道を云はず:天童

06




「え、晶子ちゃんって二年もこっちいるのにちゃんとした観光したことないの!?」


そう驚かれたのは昨日の仕事帰りの事だった。パリに来て直ぐにノートルダム寺院には行ったし、シャンゼリゼ通りにも行った。少し遠出をしてヴェルサイユ宮殿にも。あともちろんだけどエッフェル塔は見た。あの辺のセーヌ川付近を歩けばいつだって見えるから、見たって言っていいのかは分からないけれど。

確かに細かい観光スポットには行ったことがない。一人で行動することは嫌いじゃないけど、前の仕事の時は休日はヘトヘトで家にいることが多かったし、良くて近所の散歩。たまに張り切ってこのマレ地区にショッピングに訪れるくらいだった。そしてその帰りに天童さんのチョコを買うのが楽しみだったのだ。

そんな話をしたら、天童さんは「もったいない!」と悲鳴のような声を上げ、次の休み被ってる日空けといてね!と一方的に約束を取り付けられた。

そして今日がその休みの日である。


「ギリギリセーフ?!」

「三分アウトです」

「それはセーフの範囲内っしょ〜」


朝からテンションの高い天童さんとシャルル・ド・ゴール駅で待ち合わせて、白銀の朝陽を浴び幻想的に浮かび上がる凱旋門を見てから、シャンゼリゼ通りにある人気のカフェで朝食をとった。そのまま人々で賑わう大通りを歩いてコンコルド広場へと向かう。ここまでの道は全て以前にも通ったことがあるはずなのに、余裕がなく毎日疲れきっていたあの日とは全く違う鮮やかさで目に映って、まるで初めて来たみたいに興奮した。

まだ少し低い太陽に照らされ七色に輝くセーヌ川のほとりを歩きながら、多くの人が入場のために列を成すルーブル美術館を横目に「今度チケット買って行こっか。芸術とか全然わかんないけど!」なんて他愛もない会話をしつつ辿り着いたのは、天童さんのパティスリーからも徒歩圏内にある街の中心地、シテ島。ノートルダムのあるこの場所は、パリでも人気の高い観光スポットだ。

しかし肝心のノートルダムには立ち寄らずに、もう少しだけ歩いた所にあるサントシャペル教会へと向かう。「女の子ってこういうの好きだと思うよー」と言われるがままに着いて行き中へ入ると、驚くほど綺麗に眩いステンドグラスに囲まれた。


「う、わ……!凄い、すごいですっ!360度ステンドグラス!」

「んねー、さすがにこれは俺も初めて来た時綺麗だなーって感動した」


優しく日光に照らされ、キラキラと蜃気楼みたいにカラフルな空間が柔らかく揺れる。こんなに近くにこんなに綺麗な教会があったんだ。噂には聞いていたけどここまでだとは思わなかった。興奮しながら写真を撮っていると、「映え〜!」と急にカメラを向けられカシャッとシャッターが切られる。「勝手に撮らないでください!せめて撮るって言って!」とちょっと怒ったように言っても、天童さんは「映える場所で撮ればどんな顔しててもみんな背景に注目するからダイジョーブ」だなんて、また少しだけ失礼な発言をしながら楽しそうに笑った。

天童さん曰く、「サンジェルマンにチョー美味しいランチ食べれる店あるよ」との事で、お昼は天童さん御用達のパスタを食べた。お店を出て近くのサン・ジェルマン・デ・プレ教会にも寄って、その内装の素晴らしさに二人して大きく口を開けながら天井を見上げた。それからは地下鉄でモンマルトルに移動して、その天辺にそびえ建つサクレクール寺院にも行った。


「パリの街!綺麗!」


爽やかな風がこの丘を駆け上って私たちの頬を撫でる。足元の緑が揺れ、サワサワと静かな波のように気持ちの良い音を立てた。

モンマルトルの丘の頂点であるここからは、パリの街並みを一望できる。眼下に広がるのは幼い頃からテレビや雑誌で目にし続けて、いつの日か絶対にこの土地で暮らしてみたいと憧れ続けた街。

夢に見たこの場所で、私は今暮らしている。

隣で同じように街を見下ろしていた天童さんが、これが現実であることを自覚させるようにそっと私の右手を握った。大きく節くれだった細長い指が私のそれを絡めとる。ピンクがかった午後の柔らかな陽射しが私たちを包み込んだ。


「次行こ」


少しだけ、恥ずかしさもある。だけどこの場所に私の知り合いはいない。誰に見られる心配もない。不安なんて感じなかった。ただ、踊るように心が舞い上がっているのを感じた。

赤、青、緑。色とりどりの看板が並ぶ色彩豊かなこの道の彩度がさらに上がる。階段と坂道の多いこの土地は、迷路のような細い路地がたくさんあって、曲がるたびにまだ見ぬものを探して冒険をしているみたいなワクワクとした気持ちにさせた。

異国の雰囲気に流されているのか、天童さんに流されているのか、はたまた自分が乗り気なのかは分からない。繋がれた右手に力を入れた。同じようにやんわりと握り返されて、心の奥までキュッと掴まれたような気持ちになる。

手を繋いでいることを口実に天童さんとの距離をグッと縮めた。少しでもバランスを崩したら肩が触れてしまいそうな絶妙なその距離感がもどかしい。そっと顔を上げると、ニッコリと笑った天童さんがこちらを見ていた。心臓がバクバクと激しい音を立てる。さすがに少し恥ずかしくなって、街並みを見渡すフリをしながら天童さんから目を逸らした。


「ホントはこの辺りにももっともっと紹介したい店がたくさんあるんだけどー」


辿り着いたのは、この土地を舞台にした大人気映画のロケ地にもなった有名なカフェ。「晶子ちゃん前にこの映画見た事あるって言ってたから」と笑った天童さんは、右手を繋いだまま店の奥へと進んだ。


「これ……!ずっと食べてみたかったんです……!」

「映画みたいに勢いよくガンガン割って食べてもいーよ」

「やりたい……けどちょっと恥ずかしいです」

「えー、せっかくだしやればいいじゃん。俺しか見てないからダイジョーブだよ」


そう言われ、映画のようにクリームブリュレのカラメル部分をスプーンで叩き割って食べる。トロリとした濃厚な甘さがたまらない。「幸せだ〜」と心からの声を漏らすと、「ホントに毎回美味しそうに食べるよねー」と前の席に座る天童さんが笑った。


「今日は晶子ちゃんのための超王道旅だから、今度はもっとマニアックなツアーしようネ」

「知る人ぞ知るってやつですか」

「そうそう。食べ過ぎて太った〜って怒らないでよ?」


さり気なく取り付けられた次の約束。また一緒に休日を過ごせるんだと思ったら、何故だか心がぽかぽかした。


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