ホンマか!倫太郎!


あの日から少し時間が経った。この時期は夏の大会前の調整で毎週のように練習試合が組まれとる。本当は全部参加したいところやけど、仕事の繁忙期と重なって数週間ぶりの観戦となった。

倫太郎の不調は思ったよりも安定していて回復してきとる。それでもまだまだ完全復活とはいかんようで、絶不調の時よりは大分マシになってはいる程度や。今回のは引きずるやろなぁとは思っとったが、まさかここまでとは思っとらんかったからこちらの心配もどんどん大きくなっていく。

倫太郎は器用そうやし一人で何でも出来そうやなぁと思っていたし、実際もたぶんそういう節があるんやろう。けど嬢ちゃんとのやりとりとかを少しやけど見ている限り、やっぱり全部が全部そうであるなんてことは無かった。今日は嬢ちゃんは別の用事で来れないと連絡が入っていて、試合終わりに一人でフラフラと周辺を散歩しながら悶々と今後のことについて考えた。

まぁ俺がなに考えても何の意味もあらへんのやけど!でもオタクっちゅーもんは自分勝手にどんどんどんどん考え込んでしまうもんやろ。いつだって推しには少しでも幸せそうにしていてもらいたい。どんな些細なことでもええし、そこに俺は関わらんでもええから。


「………あ」


少し遠く、前から聞こえてきた声に足を止める。たった一文字、たった一言の短い声でもそれが誰のものなのかをはっきりと分かってしまうくらいには、どうやら俺もちゃんとオタクらしい。


「……………り、」


倫太郎っっっ!!!めちゃくちゃローカルな商店街歩いとったら推しに遭遇ってどんなや。ドラマか。お疲れ様ですなんて声をかけたら「こちらこそ、お疲れ様です」と返事が返ってきた。聞いた?やば、めっちゃ良え声。癒しや。セラピストか。倫太郎セラピーやばい効くやん。あーたまらん。てか近い。もっと離れた方がええ絶対。神に近づきすぎると人間は滅ぶからな。

また試合行きます〜とだけ言って、そそくさとその場を離れようとしたら「あの」と食い気味に遮られた。どうしよ。幻聴とかではないよな。なんや、上擦った声出たのキモいと思われたんかな。


「苗字、今日は来てなかったんですか」

「嬢ちゃんは今日は用事があるって言っとったで」


そうですか。と小さく呟いた倫太郎の顔に元気はない。普段から侑や結とは違って元気いっぱいって顔をしとる訳でもないけど、それでも少しだけ伏せられた目が寂しそうな色を含んでいて少し気になってしまった。

あんまり関わるな、と自分で言っとったのに。推しのプライベートに干渉するオタクとか最悪やんと言う気持ちももちろんある。けれども推し以前に目の前で悲しそうにする男の子と、その原因に関わっとる可能性がありそうな歳の離れた友人のことを思うとスルー出来なかった。


「嬢ちゃんと何かあったんか」


これは勘や。おじさんが長年培ってきた勘。よう知らんやつが見たら相変わらずの無表情のように見えるかもしれんが、現れにくいだけで意外にもわかりやすいというのを俺も最近知った。小さく瞳が揺れたのを見逃さんかった。


「たぶん、俺が来るなって言ったから」

「嬢ちゃんに?」

「……はい」


同じようなこと何回か言っとるのは見てきたけども。でも嬢ちゃんはさほど気にしてない様子やったけどなぁ。メンタルが強いというかなんというか。せやけど今日来とらんのが用事ではなくそのせいなんやったら、それはそれで何があったんかは気になるし、嬢ちゃんのことも心配になってくる。

重くなってしまった空気をいつもみたいに茶化すようなことも出来ず、少し困ってしまった。どうすればええんやろ。おじさんもさすがに狼狽る。推しの前で狼狽るおっさんとか想像するだけで倒れそうになってしまうけどちょっと我慢して欲しい。


「えと…………あそこ、入る?」


あぁ。関わるな。とももう言えん。見逃して欲しい。さすがにここで見捨てられんやろ。少し先に見えとる喫茶店の看板を指差すと、頷いた倫太郎が俺の後に続いて無言でついてくる。あかん。普通やったら推しと二人きりで喫茶店とかもうここで死ぬんちゃうかくらいの盛り上がりようなのに、全然そんな気持ちにはならない。おっさんにそんな簡単についてきちゃあかんでとか言いたいけどそんな空気は微塵もない。


「何があったん?」


アイスコーヒーをカラカラとかき混ぜながら、疑問を口に出してみる。話し出すのを待っとった方がええかなと思っとったけど、一向に自分から話し出す気配がないのでこちらから問いかけるしかない。


「……………えっと」

「……………」

「……………」


ああああああアカン。あかんで。推しを目の前にしてこの空気。どうしよ。どうしたらええ。気の利いた一言とかかけてやりたいけど生憎何も出てこない。俺はいったい今まで何十年もなにを喋ってきたんやろ。この時の為やないんか。この時のために何十年も言葉を使ってきたんやないんか。


「喧嘩でもしたん?」

「…………まぁ、そんな感じ、です」


歯切れの悪い返事。気まずそうな顔しとる。少しだけ目を泳がせた倫太郎はそれを紛らわすように手元のアイスティーに口をつけた。あぁ、喧嘩や言うてもこれは、アレやな。


「また一方的にガンガン言うたんやろ」


ズッ、と加えとったストローから音が漏れた。図星やな。内容はわからんけど、倫太郎の動揺っぷりからして自分でもその自覚があるくらいには言ったんやろな。グラスの半分ほどを一気飲みした倫太郎は、小さな声でポソポソと今度こそしっかり口を開く。その表情は少しばかり落ち込んでいて、それでいて覇気がないように見えた。


「口に出したら止まらなくなって、余計なことばっかり言った。いつも以上にどうしようもないこと口走って、謝り方もわかんないし」

「………なんで倫太郎、あー、角名くんは嬢ちゃんにそんなに厳しいん?」

「倫太郎でいいですよ」


もう一口だけ飲み物に口をつけた後、倫太郎はテーブルに両肘をついて顔を押さえながら「大人気ないってことはわかってるんですけど」とため息をついた。手のひらで覆われていてその表情は見えん。はぁーっともう一度深く息を吐いてから「あいつ」と先ほどよりもハッキリとした声で話し出した。


「気づいたら俺の側にいて、気づいたら俺のバレーばっか見てて。昔から、馬鹿みたいに褒めてくるんです」

「昔のことは知らんけど、嬢ちゃんは本気で倫太郎のバレー好きやで?嫌なん?」

「別に、それはもちろん嫌では、ないんですけど…」


顔全体を隠していた手を少しずらして、指の先から両眼が顔を出した。ゆらゆらと揺れた瞳がこちらを向く。元々切れ長の目がもっと細められて、グッと眉間にシワが寄った。


「あいつは俺のバレーボールしか見てない」


もう一度顔全体を覆って見えていた目が隠れていく。と思ったらそのままズルズルと頭をスライドさせて額をテーブルに打ち付けた倫太郎は頭を伏せながら「かっこ悪りぃ」と細くて小さな声を出した。

やばい。にやけたらアカンで俺、抑えろ。目の前には項垂れる推し。バレーしとる時の雰囲気は微塵も感じられんくらいに崩れ落ちとる。その悩みっちゅーのが幼馴染の女の子と喧嘩して仲直りが出来んなんてそれだけでどう考えてもおもろい。申し訳ないけどおもろい。

倫太郎ってそういうこと難なく躱して上手いこと運んでいきそうやと思ってたし。もしかしたら実際普段はそうやって上手く躱してるのかもしれんな。だからいざぶち当たるとどうしてええか解らなくなんねん。あー、それがあの女の子相手って言うのがまためっちゃおもろい。というか可愛え。


「倫太郎は嬢ちゃんのこと大好きなんやな」


ガバッと勢いよく顔を上げた。相手のスパイク止める時みたいに俊敏な動きで。飛ぶようにして上を向いた顔は目が見開かれていて、ダラりと力なく垂れていたはずの指先は力が込められ握られとった。口を真一文字に結んで言葉を発さない。パニックになっとんのが見え見えで、こんな姿をもし試合中に披露したら相手の思うツボやんと思うとそれがまた面白くてしゃーない。

数秒固まり続けた倫太郎はそのまままた目を細めると、崩れ落ちるようにして先ほどのようにテーブルに伏せた。全身脱力なんて言葉が似合う。一体化するようにへなへなと萎んでいく様はスライムみたいでおもろい。これがあの強豪校の主砲とも言われる角名倫太郎の年相応な姿なんやなと思うと笑いがこみ上げてきた。


「…………笑わないでください」

「すまんて。せやけどこんなん予想しとらんかったから。あっ、心配せんでもこの事は誰にも言わんし」

「ほんとにお願いしますよ」


もそもそと起き上がってダルそうにまたストローに口をつける。中身が少なくなったせいでズズッと音が立って、残った氷がカラカラと鳴った。それに眉をひそめた倫太郎にまた笑って、片手を上げてやってきた店員さんに同じものをもう一杯注文する。「あ、え………すみません」と少し申し訳なさそうに言った倫太郎は、追加で届いたアイスティーにもう一度口をつけた。

こういうことで初々しく悩めるっちゅうのは若い子の特権やで、倫太郎!


 前の記事 l 記事一覧へ戻る I 次の記事 

- ナノ -