18
合宿は何事もなく終わった。あの後は治くんも通常通り。合宿を経て少し過激になったスキンシップも相変わらず。梅田くんともあの後は本当に何も無かった。連絡先を交換して、何か進展あったら報告してなーと手を振って別れた。
合宿が終わって数日すればもう新学期。この数日は終わっていない最後の課題と、夏休み最後だからと幸ちゃんと遊びに行って終わった。
久しぶりに制服に袖を通して学校へと向かう。まだ9月は夏と変わらず暑くて、学校に行くだけでかなりの汗をかいてしまう。
朝練のために今日も朝早くから来ていたであろう隣の席の角名くんが「おはよ」と声をかけてきた。治くんは机に突っ伏してつかの間の睡眠を取っているようだ。
「おはよう」
「合宿の疲れは取れた?」
「うん」
とりとめのない会話をしていると先生が入ってきて授業が開始する。久しぶりに聞く古文の先生の声は、ゆっくりと落ち着いていて眠くなってしまう。夏の暑さにやられながら、気を抜くとウトウトとしてしまう夏休み気分の抜けきらない体を何とか起こして一日を過ごした。
「色出さん」
「治くん。今から部活?」
「おん。なんか持ってへん?」
「お菓子?あるよ〜」
治くんのために持ってきたお菓子の袋を開ける。部活仲間からまたクラスメイトへと戻った私にお菓子を求めにくるのか迷ったけど、買っておいてよかった。
私の前の席の椅子に跨るようにして後ろ向きに腰かけた治くんは、いつも通りの様子でまだかまだかとジッと私の手元を覗いていた。
「ん」
「はい」
「…んまい」
モグモグと咀嚼をする治くんは、やっぱりいつもと変わらず幸せそうだ。「もっと」と言って口を大きく開けて待ち構えるその姿ももう見慣れてしまって、笑いながら次を口へと放ると「美味い」と蕩けそうな顔でへにゃりと笑った。
「部活頑張ってね」
「色出さんは見にこないん?」
「えー、今日はちょっとなぁ」
「なら明日来て」
「明日なら行けるよ」
約束やからな。そう言って出ていく治くんに手を振る。全てのやりとりを見ていた幸ちゃんが、いつも通り彼と入れ違いにやってきた。
「何なん?」
「なにが?」
「とぼけんなや、あのあーんみたいなやりとり何だったん?」
「えっ…」
そうだった。合宿中毎日のように要求されていたのもあって、私も治くんも変に慣れてしまった。
そりゃあ今でもドキドキはするけど、ドキドキしながらもそれをする事に最早抵抗がなくなってしまったというか。あれをしないと私よりももっと頑固な治くんは、食べてくれないというのもある。
「幸ちゃんは明日の放課後空いてる?もし良かったら一緒にバレー部の見学行かない?」
「あのギャラリーに混じるんはなぁ…」
「だよね…私もあのギャラリーの中に一人で行くのちょっと怖くてさ」
「その気持ちはわかるわ。………しゃーない、行ったる」
「ありがとう〜!」
明日は久しぶりにおにぎりでも握ろうか。
――――――――――――――――
「うっわ、さすが、えらい人やな」
「なんかいつもよりも人が多い?」
「新学期始まったばっかやからかなぁ」
約束通り翌日の放課後はバレー部の見学のために体育館へと足を運ぶ。ギャラリーにはいつもの倍の人がいてなかなか賑やかだ。夏休み中はさすがにギャラリーもいなかったので、なんだか変な感じがする。
「お、しのぶやん」
目敏く私たちに気がついたのは侑くんだった。たくさんの人がひしめき合う中で、こんなにも素早く見つけられるのには感心する。フリフリと手を振られるのでそれに応えるようにして振り返すと、周りから凄い勢いで視線が飛んできた。
びっくりして辺りを見渡すが、誰も目を合わすことなく気まずそうに視線を逸らしてしまう。隣にいた幸ちゃんが何かを感じ取ったのか、あっちに行こうと比較的人が少ないような隅へと案内してくれるのにただついて行った。
「あんた宮たちと仲良えから、あぁいう目で見られるの可哀想やな」
「やっぱりさっきのってそういうことだったのかなぁ」
「あんなガキみたいな精神な奴らのどこがええねんって思うけど、顔は良えから」
私にはさっぱり良さわからんけど。そう言って柵に寄りかかりながらフロアを見下ろす幸ちゃんは、ハァとため息を付いたあとに一言口を開いた。
「ええか、何かあったら、すぐ私に言うんやで」
「うん」
臨時マネージャーをさせてもらった時と変わらない練習風景を、どこか懐かしく感じながら見学をする。一時ではあるけど本当にあの輪の中にいたんだなぁと思うとなんだかむず痒い。
いつもはマイペースに物事を進めている治くんは、コートの中に入ると途端にテキパキとしていて、普段大口を開けながら待っているその姿と全然違って思わず笑みが零れた。
「宮治ってバレーしとる時あんなん何やなぁ」
「かっこいいよね」
「……なぁ、さっきから思っとったけど宮治への気持ち自覚したん?」
「………うん」
「はぁ〜………ホンマにアイツのこと好きやねんな。私にはようわからんけど。ええんちゃう、応援したるわ」
「うん。幸ちゃん、ありがとう」
休憩の度に誰かしらが手を振ってくれる。それに嬉しくなってきちんと手を振り返しながら、幸ちゃんの「ほんまなんで宮なん…」という呟きにくすくす笑った。
――――――――――――――――――
練習も終わり、ギャラリーにいる子達もぞろぞろと体育館を後にしだす。私達もそろそろ行こうかというタイミングで、手に持っていたスマホが震えた。
『部室前で待っとって』
送られてきた簡素な文章は治くんからで思わずにやける。幸ちゃんにメッセージを見せながら先帰っててもいいよと伝えると、また明日なと笑いながらそそくさと帰っていった。
まだまだ暑いけれど夏に比べればだいぶ日は短くなった。木陰に腰掛けながらワイワイと騒がしいバレー部を待っていると、ギャラリーで見かけた集団がその前を通る。
そういえば先程あまり良くない視線を向けられたのもあの集団だったかもしれないと記憶をたどっていると、後ろの方から「しのぶー!」と私を呼ぶ声が聞こえた。
「侑くん、お疲れ様。いつも早いね」
「みんなが遅いねん」
「今日もバレーかっこよかったよ」
「せやろ?俺が1番かっこええねん。サムより俺にしとき」
「え〜…………って待って、なんで侑くんが知ってるの」
「バレバレやん、見とったらわかるわ」
こんなイケメン差し置いて食べモンばっかのサム選ぶんやからもっとしっかりせえと肩を叩かれる。侑くんは意地悪だけどここぞと言う時は優しい。良い友達を持ったと思う。
「色出さんのこと困らせんな」
「遅いのが悪いやん、早よ出て来いや」
治くんに続いて部員がぞろぞろとやってくる。その中にはすえ先輩もいて、久しぶりー!と手を振ってくれたのに嬉しくなって駆け寄る。
「すえ先輩!夏休みぶりです!」
「そんなに日数は経ってないけど、なんや久しぶりやなぁ」
その場でわいわいと盛り上がっていると、不意に頭上に影がかかる。ずっしりと頭の上に重みを感じ、後ろから回された腕に抱き抱えられればあっという間にすえ先輩から距離が離れてしまった。
「俺が呼んだんやから、独り占めすんなや」
拗ねたような声で「な?色出さん?」と首を傾げられれば、うんと言わざるを得ない。呆れたような顔をしている周りの反応も気づかないくらいに真っ赤になった私は、久しぶりにこんなにも近い距離にいる治くんに胸が高鳴りっぱなしで、今にも倒れてしまいそうだった。
「帰ろ」
腹減った。何か持っとる?と私から離れていつも通りの態度を崩さず歩き始める治くん。今日は見学に行くことがわかってたからおにぎりを握ってきている。そのことを伝えると、ほんま!?ととびきり嬉しそうな笑顔で喜んでくれた。
「色出さん、明日も持ってきて」
「じゃあ部活前に渡すね」
「おん!幸せやんなぁ」
本当に幸せそうにおにぎりを頬張る治くんを見ていると自然と笑えてくる。今日からまた以前と同じような学校生活が始まると、その時は思っていた。