期に花火?しかも線香花火だけって。という彼の問いに「夏にやったやつのあまり。来年まで取っておくと湿気っちゃうから」と素直に答えると「余りモンかよ、ならもっと暑い時に消化しろ」なんて不満そうにしながらビリビリと袋を破いて中身を全て出し、その一つに火をつけていく。
「わ、綺麗!!見てバジ!!」
「ンな騒がなくても見えてるっての」
「バジ線香花火すぐ落とすし」
「舐めてんのか」
ジトっとした視線をこちらへと向け、「見てろよ」なんて眉を顰める。真剣な顔つきでパチパチと小さな花を咲かせるそれを静かに二人で見守った。段々とその花の勢いが弱まって、もう少しで終わりを迎えるという時、それまでそこにあったはずの中心部は虚しく地面に散っていった。
「落ちた!!」
「嬉しそうにしてんじゃねーぞクソ」
「口悪!」
「いつも通りだワ」
悔しそうにするバジを横目に側に置いていた蝋燭で新しい花火に火をつけた。ジジジと音を立てて少しずつ先端を丸めていくそれを慎重に持ち続ける。やがて先ほどのバジのと同じくパチパチと光る花束のように手元を明るく照らした。そしてゆっくりと終わりの時を迎える。わずかに咲いていた最後の花が儚く消えていった。ほのかに明るいままの中心部は手元に残ったまま、その灯火が消える最後までそこにあった。
何も言わずに横を向いてニッと笑うと、納得がいかないような顔をしたバジが二本まとめて火をつける。大きな丸になったそれは一本の時よりも激しさを増し大輪の花を咲かせたけど、その分重力も増したのかまだパチパチと音を立てているにも関わらずボトッとアスファルトにその身を打ち付け終了した。
「なんでだよ!」
「下手くそ〜」
「オマエに言われるのすげームカつく」
夏の余りの花火なので残りはあと数本しかない。それにも関わらずバジは五本も一気に取ってそれにまとめて火をつけた。
「ねー!?もったいない!!」
「ウルセーこんだけありゃ落ちねぇだろ」
バチバチというよりももはや火事のような勢いで、明るいというよりも爆発したようなそんな激しさがある。コレはやべーなんて楽しそうにワクワクとした表情を浮かべて笑ったバジに釣られて私もその輝く手元を興味深く覗き込んだ。
「え、わ、燃えてる!バジ!!燃えた!!」
「あっつ、マジだ燃えた水、水!!」
数本の線香花火だけれど一応ちゃんと水を用意しておいて良かった。アスファルトの上でぼうぼうと燃えている線香花火の塊だったモノに勢いよく水をぶっかけたバジは、「危うく放火魔になるとこだったワ」なんて笑えない冗談を言いながら消火したソレを手で拾って、ゴミ箱代わりにしていた紙コップに投げ捨てる。
アチーと指先に息を吹きかけているバジに「大丈夫?」と声をかけた。こんくらい屁でもねぇよと言って心配して覗き込んだ私の頭にポンと手を置いたバジは、残り二本となってしまった線香花火のうちの一本を静かに手に取った。
「……ガキの頃さ」
「ん?」
「花火したじゃん。マイキーたちも一緒になって」
「あー、あったなぁ〜」
私とバジとマイキーとエマちゃんで、強風で中止になってしまった花火大会の代わりにマイキーたちの家の縁側で大量の花火を買い込んで浴衣を着ながらした。その時もこうして線香花火をやったっけ。みんなで輪になって、誰が一番最後まで落とさずにいられるか競い合ったりして。その時から私はほとんど一度も落とさずに終えることができて、バジは毎回落として文句を言ってた。
「懐かしいね」
ムキになったバジは大量にあった線香花火をみんなが飽きてしまってからもずっと一人でやり続けていて、私はひたすらその様子を隣で黙って眺めてた。マイキーはオマエらいつまでやってんの?なんてスイカを食べながら呆れたような顔をしていて、エマちゃんはマイキーの隣で笑いながらバジに頑張れと声をかけた。
「あの時言ってたこと覚えてるか」
「え?」
「なんか、線香花火に願い事するやつ」
「……あー」
線香花火を最後まで落とさずに終えられたら、その花火をしている最中に願っていたことが一つ叶う。そんなことをエマちゃんが言い出して、私たちはそれを信じて夢中で取り組んだ。
その時何を願ったかは今でもしっかり覚えてる。バジとずっと一緒にいれますように。なんて、今と全く変わらない願い事をした。
「最後の一本ずつ、やってみっか」
「うん。でも大丈夫?今までバジ全部落としてるよ」
「今までのはホンキじゃねーから」
二人同時に火をつけて、パチパチとさっきと同じように光りだす手元の花火を静かに見つめる。「圭介」と小さく名前を呼ぶと「今は話しかけんな」なんて切羽詰まったような返事が返ってきた。オレンジ色の光に照らされたバジの顔を盗み見る。グッと息を飲みながら微動だにしない彼は、息もしていないのではと疑うほど静かで、いつもの騒がしさは微塵も感じられない。
花火に視線を戻して願い事を考えてみる。何度考えたって、何年経ったって私が願うことはただ一つで、流れ星に願うように心の中でそれを三回唱えてみた。
バジのそれよりも一足早く終わりを迎えた私のそれは、今回もしっかりと落ちることなく花びらを閉じた。それを確認したバジが緊張感を増した面持ちで未だ手元で微弱に光を放つそれを見つめる。
パッパッと不規則に放たれるそれはもうほとんど消えかけていて、最後の灯火が仄かに手元を照らす。やがて雪が溶けるように静かにその一生を終え、しんと静まり返るこの空間に「見たか」と小さなバジの誇らしげな声が響いた。
「これで今回もちゃんと願い叶うなぁ」
「本気で信じてんのかよ」
「え!?信じてるからやったんじゃないの!?」
「この歳でそんなに真剣に信じてんのはオマエだけじゃねーの」
そんなことを言いながらバジは素早く片付けを始める。ムッとしながら、「でもあの時ちゃんと落とさないで出来たから、私は今もちゃんと圭介と一緒に居れるんだよ」と言うと、バジは「オマエ、そんな願い事してたの」なんて驚いたようにこちらを見た。
「今日も同じお願い事した。ちゃんと叶うといいね」
「オレがなまえと離れたいって願ってたら叶わねーかもな」
「そんなことお願いしたの!?」
「してねぇけど」
「えっ」
じゃあなに?と聞いた私の話をスルーするように立ち上がったバジは、「寒ぃから早くいくぞ」と私の手を取って、触れた指先の冷たさに目を丸くする。しょーがねぇなと呟いて温めるようにギュッと手のひらを握ってくれた。そのままカンカンと二人分の足音を響かせ階段を登る。
「もう日付越えちゃったかな」
「越えてんじゃね」
「最後のおめでとう言い忘れた」
「朝から何度も聞いてっからもういーわ」
五階までの長い道のりをゆっくりと進む途中、ボソっとバジが何かを言った。足が疲れて登るのに必死になっていた私はその最初の部分を聞き逃してしまって、何?ともう一度聞いてみたけど「もう言わね」と返されてしまう。
「何が同じ?」
「言わねーって」
「えー、ケチ」
「勝手に言ってろ」
「あ、もしかして私と願い事一緒だった?」
そう言って高い位置にあるバジの顔を見上げると、少しだけ居心地の悪そうな顔をしながら「…………違ぇ」なんて蚊の鳴くような小さな小さな声を出す。
「違うの?残念」
「ンな本気で落ち込んでんじゃねーよ」
「だって圭介も同じ願い事だったら絶対叶うの確定じゃん」
とんと寄り掛かるように肩に頭を預ける。繋いでいた手を離して、その手で私の肩を抱くようにしたバジが、「叶うんじゃね、知らねぇけど」と最後の階段を登りながらぶっきらぼうに答えた。
十四歳の誕生日を迎えたバジは、そのまま「ただいまー」と大きな声でドアを開けて、オマエ今日はこっち泊まんの?なんて言いながら当たり前のように私のことを家の中へと迎え入れた。
小さな頃の願い事を叶えてくれた線香花火のおまじないは、今の私たちの願い事もちゃんと叶えてくれるのだろうか。