「孤爪くん、見てこれ!可愛い!」
「………うん」
紅葉が色をつけるにはまだ早い。しかし吹き付ける風は確実に冷気を伴って、体の芯から少しずつ熱を奪っていくような、秋。昨日合宿を終えた孤爪くんたちは今日は部活がお休みだった。といっても学校はあるので、自由な時間は放課後のこの時間しかないけれど。
「……孤爪くん?」
少しだけぼーっとしている気がする孤爪くんの目をじっと覗き込む。大きな猫目が不思議そうにこちらを射止めて、少し困惑の色を浮かべながらぱちぱちと瞬きを繰り返した。
「…………」
「…………」
「なに………?」
特にこれといった予定も決めずに、二人して学校の近くをふらふらと歩きながら気になったお店を見て回っていた放課後。珍しく心ここに在らずと言った孤爪くんのその様子が気になって仕方がなかった。無言のままギュッと手を握って、そのまま孤爪くんを引っ張るようにして歩き出す。「え、ちょっと、館さん?」と少しだけ焦ったように引っ張られる孤爪くんは、驚きながらも大人しく私についてきてくれる。
「孤爪くん!勝負っ!」
「………はぁ?」
到着したのは音駒高校体育館。いつもの場所。普段はみんなここにいるけど、今日は誰もいない。勝手に倉庫からバレーボールを拝借して孤爪くんの目の前にそれを突き出し勝負を挑む。私の意味わからない行動に「休みの日にまでバレーとか、勘弁して」と眉間に皺を寄せる孤爪くんに構わず「いっくよー!」と言いながらボールを投げた。
「そもそも館さん、バレーボールできるの」
ため息をつきながらも軽々とボールを正確にこちらへと返してくる孤爪くんはさすがだ。綺麗に弧を描き私の頭上へと向かってくるそれを、いつも見ている孤爪くんのフォームを思い出しながら手を伸ばした。手のひら、指全体を使ってボールを包み込む。そして孤爪くんの方を目掛け、そのボールは、全然、飛んでいかない!!!
「どうしてっ!」
「全然出来てないね」
「ちゃんと飛ばそうと思ったのに!!30センチくらいしか飛ばなかった!」
「ボコってすごい音したから。最初のリエーフももう少し出来たよ」
ニヤニヤと馬鹿にしたような笑みを浮かべた孤爪くんは、傍に落ちていたボールを拾ってポンポンと頭上にボールを飛ばす。孤爪くんすごい…!経験者には当たり前なんだろうけど、今の一発だけでわかった。今の私には絶対にできない!
「私にも教えて!私も出来るようになりたい!」
「……日が暮れるよ?」
「そんなことない!」
ボスボスと音を立てながら見様見真似でトスを上げると、肩を震わせた孤爪くんが「やる気はこんなにあるのにね」と面白そうに言ってくる。やる気はあるけど実力はないってか!悔しい!「五回以上続かない〜!」と転がっていくボールを追いかける。「その五回もトスというより無理やり触ってやっと続いただけじゃん」とその場にしゃがみ込みながら、挫けず再度挑戦する私を見守る孤爪くんは心なしか楽しそうで少し安心した。
「手、こうの方がいいと思う」
「え、どう?こう?」
「こう」
私の後ろに回って、そこから手を伸ばし私のフォームを修正する孤爪くん。構え方と打つ時の手首と指の動かし方を簡単に説明してくれた孤爪くんは、そのまま私の頭上にボールを落とす。言われた通りに手を動かすと、先ほどよりはまだマシな音を鳴らしながら、ボールが少しだけ高く上がった。
「おお…!出来た!!」
「べつに出来てはない」
「さっきよりは出来た!」
「さっきよりはね」
やったー!と喜びながら再び落ちてくるボールを飛ばそうと腕を伸ばした。が、タイミングが合わず腕の間をすり抜けたボールはそのまま私の顔面へと直撃する。もともとそんなに高く上がってはいないし勢いはないものの、ボール自体が硬いために結構な痛みが襲った。
「痛い!鼻折れたー!」
「ぶっ………くくっ」
「孤爪くん!?そんなに笑う!?」
彼女がこんなに痛がってるのに!後ろを振り向いて笑いを堪える孤爪くんに覆い被さる。そのままズルズルとしゃがみ込んだ孤爪くんに釣られて私も腰を下ろした。
「バレーボール、楽しいね」
「全然出来てないのに?」
「出来ると楽しいはまた違うもん!」
「……そうだね」。そう言った孤爪くんにぐーっと体重をかけて、ゴロンと孤爪くんごと転がった。誰もいない体育館で二人、冷たい床の上で目と目が合う。
「合宿どうだった?」
「いつも通りだよ」
「えー、何かあったんじゃないの?違う?」
「特に何もない」
さらさらと片手で髪の毛を梳かれて少し擽ったい。片目を閉じてそれに耐えるとフッと笑った孤爪くんがそっと私を引き寄せて体がグッと密着した。誰もいないけれど、孤爪くんからこんなところで。珍しい。
「おれはバレーボールを好きだとか、楽しいとか、特に思ったことない」
「そうなの?」
「……でも、翔陽との試合は、ちょっとだけ楽しみだって思う。他の人には絶対言わないけど」
ショウヨウ。たまーに孤爪くんから名前を聞く子だ。たしか宮城の、からすの?とかいう学校の子。
「……変な感じ」
ごろ、っと姿勢を変えた孤爪くんは片腕で目を覆うようにして仰向きになった。その上に跨るようにして馬乗りになる。すると、ギョッとしたような顔をしながら孤爪くんがこちらを向いた。
「孤爪くんに告白した時もここでこうしたよね」
「あの時はもっと激しかったよ」
たしかに。もっともっと激しかった。私も孤爪くんも。泣きながら叫んで、あの孤爪くんまで叫んで、今考えると何だかとっても面白い。
「烏野との試合、楽しみだね!」
「お互い春高勝ちあがらなきゃ無理だよ」
「むりじゃない!行けるよ!」
ぷくっと頬を膨らませる。「なんで館さんがそんなに張り切ってんの」なんて言いながら頬を引き寄せられる。倒れ込むように覆い被さって、はらりと落ちた髪の毛が孤爪くんの頬を掠めた。
「楽しみが、いつか楽しいに変わるといいね」
「…………」
「私は孤爪くんと付き合うことになったあの日、ここでこれからの毎日が楽しみって思った!」
「そうなんだ」
「孤爪くんは違った?」
「………どうだろうね」
「私は今、孤爪くんといるの楽しいって思うよ」
「そう」
「うん」
「そっか」
「そうだよ」
そっと唇を重ねた。くしゃっと髪の毛を握り込むようにして後頭部を押さえられる。この場所で孤爪くんに想いを告げたあの日から数ヶ月が経った。ここからさらに数ヶ月が経った時、私たちはどうなっているんだろう。それをまた楽しみにしていきたい。
「……あ、ごめんリップついちゃった」
「いいよそんなの、あとで拭けば」
孤爪くんの頬を両手で包み込んだ。首元に腕を回されて、もう一度唇が重なり合う。その直前、傍に転がったボールが視界に映った。バレーボールをする孤爪くんを初めて見た一年前の冬の日、彼に恋をしてしまったことを思い出した。
「そろそろ誰かに見つかりそう」
「そしたらまた孤爪くんも一緒に怒られようね」
もう勘弁して。そう言って笑った孤爪くんの唇は、いつもよりもほんのちょっとだけ赤くてツヤツヤしていた。
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