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「しのぶちゃーん!」

「梅田くん、どうかした?」

練習終わりに一人フラフラと歩いていると大きな声で梅田くんに呼ばれる。何かあったのかなと呑気に歩みを進めると、こちらへと駆けてきた梅田くんに腕を捕まれその流れのままに一緒に走らされる。

一体どうしたのかと名前を呼ぶと、ええから!とそれ以上は何も伝えられることはなく、結局「ここや!」と腕を離してもらえるまでついていくしかなかった。


「暑っつい、なに、どしたの」


ただでさえ運動慣れしていない私は、いくら日の落ちた時間だと言っても夏場にこんなに走れるような体力なんてない。ゼェハァとみっともなく上がる息を必死に整えながら梅田くんを見上げると、「じゃーん!」という元気な声とともにニャーという可愛い鳴き声が響いた。


「猫!」

「近所なんかなー、めっちゃ人懐っこいねん。持ち上げても全然暴れんし」


ほら!と言いながら軽々と猫を持ち上げるとそのままずいっとこちらに差し出してくる。みょーんと体の伸びた猫はとても可愛くて、首輪についた鈴がシャランと音を立てた。

手入れのされているふわふわの毛並みを撫でると、ミャーミャーと可愛い鳴き声を出しながら自ら手に擦り寄ってくる。その仕草がとっても可愛くて、笑いながらひたすら撫でていると、しゃがみこんで猫を地面に置いた梅田くんも一緒になって撫で始めた。


「可愛ええなぁ」

「私も猫飼いたいな」


足元に擦り寄って頬ずりをしてくる猫はとても可愛い。のんびりしていて人懐っこくて、すりすりと寄ってくる様がなんだか治くんみたいだなぁと考えたところでハッと顔を上げた。

いけない、何かにつけては治くんのことを考えている気がする。


「………しのぶちゃんは、あいつのこと好きなん?」

「あいつ?」

「宮治」

「………えっ!?」


急に振られた話題にびっくりして声を上げると、驚いてしまったのか猫はニャアと声を上げてどこかへ行ってしまった。


「い、いきなり何を」

「好きなんやろ?」

「えーっと、あの……………はい」


力なく肯定すると、やっぱなーと笑いながら猫が駆けて行った方を見つめる梅田くんは、しゃがんだまま長い手を伸ばしてポンポンと私の頭に乗せた。と思ったら、わっと勢いよく先程の猫にしたのと同じように勢いよく撫で回した。


「うわ、え、何?!」

「いーや!別に!」


ワハハと笑いながらぐしゃぐしゃと撫でられれば、練習終わりでゴムを取っていた髪の毛は案の定ボサボサになっている。


「恋する乙女って顔しとんな!」

「ほんとに?そんなにわかりやすいかな」

「いや?よぉ〜く見とらんとわからん。多分他校で気づいとんの俺くらいやろ」


手ぐしで髪の毛を整えていると、ここもハネとるよとサッサと整えてくれた。大人しくされるがままになっているとそのまま頭を撫でられる。

整えられているのではなく撫でられているというのを自覚して顔を上げた時にはもう既に梅田くんの手は後頭部に固定されていて、ゆっくりと梅田くんが近づいてきていた。


「うおっ、」


ほぼ反射的にドンッと体を押して距離をとる。梅田くんはパッと手を離して両手を顔の高さまであげると、降参のポーズをとるようにして笑った。


「何や偉いすばしっこいやん」

「…っびっくりした」

「すまんすまん、驚かすつもりも怖がらせるつもりもないねん。ちょっとした揶揄い」

「揶揄いにしては悪質だよ…!」


わははと笑った梅田くんは、そのままもう一度その場にしゃがみこむ。こちらを見上げながらそんな怒らんといてと困ったように口を開いた。


「正直合宿期間だけやなくて同じ学校とかやったら好きになっとったかも」

「え…!?」

「でも今はまだ好きやないで?あっもちろん友達としては好きや!えーっと、恋愛的な意味でな?」

「えっと」

「俺は負け戦とか嫌いやし、しのぶちゃんの事はええなぁとは思ったけど、好きな子居るなぁってすぐわかったし、それにあいつ、宮治も満更でもなさそうやん?」

「…………」

「やからホンマに友達として仲良くしたい!今のはちょっと試してみただけ!宮治にあんなにベタベタされとんのに何も抵抗してへんから、俺がしたらどうなんやろーって。もちろん抵抗されなかったとしても途中で止めるつもりやったし!でも嫌な思いさせてごめんな?」

「え、う、うん」


色んなことを一気に言われて頭がパンクしそう。こういう時にどういう反応をすればいいのか、何を言い返せばいいのかわからなくて困っていると、そんな私を見て再度わははと笑った梅田くんはグッと立ち上がって歩き始める。


「飯いこ」

「う、うん」

「んな怖がらんで!怖がらせたの俺やけど!」


すまんかったってホンマに〜と両手を合わせながら謝ってくる梅田くんに、怒ってる訳では無いということをしどろもどろに伝えると、良かったと満面の笑みで返される。

びっくりした。私もびっくりしたし、ちょっとだけ怖かった。思い出すのは一昨日の夜のこと。深夜の食堂で危機感がないと治くんに怒られたあの日、抵抗しないのかと言われながら抱きしめられたけれど、驚きはしても嫌だとは思わなかった。怖いなんて考えもしなかった。

2人揃って食堂へ入ると、私達の姿を見つけた侑くんがどこ行ってたんや!と声をかけてくる。それに「ちょっとな〜」と返した梅田くんはそのまま侑くんの隣に座る。

私も流れでそこに座ると、隣にいた銀島くんにどこ覗いてもおらんからみんな心配してたでと言われてしまった。


「ヒミツの話!」

「告ったりしたんか」

「違うって〜猫追いかけとった」

「猫?」

「モッフモフでめちゃ可愛かってん」

「興味ないわ」


梅田くんと侑くん2人の会話を聞きながら食事を進める。食べ終わったらしい角名くんと治くんと銀島くんはそのまま席を立ってしまった。


「宮侑はいかんのか」

「俺らのマネージャーとお前2人きりにしとけんやろ」

「警戒心つよいなぁ〜」


しのぶもホイホイ付いてくなや、男はみんな狼なんやで!と侑くんに言われても、え〜そんなことないよと曖昧に返すことしか出来ない。


「…お前しのぶになんかした?」

「してへん」

「ほんまか?」

「あ〜………してへん」

「怪しいな何やねん今の間は」


シッシと手で梅田くんを払う侑くんは信用ならんわと呆れた顔をした。急いで食べ終わって立ち上がるとそれに侑くんも続く。梅田くんがまたな〜と手を振るのに振り返していると早くせいと侑くんにその手を払われた。


「お前のせいで俺の片割れがご機嫌ナナメや」

「私?」

「その一番被害受けるのは俺や、早くどうにかせえ」


それだけいうとスタスタと歩いていってしまって1人その場に取り残される。ポカンとその場に立ち尽くしていると、曲がり角から入れ替わる様に現れたのは治くんだった。


「……………」

「お、治くん」

「……………」

「…うわっ」


ガシッと手首を掴まれてそのまま連行されるように歩く。ズンズンと歩んでいく治くんは何も言わずにただ前を見ていて、なんだか今日は連れ回されてばかりだとため息をつきながらその背中についていくしかなかった。

人通りのない場所に着くと、くるりと振り返った治くんはその流れのまま両手を私の背に回してギュッとくっついてくる。

背中を目一杯丸め、大きな体を小さくさせた治くんは何も言わないまま。


「俺と色出さんは友達やし」


ゆっくりと開かれた口から出てくる声は蚊の泣くようにか細くて、思わず自分の両腕を彼の背中に回してポンポンと子供をあやすようにリズムを取った。


「他のやつと仲良くするなとか、そんなん思うの変やんか」


ギュッと力を込められて、擦り寄るようにして頭をこちらの肩に撫で付ける仕草は、まるで先ほどの猫みたいだ。


「あのね、治くん」

「……」

「さっき梅田くんに抱きしめられそうになったんだけど」

「は?」


か細くて弱々しかった先程までの声とは一変して、低い声を出す治くんの体はぴしりと固まる。


「さ、最後まで聞いて」

「……なん」

「えと、梅田くんは私を揶揄おうとしてただけで、本気じゃないの、それに抱きしめられてはないよ、されそうになっただけで」

「抱きしめられてたら殴りいくところやったわ」

「やめて!!…違くて、あの、治くんにこうされるのは気にならないのに、違う人に近づかれると怖くて、突き飛ばしちゃった」


ぱちぱちと目を瞬かせながら無言でこちらを見つめる治くんは、遅れてビックリしたような顔をしたあとに笑った。


「なんそれ、なんでか分からんけど、めっちゃ嬉しい」


その笑顔はまるで大好きな料理を目の前に出された時のような笑顔で、顔の表情筋全部使って笑っているみたいな満面の笑み。


「俺には心開いてくれとるってこと?」

「う、うん」

「嬉しい、めっちゃ嬉しい」

「そんなに?」

「おん、やって俺色出さんのこと大好きやし」

「えぇ!?」

「色出さんは俺の一番の女友達や、めっちゃ嬉しい」

「友達………」

「ん。それ聞けてよかった。変な態度とってすまん」


帰ろ。そう言って私の体を離した治くんは、行きとは真逆に嬉しそうに歩いていく。花が咲いたような明るいその背中を、心に引っかかる何かを感じながら複雑な表情で追いかけた。色んなことが一気に起きすぎて今は頭がついて行かない。

わけもわからないまま、私は治くんのことが好きだよ。と、心の中で唱え続けた。




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