07
いよいよ明日から合宿だ!というのに、なかなか寝れない夜を過ごしている。寝なきゃ寝なきゃと思うほどに目が冴えていくような気がするからどうしようもない。これも全部治くんのせいだと責任転嫁を試みる。まぁ実際、私の頭をこんなにも悩ませている原因は十中八九、治くんなのだけども。
目を瞑ると思い出される。3日前、頬を触られた感触。手の温度、大きさ。全てが鮮明な感覚で蘇ってきて耐えきれずに目を開けてしまう。一昨日も昨日も、治くんと顔を合わせるたびにそれを思い出してしまってなかなかうまく話せなかった。
挙動不審な私を目の前にした治くんは、体調悪いん?と心配そうな顔をして同じ目線まで膝を曲げ、その大きな掌で私のおでこに触れて体温を確認した。心配してくれているその優しささえも今の私にとってはマイナス効果で、ただでさえ忘れられないその手の感触を額にまで刻んでしまうという大変な事態に陥った。
「色出さんも大変だね」
「角名くんはそればっかり」
こちらの混乱を楽しそうに見ながら、角名君は毎回同じような言葉をかけてくる。私が悩めば悩むほど彼は私のことを面白がるようにして、そのニヤける顔を隠そうとはしない。
結局明日は移動で朝の早い時間に集合となるのに、なかなか寝付けず苦しい夜を過ごした。
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「おはよ〜」
「おはようございます!」
睡眠時間が若干足りていない重い体を引きずって集合場所へと行く。何人かはもうすでに集まっているらしくバス内にいるようだ。出発時間まではまだ少し時間があるので、近くの自動販売機で頭をスッキリさせるためにストレートの紅茶を買う。
バスに乗り込むと車内はもうすでにワイワイと騒がしく、先に乗り込んでいたすえ先輩が後ろから2番目の窓側の席からひょっこり顔を出して手を振った。
「しのぶ!遅いで!」
「おはようさん」
通路を挟んだ反対側の席の窓側に侑くん、通路側に治くんが座っていた。
「お、おはよう!2人とも早いね?」
「しのぶが遅いんとちゃうの」
「コイツ、バレー関わる時だけクソ早いから気にせんでええで」
「全員揃ったな、ほんなら出発するで」
軽く話していると予定時刻となったのかバスが出発する。県内の施設を借りて行われるのでそこまで時間はかからないが、バスに揺られていると睡眠時間が不足しているのもあってすぐにウトウトしてしまった。ハッと目が覚めたときにはもう施設に到着していたようで、隣に座っていたすえ先輩が大きく伸びをした後「いこっか!」と元気に声をかけてきた。
いよいよ、3泊4日の合宿が始まる。
「大丈夫?バテてない?」
「ばっちりです!」
いそいそ大量のドリンクを作っているとすえ先輩が現れた。私はスコアをつけたりは出来ないので、基本的にドリンクや氷を作ったり、タオルや練習着の洗濯をしたりと体育館以外の場所を動き回ることが多い。
合宿と聞くとよくあるようにご飯はマネージャーが作ったりするのだろうかとヒヤヒヤしたけど、ここは施設の人が作ってくれるらしくて安心した。
バスに揺られて疲れた体を休ませることもなく部屋に荷物を置いてすぐ練習は始まった。さすが合宿ということなのだろうか。普段から相当キツい練習メニューだと思っていたけれど、それとは比べ物にならないようなメニューが組まれていて、選手の運動量は半端じゃない。それに比例するようにしてマネージャー業も増えるので、運動はしていないけれどこちらも大量の汗をかき疲労度がすごい。
「それ終わったら今日の練習はひとまず終わりだから!お疲れ様〜」
1日目の練習を無事に終え、みんなのいる体育館へ向かう。体育館へ着いたときにはもう各自解散していて、残って念入りにストレッチをする人、バテてその場で寝転がる人、談笑をしている人、それぞれに分かれていた。
「角名!トス練足りんから飛べ!」
「やだ」
「サム!」
「あかん」
「銀!」
「もう練習終わったで」
「じゃあ…アランくん!」
「侑、初日はオーバーワークにならんように自主練禁止や言うたの伝わらへんかったんか?」
「北さん……!?す、すんません…見逃してください」
北さんに土下座をする侑くんはまだまだ元気いっぱいという感じでとても面白い。ほかの2年生組の3人はそれぞれストレッチを行っていて、体育館の端に集まっている。
「色出さん、お疲れ」
「おつかれ〜!みんなすごい運動量だね。初日なのに倒れないか心配になっちゃったよ」
「本当にやばいのは3日目とかだよね多分」
「せやなぁ、考えたくないな」
角名くんと銀島くんは話しながら念入りに体を伸ばしている。
「もうだめや、腹へって死ぬ」
「治くんはそればっかだね」
「ずっと腹減った腹減った思っとったけど、色出さんの顔見たら限界きた」
「何それ、私のせい?」
「色出さん、腹減る顔しとんねん」
…それってどんな顔?という疑問を浮かべた表情で角名くんと銀島くんの方を向くと、同じように呆れたような表情を浮かべる2人と目が合う。腹減った、もう何も出来ん。と治くんはそのまま微動だにせず、ほかの3人がストレッチを終え食堂に移動するまで伏せていた。
ご飯も食べて、すえ先輩とお風呂にも入って、ベタついていた汗も全部スッキリしてとても気分良く部屋に向かっていると、向かい側から治くんと角名くんが歩いてくる。
「おつかれ〜」
「お疲れ」
「…色出さん何か食べ物もっとる?」
「よく分かったね?チョコレートあるよ」
お風呂から上がったら食べようと思ってもってきていたチョコーレート。さっき一粒食べたけど、もってることが分かったなんてすごい嗅覚だな。改めて治くんの食への貪欲さに尊敬する。
「あ」
「?」
「あ〜」
「…へ?」
袋の中から一粒チョコレートを取り出して治くんに渡そうとするけど、治くんは手を出さずにそのまま大きな口をあける。まるで雛鳥のように待ち構えている治くんはなんだか幼稚園児のようで少し可愛い。
「…………はい、あーん」
「ん」
治くんの口の中にチョコレートを放り込むと、満足そうに咀嚼を始める。私としてはかなり恥ずかしいと思える行為だったけど、治くんはどうやらなんとも思ってないみたいだ。
「うまい」
「よかった、角名くんもいる?」
「せっかくだから一個もらおうかな。あっ、俺は手渡しでいいんで」
「俺も、俺ももう一個欲しい」
角名くんに一粒チョコレートを手渡して、その流れで治くんにも渡そうとするけれど相変わらず手は出てこずに大口を開けて待ち構えている。本当にこれでいいの?と疑問に思いながらも再度チョコレートを放ると、先ほどと同じように美味しそうにもぐもぐと咀嚼をしだす。
「なんかもうすごいよね。俺には考えらんない」
「とんでもなく恥ずかしいのは私だけなのかな…」
色出さんも大変だね。いつものようにそう言いながらニヤリと笑った角名くんと目が合う。どう考えても私の反応を楽しんで観察しているような角名くんはすこし意地悪だ。治くんは何事もなかったかのように美味かった〜と呑気に呟いている。
照れているのが私だけなのが、なぜかちょっと悔しい。