あめのちみぞれのちゆき
ポツポツと雨が降っていることに気がついて顔をあげた。今日は特に雨予報ではなかったはずだ。そんなに強くはないけど、この寒さの中家まで歩いて行ったら流石に風邪引くかなぁと思い、履いたばかりのローファーを再度脱ぎ靴箱へと戻す。
冷え切った階段を登って三階まで向かおうとした途中、二階の踊り場でバジにちょうどよく遭遇した。
「いた!」
「帰んの?」
「うん。でも雨降ってるから、バジに傘借りにきた」
「オレも持ってねーわ傘なんて」
雨予報なんて出てなかったじゃねーかと窓の外を見ながらイラついたように呟くので、「バジ天気予報とか見るの?」と聞いてみれば、ンなもんいちいち見ねーよなんて言うから笑ってしまう。昇降口の傘立てから適当な傘を一本取って、「これならいけんじゃね」とこっちを見たバジに続いて急いで靴を履き替え隣に並んだ。
「パクったらいけないんだよ」
「後で戻せば問題ねぇ」
「そう言って戻してるとこなんて見たことないけど」
バジの選んだ大きめのビニール傘は流石に二人で入ると少し狭く感じた。なるべくお互い濡れないようにとぎゅっと距離を縮め思いきりくっついてみる。歩きづれーなと文句を言われたけど気にせずに続けた。
「目の前でチョロチョロすんな」
バジが私の肩に腕を回して位置を固定させる。こんなに寒いのにバジの手のひらはとても温かい。そっと私のそれを重ねると、「ぅおっ」っとびっくりしたような声をあげて素早くこっちを向いた。
「冷てーなオマエ」
「バジがあったかすぎるだけでしょ」
「オマエが冷たすぎるんだろ。氷じゃん」
ガッと掴まれた手のひらの勢いをそのままに、肩に腕を回すというよりももはや抱きつくように引き寄せられた。歩きにくいと訴えても、バジはさっきのお返しだと言わんばかりにニッと笑うだけで、「早く帰んぞ」と傘をこちらに傾けながら体勢を戻すことなく歩くスピードを上げる。
雨は次第に粒が重くなり、いつの間にかみぞれのようになってきていた。このままいけば今夜は東京で初雪が見られるかもしれないな。積もらないだろうけど、でももし積もったら明日は千冬くんも誘ってバジと雪合戦でもしよう。なんて企み、一人でフフッと笑い声を漏らす。白い息がホワホワと舞って、なに一人で笑ってんだと手のひらは変わらず温かいのに鼻の頭を少しだけ赤くしたバジが顔を覗き込んでくる。なんでもないよと言って、バジに体重をかけるように上半身を傾けると、「酔っ払いみたいな歩き方してんな」とまた怒られてしまった。
「楽しみ
」
「なにが」
「千冬くんとバジ倒すの」
「なんだそれ」
「私雪玉作るのすごい得意だから!……でも千冬くんバジは狙えないとか言いそうだから、やっぱり私が投げる係しようかなぁ」
「雪合戦の話か?それは流石に一人のオレ不利じゃね?」
つか積もんねーだろ今からじゃ。と呆れたように笑うバジに釣られて一緒に笑った。寒くて動きの鈍くなっていた指先も、バジの手のひらに覆われていたことで本来の温度を少しずつ取り戻してだいぶ温かくなってきた。相変わらず二人して歩きづらいと文句を言いながらもそのまま歩き続けていれば、後ろから「あ!」と大きな声が飛んでくる。振り返るとそこには千冬くんがいて、私たちの名前を呼びながらブンブンと手を振り駆け寄ってきた。
「千冬くんじゃん!」
「その体勢歩きづらくないっスか?」
「スゲー歩きづれー」
「そうですよね。じゃあなんでとか聞いても意味なさそうだからこれ以上は聞かないでおきますけど、あの、その、傘……」
「デカくて使いやすいわコレ」
「それオレの置き傘……」
「え、ほんとに!?ごめん千冬くん!」
慌てて返そうとするも、全然大丈夫なんで着くまでさしててください!と拒否されてしまい、そのお言葉にありがたく甘えることにする。
三人で並んで道いっぱいに傘を広げながら歩いた。千冬くんが現在さしているものはコンビニとかでよく売っている黒い傘で、わざわざ買ったの?と申し訳なく思って聞いてみると、「いや、オレの傘パクられてたんで残ってたやつ勝手に持ってきました」なんて親指を立てながらあっけらかんと言われてしまった。
可愛い顔してバジに従順で常識もある良い子だけど、彼もそういうことが出来てしまう人種であることをこういう時に思い出す。
「みんないけないんだ」
「オマエだってオレがこうすんのわかってて傘求めに来たんだろーが」
「あ、バレた?」
「あとオレ達のはこの後千冬に返すから問題ねー」
「じゃあ悪いの千冬くんだけだ」
「え、ちょっと!それはひどいっすよ!つか元はと言えばオレの傘二人が持って行ったのが悪いんでしょ!」
いつの間にかみぞれから雪へと変わっていたようで、ふわふわと私たち三人の傘から少し飛び出た肩に白いそれが舞い落ちる。そういえばさっきね、と雪合戦のことを千冬くんにも話すと「積もりはしないんじゃないっスか」と困ったように返されてしまった。
「てか、バジ、雪だから傘もう平気。ありがと!歩きにくかったでしょ」
「ハ?」
「雪なら濡れないからもう大丈夫」
「大丈夫じゃねーわ、アホか。ンな冷てーのに何言ってんだ」
飛び出そうとした私を引っ張って逃げられないようにと腰に腕を回される。ピチャッと足元で水が跳ねた。冷てーと笑うバジが首を傾け私の頭にゴツンとわざとらしくぶつける。もうすぐ着くんだから大人しくしてろと怒られて、それを見た千冬くんが相変わらずっすねと白い息を吐き出しながら笑った。
「ペケJで暖取りたいなぁ」
「オレんち来ます?」
「やったー!バジも行くよね?」
「おう」
ハラハラと舞う雪は地面に落ちるとすぐにその白さを失って鈍い色に溶けていく。この雪が積もらなくても、明日も三人でこうやって一緒に帰ろうね。そうすればきっと、楽しくて寒さなんて今みたいに気にならなくなるよ。