大人になるってこういうことだった



「ケン!おいケン、遊びにいこーぜ!せっかくの夏休みだ!」

「やめてよ眠いよわたしは布団から出たくないよ…」

「おばさんも、あらぁ、いっくん健一を連れ出してくれるの?ありがとうねぇ、なんて言ってたぞ!」

「わたしはここで一生を過ごすんだ…やめて……」

「ほーらー!今日は空き地で俺のダチと缶けりだー!」

「いーやーだー!!!」



思い出せば思い出すほど頭痛がひどくなる。あのあとはろくな日陰もない空き地で延々と缶蹴りをし、日射病で倒れたのだった。その時は郁に背負われて家まで戻ったっけ。

別の日はラジオ体操やるぞと、日も高い日中に外に連れ出され、CDラジカセから流れ続けるラジオ体操に舌打ちしながら身体を動かしたという過去が。しばらくあのラジオから聞こえてくる男の声恐怖症になったものだ。もう、黙ってくれ…。

他にもある。夏休みの宿題が終わらないからと家に上がり込んで私の工作を散々邪魔した挙句、必要な木材を一つ、叩き折って行ったのだ。

郁に関わるとろくな事がない。幼稚園、小中が一緒で高校もなんと、別れたはずなのに親の転勤だのどうので突然一緒になって(せっかく県外に出たのに)。さらに言うと大学も教育大で同じになり、初任校も同じ。二回三回タイミングを外して別々になったけど巡り巡って今は同じ高校ですでに三年は過ごしている。切っても切っても絡み付いてくる、もう腐れ縁のようなものだ。ど畜生である。そう、ど畜生。

「……、ケン、おい、ケンってば」

「……なに」

こうやって、休みの日に人のマンションに上がり込んでくる。ソファでぬくぬくと昼寝をしていたのに、どうしてこの筋肉馬鹿は私の邪魔をするのだろうか。

「昼間っからぐーすか寝てちゃ勿体ねぇよ!外行こうぜ、外」

「嫌ですよ。私はごらんのとおり病弱でしてねぇ、あまり激しい運動をしたくないんです」

「かーっ、これだからケンは。まぁとりあえず来いよ」

「嫌です他を当たってください」

「散々振られてお前んとこ。ほら、起きて着替えろ。脱がすぞ」

シャツに指をかけられ、私は仕方なく起き上がった。元々脱がす気はないようで、じゃあ待っとく。とリビングテーブルに放置してあった雑誌を読み始めた。政治の話だからあの筋肉馬鹿に果たしてわかるだろうか。

部屋に行ってシャツを脱ぎながら、そういえば昔もこんなことあったな、なんてぼんやりと思い返す。ベルトはどこにやったっけな。

昔も突然私の家にやってきては、外に無理やり誘い出してくれやがって。その度になにかハプニングが起こっていた。虫取りに誘われたときもあった。

馬鹿郁はその時も私の部屋に置いてある本に手を伸ばして、すぐに断念してたっけな。たしかあの時は、シャーロック・ホームズにはまっていた時。脳筋だけあって頭を使うものは苦手なようだった。さすが馬鹿である。馬鹿。

「はぁ。準備ができてしまった。行かねば」

本当に嫌だったら鍵でもチェーンでもかけてしまえばいいのに、それをしないのは、まぁどうしてか、やつのことを少しは意識してしまっているせいだろうか。

………いや、ただ面倒なだけか。眠ろうとした時にわざわざ玄関まで行って、来るか来ないかわからないやつのために少しの時間も裂いてやるのはなんとなく悔しいから。それだけだ。

来なかったらムカつくし。

がちゃりと扉を開けて馬鹿に目を向けた。思ったより真剣に雑誌を読み込んでいて、その表情にどきりとする。……なんだそれは。不整脈か。と定番のボケを一人でしていたところで、(私の)気配に敏感な馬鹿郁はこちらに気づいた。パッと笑顔を向けて雑誌を放り投げる。

「待ってたぜ、さ、行くぞ」

「どこに連れてく気ですかまったく」

一応、汚れてもいい服には着替えたけれど、洗濯機回すの疲れるのだからほどほどにしてほしい。明日は学校の仕事があるのに疲れるのはゴメンだ。

「どーせ虫取り…、え」

連れて行かれたのは隣接する駐車場。そこには一台の新車が止まっていた。

「じゃん。……一応、俺も免許とって車買った」

「……嘘、いつでもどこでもチャリこいでたあの馬鹿が?馬鹿郁が?」

「へへっ、休日にお前を連れ出すためならなんだってやるぜ。ほら、乗った乗った!助手席な。初めて乗せるのはおまえって決めてた。出発!」

爽快な音とともにエンジンがかかる。ドライブと洒落込む気ですか。脳筋にしてはまともな選択もできるのかと少々驚いたのは言うまでもないことだ。

「ただし、中身はあんまり進化していない…と」

バッティングセンターで身体を動かしたり、スポーツジムに行ったり、なんとまぁよくも体力のない私を連れ回してくれたものだ。途中から私を放置で楽しんでいたようだし。本気でぶん殴りたい。殴っても許されるはずですよね信じてもいないですが、どっかにいるらしい神様。

「なっ、俺だって少しは考えてんだよ!」

「アンタがタンクトップでやってきた時点で悟れなかった私の落ち度です…ケッ」

「まぁまぁ」

居酒屋で一杯引っ掛けるか。と言われてため息を吐いたのは数分前の出来事。もう少し洒落た場所に誘えないものか。いや、男を男がそういう場所に誘っても困るけれど。せめてこの居酒屋クオリティをどうにかしてほしい。一生彼女できないだろう。出来てたまるかこの筋肉馬鹿に。

「ビールで。おまえ焼酎だよな」

「お湯割り」

「はいはい。んじゃ……注文ー!」

手際のよい注文態度を見ながら、お冷を飲む。今日はすっかり疲れた。これも全部筋肉馬鹿のせいだ。この脳筋め。

頭の中でいくらけなそうとも、前の馬鹿はこたえることなくピンピンしている。それはそうだろうな、そうでしょうともよ。運ばれたビールを余裕で飲み干し追加をたのむ郁。それを見ながら、昔は駄菓子屋に突っ込んで小遣い握り締めてラムネ買ってたな、と。

年ってわけでもないのに、どうしてかこの馬鹿といると昔を思い出さずにはいられなくなる。私にとって、唯一色のついた思い出は、おそらく郁と一緒に過ごした時間なのではないだろうか。他はセピア色に変わってボロボロと崩れ落ちていくが、郁と一緒の思い出は、未だに色鮮やかに生きている。

「どうした、ケン。ぼーっとして」

「……昔を思い出していてね」

「あー。夏になるとこうやっていつも呼びに来てたよな!楽しかったぜ、ケンと過ごした日々は。俺にとっちゃ最高の思い出だ」

「私にとっても最高の思い出ですよ。まったく」

こうやって思い出、と割り切ってしまえるようになったのは、おそらく年をとったせいだろう。二十代後半。されどもう成人してから短くはない時間を過ごしているのだ。あの鬱陶しくも輝かしい日々は……これからも多分、色薄れることなく残ってしまうのだろう。

嗚呼。

焼酎を一口飲み込む。熱くなるこの味にも、もう随分慣れてしまった。

嗚呼。大人になるってこういうことなのか。


もう戻らない青春時代。ろくに青春してない私に思い出を植え付けてまわったあの馬鹿も、もう人を指導する立場にいるのだ。

時ってのは、恐ろしいねぇ。

宴会の声が響くその場所で、そっと笑った。


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