宇宙的直感


「宇宙…か。どれほど広いのだろうね。あのおぞましいほど真暗な真空に放り出された人類は、為す術もなく死んでしまう。それは海も同じだ。そして、空も。つまりボクたちは驚く程、死に囲まれて生きているんだね。その美しさはボクがどれほど頑張ってみたって、再現できるものじゃない。だけど、その麗しい死という概念に惹かれて、結局ボクみたいな人間が描き続ける。そして、畏怖と尊敬、憧れに似た感情をこの身に宿す」

「何を言ってるこのバカが」

ひたすらキャンバスに向かってブツブツと呟いている美術こと美鶴(みつる)に鋭い突っ込みを入れた男。額に手を当ててゆっくりと首を振る。長年この美術莫迦と付き合っているためか、この手の奇行は慣れている。

「痛いなぁ、ジョーくん」

「俺は木城智久(きじょうともひさ)だっつの。変なあだ名付けるな……んで、こんな廊下でなにしてんだ。皆ビビってんだろ」

「ボクはね、もっくん。宇宙を見ているんだ。果てしない可能性のことだよ。ユニバースだ。嗚呼……この真白なキャンバスには無限大の可能性がある。一つ一つ紐解いていくとどれだけの時間がかかるんだろうね。それこそ宇宙的時間だと思わないかい?というか、この白いキャンバス自体が完成されたものだと思うんだ!このサイズ、真四角の閉じ込められた世界に生きる白…。はぁっ!すごい綺麗……」

「つまり、描くものが決まっていない、と。あと俺は木城智久だって。誰だよもっくん」

美鶴語、と呼ばれる難読な言葉を解読できるのは後にも先にも智久だけだろう。そういう意味で彼は情報くんと呼ばれていた。もちろん、パソコン系統に強いということもあるが、情報という教科が疎かになる高校生であるため、後者の意味合いは薄れてしまったが。

「ったく。格好だけは一人前だな」

智久は美鶴の頭に手を伸ばすと、使い古されたベレー帽をぽんぽんと叩いた。美鶴の横に立って、白いキャンバスをじっと見つめる。

「描かないのか?」

「…ボクが探していた無限大の可能性の中で、一筋の光を探すという作業は容易ではない。それには多大なる集中力と描きたい衝動、くわえてユニバースの導きが必要なんだ」

「悪かったな、邪魔して」

「理解してくれてありがとう。でもいいんだ、気分が変わった。ボクは…そうだね、邪魔をしたわびにキミを描かせてくれないか」

「はっ、俺!?」

こくんと頷く美鶴と、自らの手にはめた腕時計を見比べる。とくにこれといった用事はないが、モデルになるということは長い時間その場に拘束されることを意味する。何もせずじっとしてる時間が大の苦手な智久は渋い顔をした。

「……本、読んでていいから」

「…っしゃーねーな。場所は?」

「ここでいい。ここに宇宙的直感を感じたんだ」

「椅子ねえじゃん!!俺に立っていろと!?」

「そうじゃない。椅子なら持って来ればいい。……あと、ここならあんまり人来ないから」

たしかに、放課後わざわざ美術室近くの廊下を歩く人間はいないけれど。しかし、とそれでも渋る智久に、とうとう美鶴は最終手段にでた。がしりと腕に手を伸ばすと無理やり視線を合わせる。

「…きじょーと一緒に居たい」

智久の肩が震える。頬を若干赤くした智久はずり落ちたメガネを中指でぐいと押し上げた。

「……負けた。わかったよ」

「ありがとう。じゃあ椅子を持ってくる」

ふらふらと揺れながら美術室へと消えた美鶴の背中を見つめて、深く息を吐き出す。あれを無自覚でやってくるのだから、美鶴という人間は恐ろしいのだ。

他人からの評価は、変な人。

口を開けば謎の言葉を吐き出し、黙ってると思ったら一心不乱に絵を描いている。普遍から離れた動きをする人間を嫌う、学校という小さな社会の中では美鶴はいつもはぐれ人だった。

智久も、メガネと物静かな様子からか数日で生真面目さんと認定されてしまい、理想を押し付けられ苦しさに喘いでいた。二人の邂逅というものは、お互いの心にある氷を溶かすにはちょうど良いものであったのだ。

理解されない者と、理想に押しつぶされそうな者。

「……莫迦だなぁ、あいつは」

ふっと笑った智久は、壁に身体を預けて美鶴の帰りを待った。


数十分後、あまりの遅さに智久は部室を覗き込み、寝ていた美鶴を発見し雷を落とすのだが……それはまた別の話。


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