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ガラッと意を決して開けた扉の向こうには、会いたかった彼の姿があった。


「色出さん」

「治くん」


窓際に佇んでいた治くんは、私に気がつくとゆっくりとこちらに向かって歩いてくる。私も少しずつ治くんの方へと歩みを進めた。教室の真ん中で二人、遠すぎず近すぎず、曖昧な距離を保って立ち止まる。


「待っとってくれてありがとう」

「ううん。もう大丈夫?」

「おん」


真剣な表情をした治くんは、そっと手を伸ばして私の両手を握った。何かを言われるのかと思っていたので、突然のその行動に内心ドキドキとしながらテンパっていると、そんな私を知ってか知らでかそのままスルッとその手を移動させて、ポンっと確かめるように肩に乗せる。


「………治くん?」

「うんうん」

「え?」


と思ったらさらにその手を今度は頭の上へと持ってきて、ポンポンと優しく触れたと思ったらスルスルと指先で髪を梳かれ、もっともっと混乱してしまった。


「え、なに、治くん、どうしたの」

「んー」


ピトッと最後に頬を包まれて、治くんと無理やり視線を合わせられる。「よしよし」と満足そうに言いながら、治くんは私の好きな笑い方をするけれど、生憎私はこの流れに全くついていけていない。

その動揺が表情にも出てしまっていたのか、治くんは「怖い顔しとる」と呑気にほっぺたをムニムニと触る。慌ててその手を自分のそれで掴んで「ちょっと待って!」と耐えきれずに制止の声をあげた。……自分でもびっくりしちゃうくらいに大きい声出た。治くんも目をパチパチと瞬かせながらキョトンとした顔を見せる。


「ごめん、いきなり大きい声出して」

「全然ええけど」

「えっと、治くん、とりあえず離して?」


そっと握りしめた治くんの大きな手のひらを下ろす。そのまま離そうとしたら、治くんがそれを許さずクッと強い力で私の指先を引いた。


「……俺、色出さんに話したいことある」

「私も、治くんに話したいことがあるの」


繋がれた指先にきゅっと力を込めた。ドキドキと高鳴る胸の鼓動が全身に響く。一度ぎゅっと目を瞑って、治くんと視線を合わせるようにゆっくりと目を開いた。

好き。たった一言、たった二文字なのにその言葉がなかなか口から出ていかない。発したらきっと0.5秒もないわずかな時間なはずなのに、その一瞬を音にすることがこれほどまでに難しいなんて。

みんなからたくさん励まされて、たくさんの言葉をもらって、頑張るって、全部伝えるって決めたのに。いざ彼の目の前に立つと、その覚悟を上回るほどの緊張と怖さがそこにはあった。バクバクとはち切れそうな心臓が痛くて、震える唇を開かないと声は出ないのに、それとは逆にきつく噛み締めてしまった。


「あ、の、治くん」


開いた窓からサァと涼しい風の音が流れてきて、遠くの音楽室から聞こえる吹奏楽部の演奏と合わさって空間に響く。ぱたぱたと揺れるカーテンが視界の端に映って、同じように治くんの短い髪の毛がそよそよと風に踊った。


「色出さん、俺から良えか?」


あんな態度とって、さらに一週間も待たせたの俺やし。私とは反対に治くんは落ち着いた声を発した。耳に馴染んだ心地の良いその声が全てをかき消して、先程までの雑音がスッと止む。その瞬間、まるで宇宙空間に投げ出されたみたいな二人きりの世界になった。こくりと頷いた私の反応を見て「ありがとう」と笑った治くんは、そのまま腕を伸ばして私のことを抱き寄せた。

……え?え?!抱き寄せた!?


「う、ええ!なんで、治くん!?」

「やってもう抑えられらんもん!無理なもんは無理!」

「どういうことっ」


ギュウギュウとまとわりつくように力を込められて、肩に顔をぐっと押し付けられる。ふわふわな髪の毛が首元に当たって、くすぐったくて恥ずかしいのにそれどころではない。離れたいのに離れて欲しくない。矛盾した感情がぐるぐると回って頭の中をごちゃまぜにする。


「色出さんのこと好きって思ったらもう止められん〜!」

「ええ、だからって突然そんな…………え?」


ピシッと一直線に体が固まった。そんな私を見て治くんは「どしたん?そんなチューペットみたいになって」なんて言いながら顔を覗き込んでくる。

好き。好き?今好きって言ったよね?幻聴じゃなければ言った。好き…。私と同じってこと?いやでも治くんだから、好きの種類が違ってまた「色出さんは俺の一番の女友達や」って言われてしまう可能性だってあり得なくはない。こんがらがる思考回路でいくら考えても答えは出なくて、不思議そうに私の方を見つめ続ける治くんに目線を合わせ、意を決して口を開いた。


「私は治くんのことが好き」


もっと可愛い言い方もあっただろうに、気合を入れすぎて宣言みたいになってしまった。それでもその言葉を訂正せずに、ポカンと口を開いたままの治くんに「好きです。友達としてじゃなくて、男の人として」と続ければ、わなわなと震えた治くんがずるずると崩れ落ちた。腰に手を回されていた状態だったために私までその場へとしゃがみ込む。


「俺も、好き、色出さんのこと」

「ほんとに?」

「なに、疑っとんの?」

「治くんも、私のこと友達とかじゃなく好き?」

「おん」


キュッと腕に力が込められてさらに体が密着する。ドッドッと激しく鳴る心臓の音が治くんに伝わってしまいそうで心配になった。けれど良く耳を澄ますと、同じくらいに激しく動いている自分のものではない音も一緒に聞こえる。

ゆっくりと顔を上げると、治くんが「あかん、俺いま絶対リンゴみたいになっとる」なんて言いながら本当にほっぺたを真っ赤に染めていた。ははっと思わず声に出して笑うと「色出さんの顔もトマトみたいやで」と言わてしまって、「どうせなら苺とかの方がいいなぁ」なんて返せば、「そんな可愛いもんに例えたらほんまに食べたくなってまうやん……」と少し情けない声が飛んできた。

まだ伝えたいこともたくさんあるし、きっと治くんもそうなんだろう。けれど今は、こうしてまた笑い合えてることがただ嬉しいと、そう思った。




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