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「何っっでもっと早く言わんの!!」

「……ごめん」


バァンと机を両手で叩いて大きな声を出した幸ちゃんは怒った顔をしながらこちらを見ている。この間のことを話したらきっとこうなるだろうとは思っていたけれど、予想以上にお怒りの様子だ。あの事件と言っていいのかわからない呼び出しから3日、嘘だったんじゃないかというくらいにあれからは何も起こってない。


「宮には言った!?」

「こんなこと言えないよ」

「私が言ったる」

「ええ、まだ大丈夫だから様子見させて」


様子見って危機感なさすぎん?!と今にも飛び出していきそうな幸ちゃんを必死で止める。今は放課後、治くんは部活中だ。私と幸ちゃんしかいない教室には幸ちゃんの大きな声が響きわたる。落ち着いてと声をかけるも「落ち着いてられるか!」と声を荒げる幸ちゃんは未だに頭を抱えながら怒りを露わにしていた。


「厄介なやつら野放しにしとく意味がわからん、あいつのファンやろ」

「でも」

「でもじゃない!ええか、次何かあったらすぐ言うこと!呼び出されたらまず私に言って、何かされたらすぐに連絡して!」

「…はい」


勢いに圧倒されて何も言えなかった。心配してくれるのは嬉しいけれど、現に今は何にもないのだ。なるべく大事にはしたくないし、このままで済むのならこのままがいいに決まっている。

と、思っていた私はやっぱり甘かったのかもしれない。


「ええ、どうしよう、出られない」


ガチャガチャとドアを動かすも外側から力をかけられていてどうやっても開かなかった。数分粘ってみるも無理そうで一旦その手を止める。うーん困った。なんて呑気に考えている場合ではないことも分かっているけれどどこか現実味がないというか、こんなにベタな展開ある?変な漫画の読みすぎじゃない?と呆れてしまって悲しい気持ちになりきれないのだ。いや、こんなベタな展開にまんまと引っかかって誰がどう見ても王道だなぁと笑ってしまうような展開に持ち込まれてる私も相当な阿保なんだろうけれど。


「助けて〜、なんて。ここじゃ誰も来ないよね」


トイレの個室に腰掛けながらウーンと顎に手を置いて考える。ここは放課後は人が本当に訪れない微妙な場所にあるトイレの一番奥の個室。何でこんなところにいるのかと言えば、帰ろうと思って歩いていたら「友達があそこのトイレ行ったっきり帰ってこないから心配で、でも私これから用事あるし、体調崩してたりしたら大変だから代わりに見てきてくれないかな」という今思うと何ともまぁツッコミどころが多い声をかけられたからだった。

今となれば体調を崩してるかもしれない友達よりも大事な用事って何だとか、そんなに体調悪いかもしれないのにわざわざ何でこんな場所のトイレまで行ったんだとか他にもいろんなことを考えるけれど、その時は私もただ慌てて「それは大変だ!」としか思えなくてその言葉のままにここへと向かってしまったのである。

トイレの中の手洗い場の荷物置きにカバンを下ろして、唯一ひとつだけ扉の閉まっていた一番奥の個室の扉を叩いた。返事がないことに焦りながら、幸い鍵がかかっていないようだったので「ごめんね、開けるよ」と声をかけて扉を開いた。その瞬間にどこかに隠れていたのか後ろからドンと押されてその中に押し込められた私は、その突然の衝動に戸惑っているうちに外側から力をかけられてまんまと今の状態へと陥ってしまったのである。

我ながらだいぶダサい。なんかもっと無理矢理感があれば悲劇のヒロインみたいに出来たのかもしれない。けれどよく考えなかった私にも非がありすぎるし、相手の作戦通りにそれは見事にまんまと引っかかってしまっただろうこの展開だとそうはなれないのがちょっと悔しい。今は9月で、暑くて脱水の危機にもならなければ寒さで凍えて震えることもない。ベタな展開に持ち込むのならば最後に水とかかけられてザマーミロ!って言われるのかなと思ったけれどそれもなかった。

サイレントなあっさりとした犯行がプロみたいだな。なんて呑気に考えながら、さてどうしようかと思考は振り出しへと戻った。


―――――――――――――――


「ねぇ、これ渡してって言われたんだけど」


心底面倒くさくて不快ですといったような顔をしながらだるそうに部室へと入ってきた角名は「まったく、俺は双子への中継役じゃねぇんだけど」と丁寧に折りたたまれたメモを差し出してきた。


「なんこれ、俺宛?」

「宮くんに渡してって言われたから、どっち宛かは知らない」

「何やねんそれ。普通そうやって受け取ったならどっち宛てなんか聞くやろ」

「面倒だし」

「やりとりたった一言やん。驚きの省エネやな」


運動して腹が減った。事前に買っておいたパンを一口かじりながらもそもそと着替える。もうすぐ着替え終わるというのに他の人らはまだ部室に戻ってこなくて不思議に思っていると「なんかみんな外で猫と戯れてるよ」と俺の気持ちを察したかのように角名が言った。猫。みんな猫好きやな。前に大阪のあの男も猫がどうのとかって言うとったやん。そんなことを思い出しながら早々に支度を終えてしまい、そういえばと先程受け取ったメモを少し乱暴に開く。


「宛先当たってた?」

「お前も人のこと言えんくらい随分呑気やな。これで俺じゃなかったら笑えんで………………っておい」

「ん?」

「……角名、俺ちょお行って来る」

「なに、告白?ってそんなに急に慌ててどうしたのさ」


後半の角名の言葉は俺には届かんかった。簡潔に書かれたメモの内容が頭の中をぐるぐる回る。部活でヘトヘトになっているはずの体なのに疲れを全く感じないほどにただ焦っとった。早く動け足。もっと早く。早く。そう思いながら陽が落ちて暗くなった廊下を走ってドタバタと階段を駆け上がる。

今の時間はほとんど誰も使わない校舎の隅にあるトイレ。メモには「宮くんのファンが暴走して色出さんがここに閉じ込められてる」との文章と共にここのトイレの場所が示されとった。暑いと唸る季節は過ぎたが動けばまだこの時間でも十分に汗が滲む。ワイシャツが肌にぺたりと気持ち悪く張り付くのを感じながら、目的地である女子トイレのドアを壊れてしまうのではないかという程に大きな音を立てて勢いよく開いた。


「無事か!?」


走って汗をかくほど暑くなっているはずの体が冷たく感じた。背筋が寒くなるというのはこういうことを言うのだなと、どこか他人事のように思った。




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