あの日から数週間がたっても、わたしは現場から離れられなかった。だって悪いのはわたしなんだ。本来ならばただのファンで終わっているはずの立場なのに、繋がってしまったのが悪いんだ。いくら好きでもそこの一線を超えてしまったら終わりだった。そこを超えることを受け入れたのはわたしなのだ。

今日もりんくんはキラキラした衣装で身を包んで、みんなを魅了する笑顔を振りまく。わたしがだいすきなアイドルのりんくん。ステージ外での彼を求めてしまったわたしがいけない。

色とりどりのライトの波を後ろから見る。この光景を見るのはとても久しぶりかもしれない。いつも定位置とでも言うように最前列にいた。だけど今はさすがにそこに行く勇気はなかった。ステージから一番近い場所で見ていたのに、今は一番遠い場所から輝く彼を見る。ファンサも目線も何もない。こちらの合図も受け取ってはくれない。もう前みたいには戻れない。

たまに来るりんくんからの連絡は数回に一回だけ返事をした。呼び出しには応じなかった。「現場来るのやめちゃったの?」なんてライブ終わりに来たメールを見て、ちゃんと居るのに、わたしのことやっぱり見えてないんだなぁと悲しくなったりもした。こんな現場通いを何度も繰り返した。いくら冷めてしまっても踏ん切りがつかない。友人達にも「最近ガッツがない」なんて言わてしまった。

そして、問題のその日は突然やってきたのだ。

ブルブルと震えるスマホが物凄い数字の通知を受け取って止まらなくなっている。その日は出勤もなくて一日中家にいた。どうしたものかとスマホを開けば、友人達から「あんたあのアカウント見た?」「てかこのアイコンあんたじゃないの」とポンポンとSNSのアカウントと、LINE画面のスクショが送られてくる。


「なにこれ」


背筋が凍った。心臓がバクバクして手が震える。全身の体温がスっと冷えていって、頭も体も動かない。『りんくん炎上お疲れさま〜』というふざけた名前のアカウントが、LINEのスクショや今までの彼のやってきたことを次々とツイートしている。彼女との匂わせの検証ツイートと題した投稿が複数。洋服だとか家具だとか、いろんな写真が説明と共に載せられている。彼女の顔はモザイクで消されていたけれど、それでもわかる。間違いなくあの日わたしが見たりんくんと歩いていた女の人だった。

やっぱり本命の彼女だったんだ。わかっていたことだけれど、他の人にも周知されてしうのはまた訳が違う。どうしよう、りんくんどうなるんだろうと思っていたら、その検証ツイートの前に『おたくと繋がっちゃだめだよ』という題でツイートがたくさんされているのを発見した。色んな女の子とのLINE画面がスクショで載せられている。みんなアイコンはうっすら隠されているけれど、わかりやすい写真をアイコンにしている人は現場に通っている人間ならこの子だとわかってしまうようなものだった。

その中にはもちろんわたしのLINE画面もあった。これは間違いなくわたしだ。送った文章も送られた文章も記憶がある。舞い上がってスクショまでして大切に取っておいたりんくんからのメッセージ。それと似たような文章がほかの女の子たちにも沢山送られていた。これもわかっていたはずなのに。なんだか吐き気がした。

『あんた私達に黙ってりんくんと繋がってたんだね』『信じられない』『私達の会話聞きながら笑ってたんでしょ』。友達たちからのメッセージには、晒されたわたしを心配する一言は当たり前だけれど無くて、裏切り者としてわたしを非難する言葉ばかりだった。どう返事をしようか迷っているうちに『もうブロックするから』と一言だけ来たのを合図にそれから何もメッセージは届かなくなった。「ごめんね」とこちらから送ったメッセージには、もう既読も何もつかない。

未だ新規投稿が続く問題のアカウントをブロックした。アイコンから特定されてわたしのアカウントを見つけ出した他のオタクたちが監視するようにフォローをしてくるから、鍵をかけて今までいた全部のフォロワーをブロックして切った。

りんくんにLINEをした。「りんくん、大丈夫?」「この連絡見れてるかな」いろんな言葉を送ったけどそれが読まれる気配はなかった。

寝れない頭でベッドに潜り込んだ。スマホを握りしめながら。するとピコンと新着メッセージを告げる通知が冷たくて静かな部屋の中に鳴り響いた。勢いよく飛び起きてスマホを起動させる。でもロック画面に浮かんだ名前は、わたしが今求めていたりんくんじゃなかった。

『見たよ』

見たって何を、どこまで。見てどうしたんだろう、何を感じたんだろう。私を心配してる?楽しんでる?滑稽だと思ってる?ネガティブな思考回路は止まることなくわたしを蝕んだ。トーク画面も開かないままにロック画面に浮かぶ短いそのメッセージを横にスライドした。消去ボタンが表示されて、それを力強くタップする。

また布団に潜り込んだ。それでもやっぱり眠りには付けなかった。気になってSNSを開いて、ワードを入れて検索をかける。たくさん投稿されているファンの女の子たちの怒りの文章を片っ端から読んだ。その中には友人達の投稿もあった。

気がついたら窓の外が明るくて、朝日に照らされた白いカーテンがキラキラと光っていた。ステージに立つりんくんの王子様みたいな真っ白な衣装も、こんな風にライトとペンライトに照らされて光り輝いていたっけ。眩しさに目を細めて、何も思い出したくなくてカーテンを開いた。直接浴びる日光は光が強すぎて、ぎゅっと強く目をつぶった。

体調が悪いので休みますと朝のうちにお店に連絡をした。こんな気持ちで働けるはずがなかった。落ち着こうといつも通りコーヒーを入れて、朝ごはんを食べた。ほとんど喉に通らなくて捨てることになったけど、それでも普段通りを演じるためにいつもと同じことをし続けた。

ブルッとスマホが震えてポンッと音が鳴る。その音声にハッとして急いで確認すれば、りんくんの名前が通知に浮かび上がっていた。りんくんがSNSを更新したらすぐにわかるように入れていた通知の音だった。ロック画面に表示された内容は、『今後に関するお知らせ』というシンプルな一文とURL。いつもキラキラの絵文字を使いながら『おはよう!』『みんな今何してる?教えて欲しいなぁ』と可愛くツイートされる彼のものとは大きく違っていた。

震える指先でURLをタップして、出てきたページの文章を目で追った。体は言うことを聞かないくせに、頭はなぜだか冷静だった。載せられている全文を読んだ。隅から隅まで。謝罪と、今後に関すること。"今後"なんて書かれ方をしているけれど、これからなんてものはなかった。りんくんは引退するらしい。所詮そんなものだ。この手のアイドルは替えが沢山いて、不祥事が表に出たメンバーは次々といなくなっていく。表で大きく活躍しているような存在でもない限り、弱い事務所はその人を守ろうとはしてくれない。

馬鹿だな。自然と口から出た。冷たい空気に溶けたそれは、りんくんに向けての言葉なのか、自分に対しての言葉なのかわからなかった。

ピコンとまた新着のメッセージを告げる通知が鳴る。脱力した体でのそのそと確認した。短い文だった。やっぱり本心はわからない。それはわたしを心配しているのか、笑っているのか、荒んでいる今の心ではどっちにも取れてしまう。


『大変だね』


画面に浮かび上がるその文字を消し去った。頭の中の倫くんは、いつも通り薄く笑っていた。



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